先日のアルバイト先でのこと………。
朝ご飯を食べおわった1人の生徒が、部屋のベッドに引きこもりました。
登校拒否です。学校へは行かない、と断固と動きません。
寮の先生たちは、慌てて学校へ連絡。
私はその間にそのAくんのいるベッドへ。
何があったのかを聞いてみると、前日、学校の先生に理不尽な事をされ、言われ、納得がいかないので学校には行きたくないとのこと。(内容は省略します)
彼なりの小さな抵抗というわけです。
私「そっか、おかしいと思うことには屈しないことだね。そういう違和感は大切にすること」
など、他にも少し話をしてその場を離れました。
Aくんは普段はとっても活発でひょうきん、明るくて前向きです。
そんなAくんが、そういう行動をするにはよほどの事があったのだと察しました。
………後日、その後どうなったかをAくんに聞くと、学校の先生がAくんに謝ってきたとのこと。
とっても嬉しい出来事でした。
ヨシヨシ頑張ったね~と背中をポンポンと叩くと照れくさそうにはにかむAくん。
私が生徒たちにいつも話すことは
自分の違和感を大切にすること
大人や教師も間違いを犯す事がある
人を視る目を養うこと
おかしいことはおかしいと発言すること
権力や圧力に屈しないこと
大まかにはこんなことでしょうか。
子供だけではなく、誰もが持っている心の違和感。
なんかおかしいな、とは感じながらも日々の忙しさから、あまり深く考えずに「ま、いっか」と流されてしまい、のちに後悔した経験は誰にでもあると思う。
そして生きているうちに身に付いた「固定概念」が、心の違和感を掻き消してしまう。
~でなければならない
~であるべき
自分の意見を言ったら空気読んでないと思われる
または、否定されるのではないかという不安
などなど、心は正常に反応しているにも関わらず、ついそんな心の違和感をそっちのけにしてしまう。
そして、それを繰り返すうちにそれがクセになったまま大人になる。
抵抗せず、従い、言われるがままに行動する。
そんな大人になって欲しくはない。
Aくんは、自分の心の違和感を優先し、抵抗した。
屈しない勇気が、彼の中にきちんと育っていたのだと、とっても嬉しくなりました。
そんな小さな勇気を育てるのも、周りの大人に課せられた役割なのだと感じています。
もし不登校したAくんに対して、皆がそれは良くないことだと否定し、学校の先生も非を認めなかった場合、彼の心の芽を摘んでしまうことになる。
立派じゃなくてもいい。
ありのままの自分でいてほしい。
権力や圧力に屈しない大人になってほしい。
そんなことを思いながら、いつも生徒たちに接しています。
かと言って温室育ちでは成長はしません。
今の混沌とした世の中を見て、自分はどうあるべきかをしっかり見極められる大人になって欲しい。
権力を持ったらウソをついてもいい。
権力を持ったら何をしても許される。
などなど、醜いものも見せられていますからね。
子供たちが心の違和感を大切にし、しっかり自分の軸を確立できるように見守るのも、大人たちの役割なのだと感じています。
ちなみに我が息子たちは、立場が自分よりも上だろうとハッキリと意見を言える人間に育ちました。
その矢が私に向かって来る事も度々(笑)
だけど、それが嬉しかったりします。
もちろん、自分に非がある時は素直に謝ります。
子供たちに何かを求めるなら、まず自分はどうなのか、を自分自身に問いてみる。
自分の内側を覗きこみ、ゴミ掃除をする。
子供たちは、そんな大人たちの背中をしっかりと見ています。
そして私は空気を読んだとしても言いたい事はハッキリと伝えるようにしています。笑顔で優しく丁寧な言葉で
そんなコツも、こっそりと生徒たちに伝えています(笑)
正直、空気は読みたくありません。そこが変人なのかもしれません
本日も最後までお読みくださり、ありがとうございました🤗