皆さま、こんにちは🤗
ここ何日か、ボーッと過ごしていました。
なんとなく気が抜けていたというか、力が抜けていたというか、頭の中がカラッポ状態
カラッポですからブログもおやすみしておりました。
やらなくてはならない事がありながらも、心のどこかで「たまにはのんびりしなよ」という気持ちもあり、頭の中を休ませる意味でもの~んびりしておりました。
11日に初雪❄️
今朝の気温は0℃
寒い時こそ、外仕事という事で、丸太をチェンソーで切りまくりました
小2の孫が学校をサボって自宅にいるとのこと。
学校疲れた、1人の時間が欲しい……👦🏻
ええっ~そうなの?と、驚きを隠せない私
自分が小2の頃はそんな事考えた事もなかったですもん。
学校は行くのがあたりまえで、行かなくてはならないもので、サボるなどはとんでもない
という、時代に生まれた私…………
しかも1人の時間が欲しいって…………
そして、それを承諾し笑いながら私に報告してくる息子………
なんて自由なのかしら
学校は行きたくないなら行かなくてもいい
行きたいならば行けばいい
どんな事も、可能な限りは自分で決めること
そう孫に伝えてきた私
そして、息子(父親)も孫の要求を受け入れている。
小さなことですが、嬉しい出来ごとでした。
「行かなければならない」
「やらなければならない」
「作らなければならない」
「○○でなければならない」
という意識だった時代から
「行かなくてもいい」
「やらなくてもいい」
「作らなくてもいい」
「○○でなくてもいい」
という意識に変わりつつある。
冒頭の私のように、なんとなくやる気がしないときはやらない🎵
ブログも、頭がからっぽのときはお休み🎵
それでいいのですよ、本当は……
世の中の常識やルールに忠実でなければならなかった時代←長かったなぁ
普通でなければならなくて、そこからはみ出すと変人扱い
発熱などの症状があれば認められ、症状が見えない心の病気だと理解を得られない
私が知る限り、世の中の人々の8割はココロが病んでいるように見える。(なぜかいつも8:2なのだ)
なぜなら、大人達は常識やルールに従うべきという分厚い鎧のようなものをなかなか脱げずにいるから。
会社疲れた、1人の時間が欲しいと仕事を休んだ大人は今まで一度も見たことがない。
大人だって疲れた時は休みたいし、大人だって1人の時間が欲しいのだ。
学校疲れた、1人の時間が欲しいと言った息子に対して父親が
何をたわけた事を言っているのだ?学校休むなどとんでもない!学校は行くべき場所なのだ!
などと言っていたのならば
負の連鎖はまだ続いていたのかもしれない
嬉しく思ったのは、息子が負の連鎖を断ち切り、我が子に選択権を与え、それを快く受け入れたこと
思えば、我が息子も高校を辞めたいと私に訴え、17才で遠く離れた土地で一人暮らしという道を歩みました。なかなかのやんちゃものでしたよ。(警察から電話がきても遠すぎてすぐには行けなかった)
当時の私にとっては苦渋の決断でしたがね
淋しかったし辛かったけど、今日のことであの当時息子本人に選択させて良かったのだ、と思いました。
過去は変えられるってこういう事なのかもしれない。
よく聞く話では、虐待されながら育った子は我が子にも虐待をしてしまうという。体罰を受けながら育った子も同様。
体罰が躾だと思い込んで、それが子供の為なのだと信じている親御さんも実際に居ました。一体、どこからいつから、その負の連鎖が始まったのでしょう。
親の親もそれが良かれと思い信じ、結局代々続いてしまった、なんてこともあるのかもしれません。
どこかで誰かが気が付かない限り続いてしまう負の連鎖……
そして犠牲になるのはいつも子供たち……
あのキラキラ🤩した子供たちの光を、もっと光らせるかまたは曇らせるかは、側にいる大人たち次第なのかもしれません。
大人の思い込みを子供たちに与えるよりも、自由と選択の権利を与えたい。
子供たちの可能性を思い切り伸ばす為には、今、大人たちが気が付かなければならないのかもしれません。
ちなみに、息子は「2ヶ月に1日はサボってもいい」と前々から孫と約束しており、孫はその1日を使ったらしいです。
もし不登校になったとしても何も心配していません。
きっと、自分で道を切り開き歩いて行ける、そう思っています
大人の思考が創りだした不安や恐怖を与えるのではなく、自由と希望を与えたいのです。
自由こそが生きるチカラになるという事を、これからの未来で活躍する多くの子供たちに知ってもらいたい、そう思えるのは私が今現在、自由に伸び伸びと生きて楽しんでいるからなのです
最後までお読みくださり、ありがとうございました😊