本日、向かいのおじさまから電話が来た。
「お~い、そろそろタイヤ替えるぞ~」
向かいのおじさまは、血の繋がりはないけど、まるで父親のように、私を気に掛けてくれる。
そんな人々が、周りにたくさん居ることが、本当に有難いと思う。
私は、ひとりでタイヤ交換が出来るのだけど、毎回おじさまに甘えるのだ。
何故って?
おじさまは、してあげる事に喜びを感じているのを、私は知っているから(笑)
そして、この方も全く見返りを求めない。
私も見返りを求めない。
とても、仲良しな関係なのだ
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タイヤ交換をした後は、必ずタイヤをキレイに洗いワックスを掛けてから物置小屋にしまう。
しかし、本日違和感を感じたタイヤが1本あって、なんとベトベトな何かが付いていたのだ
ブラシで擦ると、ブラシに油のようなベトベトが付いて……………これは灯油だな~と、ウエスに灯油を付けて拭いたらキレイになった
ベタベタには灯油ですな
友人の整備士にラインで連絡
なんと、すぐに自宅に来てくれた。
整備士「鍵貸して?」
エンジンを掛けて持参したスモールライトを照らし足周りを見る。
整備士「右じゃなく左だね、○○が劣化してダメだから早く交換した方がいい、部品きたら連絡するね!」といい、瞬時に消えた。
※○○は秘密ではなく覚えていないだけ
私「先生、いつもすみません、ありがとうございます、宜しくお願いします🙇♀️⤵️」と見送った。
整備士は年下だけど、尊敬に値する友人の一人。年齢などは関係ないのだ。
私にはチェンソーの先生もいる。
「先生」とは先に生きると書くけど、私の中での先生は、専門の事を導き教える人である。
私が先生と呼べるに値する人は
決して威張らず謙虚であること
なのだ。
アルバイト先の「先生」と呼ばれる人たちも、8対2の割合でしか、本当の「先生」と言える人が居ない、と感じている。
なんていうか、先生=偉い人って勘違いしてしまうのでしょうか。
監視し、抑圧し、生徒の長所も見て見ぬふり、個性を伸ばすどころか、普通という名の箱に閉じ込めようとする「先生」が8割いるように感じている。
政治家も、「先生」と言われているが本当に「先生」と言われる程の仕事をしている人は2割程しか居ないと、感じている。
あくまでも、私目線だけど…………(変人目線)
現時点で、私が先生と呼べる方たちは
チェンソーの先生
車の整備士(友人)
釣りの師匠(友人)
だけど、ブログの世界を覗くとたくさん素敵な先生たちがおります。
いつも、私に気づきをくださり感謝いたします。ありがとうございます🙇
1人ひとりが何かの「先生」なのだと、尊重し合える世の中になりますように
お読みくださり、ありがとうございました🤗