夏、雨の降らない日が続いたある日の早朝、カラカラに乾ききった土に大豆の苗🌱の根元だけが小さく濡れていた。
 
 
 
朝露を、葉から茎へ、上から下へと流して根に朝露を送り届けていた。
 
 
それを見た時の、胸のときめきと驚きと感動は今でも忘れられない。
 
葉の形、角度、構造、全てが整っている。
そして繋がっている。
 
愛おしい…………そう思った。
 
しばらくその場に佇んでいた。
 
必死に生きようとしているのを、私は見せられた。
 
「がんばれ~、すごいね~、ありがとう」と話掛けると、喜んでくれる。
彼らは、決して不平や不満は言わない。
 
ただ、必死に生きている。
 
動物も植物も虫たちも。
 
 
 
 
 
木々は自らの葉を根元に落とし、微生物達にエサを与え、肥えた土からまた養分を吸収し成長する。
また、降った雨を吸収し、雨が降らない時は出す。
川がいつも流れているのは、木々が地球と相談し、微調整しているのではないかとさえ思ってしまう。川の水は全ての生物たちの潤いとなるから。
 
その木々が倒れて海へと流され砂浜に打ち上げられた。
 
 
 
薪には有難いけど、何故こんなにたくさんの木々が根元ごと流れてきたのか。
考えた。
 
ナラ枯れ問題に辿り着いた。
 

 

 

抜粋☟

 

ナラ枯れとは、ドングリを実らすことが特徴のコナラやミズナラなど、ブナ科の木に発生する大量枯死の事をそう呼ぶ。ナラ枯れが起こる原因はカシノナガキクイムシ(あだ名はカシナガ)。カシノナガキクイムシは体長4~5mmの黒褐色で円柱形の甲虫だ。キクイムシという名前だが木を食べているのではなく、木をかじって開けた穴にナラ菌と呼ばれるカビの仲間を植えつけて畑とし、穴に生えたナラ菌を食べる昆虫なのである。このカシノナガキクイムシが植えつけるナラ菌は、幼虫の時に食べていた胞子を、羽化した成虫のカシノナガキクイムシが体の窪みに付着させて運んでいく。このナラ菌(数種類ある)は、生きた木から栄養を吸収する種である。
 
このカキノナガキクイムシは、弱った木を選ぶという。では、何故木々が弱るのだろうか………。
 
夏なのに、葉が茶色に変色したドングリの木
 
8月は本来なら葉が青々と繁る季節。
釣りに行く途中、道路沿いに聳え立つ茶色の木を見ながら、息子とナラ枯れ問題について話をしたのは記憶に新しい。
 
 
 
 
……私達は、見せられているのかもしれない。
 
自然災害も異常気象も、人間にとっての文字や現象であり、良い悪いと判断しているのは人間だけ。
 
人間だけが、自然から外れた道を歩んでいるように感じてしまう。
 
 
人にした事が自分に返ってくるように、地球に対して行って来たことが、我々人間たちに返ってきているだけなのではないか。
それが自然の法則だから。
 
ネズミや動物達の異常行動も、彼らはただ必死に生きようとしているだけで、そこには理由などないのかもしれない。
全て、自然の法則どおりに動いているだけ。
 
地球が私に見せてくれている様々な事。
 
自然の中にとけ込むと、その神秘さに驚きと感動しかない。
 
自然を愛おしいと思うし、繋がっている全てに愛を感じる。
そして、地球上に生きている全ての生物は地球に愛されているのだなと感じる。
 
宇宙の惑星も全てが影響しあっている。太陽がベストな位置にある地球に生まれたことも奇跡だと感じる。
 
 
きっと、縄文時代の人々はそれらを理解し、自然を愛し自然に寄り添い、自然からいただき感謝しながら生活していたのではないかと思う。
 
「回帰」と言う文字が頭に浮かび上がった。
 
 
気づく時なのかもしれない。
いや、遅すぎたのかもしれない。
 
 
大きな木に抱きつくと自然と涙が出る。
暖かくて優しくて安心する。
ごめんね、そしてありがとうと伝える。
 
 
 
目先の小さな出来事に心を奪われている私達人間。地球を傷つけ利用し、果てには毒まで作りあげ処理に困る始末。
 
自分がもし地球なら耐えられるのだろうか。
 
 
 
 
でも地球は、自然は、ただただ与えてくれている。
地球上にいる全ての生物たちは、皆、地球に愛されている。
 
 
そこに気づく人々がもっともっと増えますように。
 
 
 
自分には何が出来るか、模索すると日々……
 
美しき地球よ、いつもありがとうございます。