父の家に行くと、毎回同じ話を始める。
若い頃の武勇伝
戦争を体験した話
母親との思い出話
そして、いつものパターンで
父「なんで俺だけ生きているんだ⁉️」
ワタシ「修行が足らないんでない?」
父はそっか~と笑う
先日、父が言った。
父「俺より先に死なんでくれな」
ワタシ「えっ👀⁉️そういうなら、早く死んでよ、お父さん死ぬまでワタシ死ねないのはキツいから」と。
自分でもビックリした。
何に対してか。
別に父に早く死んで欲しいとは全く思っていない。出来れば100歳までも生きていて欲しい。
でも、父が死ぬまでワタシが死ねないと、自分のその言葉にビックリしたのだ。
順番で行くと、父が死に、ワタシがその次。
でも、父には長生きして欲しいけど、自分は長生きしたくないのだ、という、自分の本音(?)を自分の耳で聞いてしまった
父は神妙な表情をしていたけど、その後は特に普通に接していて、その事も忘れているのかもしれない。
親にしたらそうだと思う。
ワタシも親だからその気持ちはわかる。
帰宅してから考えた。
なぜ、ヒトは生きたいのか
そして、なぜ、ヒトは死ぬのが怖いのか
子ども達もそれぞれ独立して、更に孫もいるワタシ。
いつ、何があっても受け入れようと思っている。(超、健康だけどね😅)
もう、甘いも辛いも経験したし、お腹いっぱいなのに、父が死ぬまで死ねないのはイヤだな
そうとっさに思って出た言葉。
酷い娘だなぁ、とは思いつつも父の言葉通りにはなりたくなかった。
なぜ、ヒトは生きたいのか。
死ぬのが怖いのはなぜ?
永遠のテーマなのかもしれない
ただ、ワタシは今幸せで、自分の歩みに満足している。
欲はなくなりつつある。
食べるモノもいつも同じで、豪華な食べ物を自分から欲する事もなく、あるとすれば遊びたい、楽しみたいという変人ならではの欲なら少しある。(釣りとか畑)
でも、もう満足だな~って思っているから、いつ何があっても受け入れるつもり
そこで思ったのが
死ぬのが怖いのは、満足した人生を歩んでないから?
やりたい事を出来ないでガマンしているから?
後悔している事があるから?
なのかな🤔
では、やり尽くしたヒトは、満足したヒトはどうすればよい?のか🤔
それがワタシの疑題です。
自然と接していると、自然現象を目のあたりにする。ワタシもその自然現象の中のひとつでありたい。
でも生きていることは、生かされているのだと、それも受け入れる。
要するに、修行が足らないから今生きているのだな🤔
まだまだ修行は続きます。
未熟モノですからね~
生きることは、修行なのかもしれません。
アホな話を読んでくださり、感謝いたします
皆様にとって、満足のできる素晴らしい人生になりますように🤗