栽培した大豆
こんな時期に、何故青大豆だけ干してあるか。
ギリギリまで畑に置いてあったのは、なかなか乾かないのもあったけど、まだ成長していたから。
何故、まだ成長していたか。
いろいろと遡って考えると、成長しすぎて倒れたから。
何故、そうなったのか。
大豆は基本、肥料などを与えない方がたくさんの実(豆)をつける(子孫を残そうとしている?)
なのに、ワタシは青大豆だけ雑草を刈っては根元に敷き詰めた。
その結果、ものすごく背丈が伸びて(栄養過多)強風で倒れた。
倒れた青大豆は、何を思ったかそこからまた更に脇芽を伸ばし少しでも子孫を残そうと横に這って成長。
出だしは好調だったけど
でも、失敗😵💧←世間一般的には
ワタシの場合、「失敗」というのはない。
「失敗」はただの「経験」
そして、次へのステップとなる✌️
上手くいかなかったら、違う道を探ればいいのだ☝️
こう思えるのは、これは趣味で実験だから
もし、この青大豆を売って生活するとしたら、そうはならない。
農家さんなら大変
実験は、自身が楽しむ為でまた、学ぶ為。
▪▪▪▪▪
昨年を思い出してみた。
昨年は、違う場所で大豆を栽培したけど新芽をシカに食べられていた。
シカが摘心をしてくれていたおかげで、実(豆)がたわわとなった。(最後はネズミに食べられた)
今年は柵をしっかりと張り、シカが入らないようにした。
昨年はシカが新芽を食べた事で、摘心された状態になり、しかも、あまり背丈は伸びずとも実(豆)をたくさんつけた。
もし、そうだとしたらばシカが入れるように柵はつけない方が良いのか🤔
それとも自分で摘心するか?
そもそも、雑草を根元に敷いたのもミス
う~ん、植物は未知の世界だな🤔
などと、あれこれと考えを巡らすのも楽しい🤗
動物も虫も決して切り離すことは出来ない。
秋に庭の赤紫蘇の穂を摘もうと思っていたら、スズメ達が食べていた
10羽程で、一斉につついて食べているのを見て、積むのをやめた。
つついた拍子に種がこぼれ落ちる。
食べた赤紫蘇の種は、きっとどこかワタシの知らない場所に糞を肥料に大きく育つのだろうかと思うと、赤紫蘇にとってはその方が子孫を残せるのでは?🤔
赤紫蘇の立場に立つアホなワタシ
秋に真っ赤になっている実も、「食べて食べて~」って目立とうとしているのかもしれない。
ということは、鳥たちは色覚があるのだろうか🤔
どこまでも、考えてしまう
先日、物置小屋の薪の裏側を見たら土が盛り上がっていて、試しに傷んだじゃがいもを置いたら、次の日にはなくなっていた。
今年の春、植えてない場所からじゃがいもの芽が出たのはネズミ達が食べ残した?🤔
うちの物置小屋の下をネズミが冬の住みかにしたのだな🤔←放置
最近、アタマの中にこういうワードが何度も浮かぶようになった。
人間がいちばん愚かで未熟モノ
動物や植物や虫たちは、愚かで未熟な人間達に何かを訴え、学ばせ、成長させる為に存在しているのではないかと。
自然界の、弱肉強食の世界、人は何でも食して、自分達が生きる為ならば、科学をも利用して大量生産するようになってしまった。
人間が人間の為に自然をなんとでも出来る、破壊し、毒を撒き、科学を利用し、どうにでもできると勘違いした時に、突き落とされる。
した事はすべて返ってくるのがこの世の摂理
いつになったらヒトはわかってくれるの?
どこまですれば気づいてくれるの?
山の中で自然と戯れていると
そんな声が聞こえたような気がした。
変人の戯言です。
今、この瞬間、思った事を残したいと思い投稿しました。
最後までお読みくださり、ありがとうございました🤗