コロナ離婚が流行っているこのご時世にわたしの家族も一悶着ありました。

去年か一昨年かに祖父が倒れて以来、家をリフォームし祖父と母の希望により3人で暮らしています。暮らし始めた時に交わした約束が「干渉しあわないこと」でした。干渉しあわないって何のために同じ家で暮らすんだと思いながら承諾しました。まぁそんなこと言っても、朝起きたら挨拶はするし、家を出る時は一声かけていました。それこそはじめの方は食事を共にしていました。
元々、それぞれ生活リズムが違うので3人が揃うことは珍しく、干渉しないのではなく干渉する時間がない感じでした。それでも、母は仕事帰りに祖父に次の日の朝食用の食べ物を買ってきたり、祖父も買い物に行けばみかんやらなにやらを買ってきて私たちに勧めてくれたり、わたしも軽い家事などをしたり、顔を合わせれば会話をしたりと、多分程よい距離感で3人で暮らしていました。

平和に過ごしていた中、コロナが流行りました。

流行り出したはじめの頃は、スーパーで品薄になったものをみつけたら連絡をとり、アルコールやマスク、トイレットペーパーやティッシュを購入していました。
祖父は、わたしと母に気をつけてね、こんな中でも働いてえらいねと労いの言葉をかけてくれていました。はじめの頃こそは、です。
テレビでは毎日のようにコロナしか放送されなくなり、世の中がやばいという情報しか入ってこなくなりました。祖父は1日中家におり、テレビやラジオから得る世界が全てです。高齢者の死亡率なんかも報道され、とても怖がっていました。

外出自粛要請がでても、私はともかくとしても母は働かないわけにはいきません。週の5日間は仕事に行き、家に帰ってきたら祖父や私に移してしまうのではないかとアルコール除菌やマスクを徹底していました。

あの日は多分タイミングが最悪でした。
外出自粛のせいで母はリフレッシュがなくストレスが溜まり、祖父も死と隣合わせの恐怖でピリピリしていたのだと思います。
母はほぼ1ヶ月ぶりに彼氏に会おうと言われて悩んだ末に出かけて行きました。
祖父には嘘をつけばいいものの、遊びに行ってくると声をかけてしまったのです。それが決定打となり出て行って欲しいと祖父に告げられました。
祖父は母が帰ってくる前にわたしに告げました。
孫だということもあり優しい口調で告げてきました。コロナが怖い。こんな中でも出かけていく人たちとは生活できない。母とも話したいが菌を持っていたら怖い。と。祖父と母が話し合いをする時は理性が欠けていまいがちです。急いで母に祖父が寝てから帰るよう連絡をいれました。
母の帰宅を待って状況を説明し、祖父とは落ち着いて話すよう約束をしました。 

次の日、祖父と母が話しているのをわたしは二階で聞いていました。

わたしに話したときとは全く違う口調で勢いも余ってか、もう嫌いだ、嫌いな人は顔も見たくない、一度嫌いになったらずっと嫌いだ、なるべく早くでていけ、とまで告げていました。
血の繋がった娘に対してここまでいうのか、と呆然としてしまいました。祖父のことは聞いていたし、母はわたしに対する態度をよく気にしていましたが結構だなと思いました。

この日から文字通りの干渉しあわない生活がはじまりました。

干渉しあわないと言っても、祖父の敵対心はなぜか母にしか向いていないようでわたしとは一言程度会話というか挨拶をしていました。
ボケ防止にもなるし、祖父の近況の考えもなんとなく知れるし、母のこともさりげなく伝えられてちょうどいい橋渡しになっていました。



祖父と母は一度縁を切っていました。
わたしが祖父と初めて会ったのは14歳くらいの時でした。母は今回のことで縁を切った理由を思い出たらしく教えてくれました。祖父のこういった言動は今に始まったことではなく、見かねた父親が子供たちに同じ態度をされたら困ると提案したらしいです。祖父はわたしに対しても軽く冷たくなりましたが、挨拶はするし、家を出る時の一言も変わりませんでした。それだけはよかったと母は漏らしていました。

今回、家を出たら本当にもう縁は切る。二度目はない。と母はわたしに告げました。わたしはなんでもいいよ。と告げました。わたしは母の娘なので、何があっても母の味方でいようと決心したからです。なんなら、今までも何度も一人暮らししたくなることはありましたが、母を一人にできない一心で一緒に暮らしてきました。その気持ちが少しは伝わっているのか、今回はあなたが居てくれてよかった。18歳の時のわたしは耐えきれなくて地方の大学に勉強して勉強して入った。と言っていました。

こんな仕打ちを受けているのにもかかわらず、母は変わらず祖父のためにお風呂を洗っていました。わたしには母の心中が到底理解ができませんが、母からしたらたった一人の父親。なにをされても大切なのかもしれません。

ある日の朝、母がすごい顔で起こしてきました。
これを見て欲しいとスマホの写真を見せられました。写真はここ1ヶ月の毎朝の母の起床時間、朝食の時間、トイレの時間、家を出る時間、のメモでした。祖父が毎朝のウォーキングに行く時にたまたまテーブルにあったのを見つけてしまい、急いで写真を撮ったそうです。幸い、わたしは不規則な生活だからかメモの中に名前すら出てきていませんでした。
祖父は母の準備の邪魔にならないよう、母が出かけてからトイレにはいります。きっとこのメモを始めたきっかけは、祖父は分単位で1日のスケジュールを決める人間なので、何時ごろトイレに行けるかを決めるためだったと思います。はじめの方は母の名前と祖父の名前がメモの中に書かれていました。が、日に日に祖父の名前はなくなっていき、母の名前だけになり、外出時間に下線が引かれるようになっていました。
母ははじめ、恐怖や焦りなのかなにがなんだか理解していませんでした。理解していないというか、理解しているはずなのに脳が認識していませんでした。そして理解した途端鳥肌が立ったと言っていました。母はわたしが一瞬で気づくストーカーにも自分で気づけないくらいの鈍感な人なので無理はないですが、今回の件で結びついたことがいくつかあり、それに気づかない母にも、こんなことをしている祖父にもびっくりしました。
ただ、話しているうちに老人の戯事、引っ越すまでの辛抱と思うことにすると落ち着いていました。
 
そして話の後、母は変わらず祖父のためにお風呂を洗いにいきました。

母とわたしは次の生活に対して前向きでした。物件を調べて抽選のは応募してみよう!と意気込んだり、お互いの職場までの行き方を調べたりと意外となんでも楽しめそうだと感じていました。
母は母の兄、叔父に一応近況報告をしていました。叔父は、祖父は本気で言ったんじゃないだろうし頼むから出て行かないでくれ。と言っていました。母は悩んでいましたが、最悪の事態を考えて抽選に応募するようにいいました。

3人暮らしは約半年で終了。
母と祖父のことだから3ヶ月で終わるのではないかと笑って言っていたことを思い出し、そう考えたら結構続いたのではないかとおもいました。

外出自粛が強まり、母にお願いされわたしは仕事を休ませてもらいました。わたしは接客業で近距離で対応したり、海外の方の対応をすることもしばしばあります。怖いなぁと思いながら働くのは…と思っていつつ、わたしも母も喘息を患っているので、休むかどうか悩んでいたところ軽い症状のでている母にお願いされたので休む決意をしました。
わたしは暇だったので料理をすることにしました。その日は、以前なんとなくで作ったことがある豚キムチ丼をつくりました。ただ作るのが簡単な上に祖父からも母からも高評価、なによりわたしが食べたかったからです。
母にもお裾分けし、母が言うので祖父の分も冷蔵庫に入れておきました。
おじいちゃんの分だよ。食べなかったらわたしが食べるから無理しないでね! とメッセージを添えました。


翌朝、母は変わらず仕事に向かっていました。
朝起きると母からメッセージがありました。
祖父が泣いて謝ってきたそうで、別居はなくなった。とのことでした。

祖父が謝るなんて!と驚きました。
いつも通りおはようと声をかけに行くと、笑顔で豚キムチ丼のお礼を言われました。祖父の笑顔を見たのは久しぶりな気がしました。そして目のまわりが赤くなっていました。また心なしか祖父は優しくなった気がしました。この時、わたしにも少しは敵対心があったのかとかんじました。
母の帰宅をまち話を聞いたところ、祖父は朝豚キムチ丼を食べながらずっと涙が止まらなかったらしいです。こんなに親切に優しくしてくれるのにあんなことを言ってしまった。と、とても後悔したらしいです。
母は、祖父も歳をとった。わたしも歳をとったからこれで許せるようになった。今回は特にあなたの存在が大きい。ありがとう。と言いました。
ですが、きっと今回のことは豚キムチ丼だけではなく、母が変わらずお風呂を洗ったりしたのもあると思います。一悶着ある前は祖父と母はなんだかんだ喧嘩しつつもよく話していたので、それがなくなり寂しく感じたのもあると思います。

今回の件で、血の繋がった家族とさえ一緒に住むのは難しいことを実感しました。
そして、なにが和解の種になるかわからないということも知りました。わたしは今回ばかりは縁を切ると思っていたからです。


次の日から、家の中は普段の生活にもどりました。 

ギスギスした空気がなくなり、母と祖父が会話していることすらもなんだか幸せに感じられました。


相変わらず食事を共にすることはないですが、コロナが落ち着いたら祖父のお誕生日パーティーと題して3人で家で食事をすることに決まりました。その日が少しでもはやくくることを願っています。これからもやっぱり、干渉しあわない生活を、適度に干渉しつつするらしいです。


コロナは今も世界中で騒がれています。
自分が感染するのも、無自覚に他人を、そして親しい人を感染させてしまうのも怖いです。
でもだからと言ってピリピリせずに、今だからこそ、人のことを考えて、普段よりもっと人に優しく生きていこうと今は本当に思います。
いつ会えなくなるか、会話できなくなるか分からないからこそ、わたしはそう思います。



我が家で起きた、コロナ離婚ならぬコロナ縁切りの話でした。