カテーテルアブレーション、無事に終わりました。

いや、無事にかどうかはまだわからんのだが。

とりあえず、病院に一泊することもなく、

手術が終わったその日には家に帰ることができました。

 

病院にチェックインしたのは朝の5時半。

長男が一緒に来てくれました。

朝の五時半だというのにもう先客が。

レジストレーションの部屋はけっこう混んでいた。

患者だけでなく、みんな家族2,3人と来てるからかな。

 

そのうち名前を呼ばれてガウンに着替える。

ほぼほぼ全部脱ぐとは思っていたけど、

紙パンツぐらい履けるのかと思ったら、

すっぽんぽんとは。

 

心電図をとるためのパッチや心臓を3Dマッピングできるパッチやら、

ぎょうさんのパッチを上半身と両足のふともも、

背中や脇にペタペタと貼られた。

 

今や3Dで心臓が見れるのか。

見れるものなら私も見てみたいものだ。

 

その後ベッドのまま手術室に運ばれる。

手術室は映画やテレビドラマで見るような

大きな照明が天井からぶら下がっていて、

その脇にはいろんな器具が。

 

麻酔をかけられたら眠ってしまい、

手術は寝ている間に終わるのかと思ったら。

ここからが修行の始まりだった。

 

意識はしっかりしている。頭ごなしに医者や看護師が

喋っているのかわかる。

専門用語が多いので、意味は半分ぐらいわからないが、

医療事故になった時のためにちゃんと聞いとかないと

という意識が働き、一生懸命耳を傾ける。

 

どうやら、モニターか何かで心臓の様子を見る人、

実際にカテーテルを挿入して焼く医者が一人、

麻酔士が一人、あと2,3人の看護師というところだろうか。

 

「あ、そこそこ」とか「そこじゃない」と言っているのが聞こえる。

大丈夫か?と思いながら聞く。

"Yea, that's perfect" "Ablate”という医者の掛け声とともに、

心臓辺りが熱くなる。焼いてるのか?焼いてるんだろうな。

私の記憶では2回ぐらい焼かれた気がする。

 

結果から言うと寝ている間にすべて終了。

というわけにはいかず、麻酔が入るときも

点滴をとっている手の箇所からぐわーっと熱いものが入っていくのが

わかり、痛いまではいかないけど、プレッシャーを

感じたし、最後のカテーテルの管が抜かれて、

やれやれと思ったら、鼠径部の止血のために

プレッシャーをかけないとならないらしく、

ぐわっと看護師さんがプレッシャーをかけるので、

それが痛い。思わずのけぞる。

 

全てが終わり、リカバリー室に運ばれる。

鼠径部を動かさないようにしばらく寝ていないと

ならないらしい。「4時間このまま寝ていてくださいね」

ついてくれた私と同世代であろう男性の看護師が

優しく告げる。

 

あったかい毛布を掛けてくれ、鼠径部が痛いというと

ペインキラーを入れてくれた。

常に;何か必要なものはある?寒くない?

と声をかけてくれる。なんとありがたいこと。

 

鼠径部の出血はけっこうあったらしいが、

4時間寝た後、少し歩いてみて出血がなければ

問題ないので、家に帰れそう。

 

結局、朝の五時半に病院について、

病院を出たのは、夕方の5時半。

12時間もいたことになる。

その間長男はずっと病院内で待っていてくれた。

私も疲れたが、ただ待つだけの長男も

さぞかし疲れただろう。

 

家に帰れてほっとしているが、

肝心の心臓はというと、期外収縮は0には

なってないんじゃないかなぁ。

もともと心拍数は低い方だが、これも

改善されていない。

心電図ではずっと40前後。

時々30台になって、おいおい私の心臓

このまま止まりはしないよね?と不安だった。

 

もしかするとまたアブレーションすることになるかも?

また同じことをするかと思うとちょっと気が滅入るが、

それはそれで仕方ないかもね。

 

初めての手術。色々不安ではあったけれど、

医者や看護師、特に看護師の方はどなたも

笑顔で接してくれ、本当にありがたかった。

私にはたった半日のことだけれど、彼らはこれを

毎日しているわけで。

彼らの笑顔に救われた一日でした。

 

しばらくは重いものを持つのは禁止。

運動は1週間以上してはだめ、など

制約が。普段元気に過ごせていることが

どんなにありがたい事かを実感する一日でも

ありました。