クラゲは伊良部だけではないのブログ
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日記

人は何故日記を書くのか?
以前からものすごく気になっていたことの一つだが、、

先日、何かを考えて、今はもう何を考えていたのかは忘れてしまったが、
何かその時感じだ気持ちや感情を覚えておこうと思ったのだが、
「数日後には、いや次の日には忘れてるんだよな、いつも」と思った瞬間、
日記はそれを書き留めておく為のツールなのか、と偶然ひらめいた。

日記を書いている人からすれば「そんなこと当たり前だろ」、と一笑に付されて終わりなのだろうが、
これはささやかな発見だった。
その日にあったことを記録する事で、そのときに何を考えたか、何を感じたかを思い出す事ができるなんて、なんて便利なんだ!と思ったのだ。

いや、でもそれは何故便利なのか?

便利というと語弊がありすぎるかもしれないが、人はそれなりに学習する生き物である、
と同時に恐ろしく忘れやすい性質を持っている。当たり前だけど。
「この言葉感動的だな」「この人の行動に感銘を受けた」「映画を見て目頭があつくなった」など
という感情は恐ろしく一過性で、酒をあびるように飲んで寝てしまった次の日には、
どんだけ前夜に熱く語り合った親友との言葉でさえもとっくに冷えきっていて、いつしか冷凍庫の奥の奥の方に押しやられてその存在を感知されることなく、大掃除だか引っ越しの時などに、ふと見つかってしまうように(見つかるだけならまだマシだが殆どの言葉や感情はこの∞の冷凍庫の中に凍結されて、忘れ去られたまま一生を終えることが多いと思う)、記憶の奥底へと、それはもう限りなく奥の方へ追いやられてしまうことが殆どだ(忘れてしまう、ということはなかったことにしてしまうことではなくて、一度はインプットされはするものの、そのまま、脳の記憶のハードにとてもアトランダムに情報が分解•配置されて、原型もとどめないままどこかに保存されているイメージだ)。

何をいいたいかというと、かなり飛躍して結論だけを先に言うと、、、
もう既に本当に言いたい事を忘れてしまっているのだが、、、

戦争体験を伝えようとか、侵略の歴史を記憶しよう、などの人間の営みは、過去に起きた事なので、
今を生きる人たちにとっては割にリアリティーがなく、時としてどうでもいい、というような受け止め方をついついしてしまうのだが、どうしてこういう営みがなくならないのかというと、
「二度と戦争や侵略を起こさせない為に歴史を学ぼう」という考えではなくて、
そう強く感じた人たちが、その時の感情や考え、思考を絶対に忘れない様に、日記を付けていたからこそ、こうした歴史をめぐる営みはなくならないのだ、ということを先日感じ、日記って凄いなと思ったのだ。

…誇大妄想をもう少し広げみたいと思う、、