地球に生まれて 26-8 人生の舞台と言うシナリオ | meginvegasのブログ

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ラスベガスの日常生活と、スピリチュアルなお話し。






キャンダスやCodyの描いた人生計画を実行するにあたり、彼等が人間界で出会う人々全てが、完璧なタイミングと、その場面に重要な意味を持つ人 それぞれの個性を持ちながら、必要な時、必要な場面に 彼らの目の前にあわられる様に組み込まれていた。

人生というのは、この世に生を受けて 死ぬまでの 、まるで 舞台の様だ。

ただし、生まれてくる前に、どの様なシナリオを書いて今回の人生に挑んだかは、人間の肉体を持った時点で、全てを忘れる様にプログラムされている。

そして、その舞台のシナリオは、綿密に計算され、それぞれの配役から、性格から、その配役の個性を創り出す上の家族構成まで、1ミリの狂いもない程精巧に作られていた。

それゆえ、この世で出会う・縁のある人々は、いかなる場合でも意味がある存在と言える。

その出会いが、良い出会い悪い出会い、好きな相手、嫌いな相手であろうとも、その時期に学ぶ必要がある場面を作る為に、その相手はタイミング良く目の前に現れ、私達に魂のレッスンを届ける為に、それらの人物は用意されている。


ここで疑問に思った事があった。

もし、キャンダスの教えてくれたように、生まれてくる前に、今回の自分の人生のシナリオを作り、この地球にやってきたとしたら……

人それぞれに与えられた、舞台のシナリオ  = イコール、運命というものは、最初から定められていて、どんなに努力しても、それは変える事が出来ないのか?
と言う疑問だった…

だって、台本は出来上がっているのだから……

例えば、自分が、40歳の時に、癌が発病したとして、もしも生まれてくる前に、"癌で43歳の若さで死ぬ"
とシナリオを書いてこの世にやって来たので、癌の手術を受けようが、抗がん剤を投与しようが、全く無意味な事なのでは無いだろうか?
どうせ、後、3年後には死ぬんだから
……確かに、自分の書いたシナリオの事は忘れていたとしても、死が近付いている事を、何かしら感じ取ってしまうのではないか?
と、こんな風に考えてしまう人が多々いるのでは無いかと思ってしまった。


その疑問には、イレブンが答えをくれた。

人生のシナリオ、 もしそれを運命と呼ぶとしても、そのシナリオは、生きていく上で、そのシナリオに有る程度伴って一つの人生を全うする場合もあれば、書き換える事も出来ると言う。それらは、個人によって、千差万別だという。

オーラ というのをご存知だろうか?

人間 一人一人の体の周りにまるで電磁波の様で、見えないエネルギーのゾーンが存在する。

オーラとも呼ぶが、これは、身体エネルギーのバイブレーションだ。

世の中には、人のオーラの見える方もいらして、そのオーラの色や大きさによって、その人がどういう状態にあるか、助言を行ったり出来る方がいる。

その様に、オーラは顔や手や胴体や足の様に、目で見えるものでは無いが、人間の体の目に見え無い部分に確実に存在している。

私達は、そのオーラ または、身体エネルギーのバイブレーションの周波数によって、それに見合った人間を自分の周りに引き寄せたり、毎日の生活の状況が変化したり、健康状態に影響を与えたりしているのだという。

オーラや 身体エネルギーのバイブレーションの周波数は、常に変化し続けていて、それに合わせて、シナリオ = 運命だと思っていた事も、刻一刻と変化し続けると言う。

先の極端な例の様に、40歳で癌に侵され、自分はどうあがいても、後3年くらいで死んでしまうと思い込み、恐怖や絶望ばかりを毎日考えていれば、本当にその様に、シナリオは進み、また、何故癌に侵されてしまったのか?人生を嘆くのでは無く、恐怖心を捨て、絶望的な状況からでも、希望を見出すように、今までのものの見方を全く違う方向に変える事で、シナリオはどんな風にでも書き換えていけるのだという。

また、シナリオは、長生きをしたいと言う目標だけで無く、時と場合によっては、反対の方向にも作用してしまうと教えてくれた……

例えば、魂の状態で掲げあげた人生のシナリオが、実は人間界では、非常に厳しく、困難だと感じられた場合に、人生を諦めると言う選択肢が、シナリオには無いにもかかわらず、その場でシナリオを書き換えてしまうパターンも有るという。

ハッキリ言うと、死ぬはずで無かった人間が、突然死を選んでしまったという事らしい。

これを、人間界にいる私達側から見ると、"なんて可哀想" と言うのが一般的な感情で意見だろうが、イレブン曰く、そこで、突然の死を予定に無く選んだとしても、それは、亡くなった人が、どうしても魂の状態に戻る必要性を感じたからであり、全てをチャージし直す事を選択したから起こった事。肉体を去って、尊い魂の状態になるという事は、そこで更にパワーアップし、次に人間として生まれ変わる為準備を行う為。そして、1人の人間がこの世を去るという事で、それを見守る家族や、その人の死に関わった人々に、必ず何か学ぶ題材を残していくので、何一つ無駄にはなら無いと言う。

だからと言って、命を自ら粗末にする事を選べと言っているのでは無い


最後に、私はキャンダスに聞いた。

今回の ビル と キャンダスの死に対して、ブログに書き残してもいいかという事、その際、キャンダスの 好ましくない、彼女が人間だった頃の事を書く事になるけれど……と。

キャンダスの魂のエネルギー体はこのようにメッセージをくれた。

「人間であった頃の 姿や 性格は、あくまでも 人生と言う舞台の一部。魂の本来の姿ではないのは、あなたが良く知っている。
どんな風にでも、Megの好きなように表現して。
あなたは、この経験を、Cody を通じて、外側から客観的に見る事が出来る。そこから学ぶ様々な貴重なものを得る為に、この舞台のキャストの一員として名乗りを上げたのも、あなた。
その経験を、文字に表し、また人に伝える事によって、そこからまた何かを学ぶ人が増える。それが、たった1人であっても、その人もこの人生の舞台のシナリオに名前の載るキャストに違いはないから。」



人生の舞台と言うシナリオ (完)