今じゃ海賊は コピー・ぺーの著作権侵害者を指す事が多い
海賊と呼ばれた男の田岡氏は
出光佐三がモデルのようである
が、
中国の女海賊・鄭夫人の「海賊経営術」とは
2. 海賊王・鄭乙(チェン・イー)
その後も中国沿岸では大なり小なり海賊たちが出没しその都度、清政府による討伐隊が組織され、という「トムとジェリー状態」が長い間続いていました。
時は移ってアヘン戦争勃発の直前。
インドで生産されるアヘンが中国南部から大量に清国内に流入し、海上貿易は活気に湧いていました。
この状況に海賊どもが指を加えて見ているはずありません。
清政府はアヘンの流入を禁止しましたが、アヘンの密貿易は年々と拡大。おそらく海賊たちも密貿易に一役買っていたでしょう。
すると密貿易に加担する海賊たちの政府の取り締まりが厳しくなってきた。
「これまでのようにバラバラに行動しいがみ合っているようでは、いずれ1つずつ潰されていくに違いない。我々も団結しなくては」
1805年頃、海賊の首領で鄭乙(チェン・イー)という男が現れ、このように唱えました。
鄭乙は海賊たちを説得して周り、とうとう複数の海賊団を1つの連合体に取りまとめてしまった。
この海賊連合の武力は脅威的なものがあり、艦隊数は合計で6。それぞれ赤旗艦隊、黒旗艦隊などの色がつけられ(その他にも黄・白・青・緑があった)、一艦隊につき少ないもので70隻を保有していました。
中でも最大・最強だったのは赤旗艦隊で、保有する船は300隻、戦闘員は2万〜4万という規模。
清朝側からすれば、突如現れた一大武装勢力で脅威以外の何者でもなかったでしょう。
知財経営から見て海賊経営は対照的な天敵なのであろうか?