・2030年までに人類の約半数は体重過多になる。2010年飢餓と栄養失調で100万人が死んでいるが、肥満による死者は300万人。
・飢餓、病、暴力による死を減少させたことで、人類は老いや死すらも乗り越えようとしている。人類から神へ、ホモ・サピエンスからホモ・デウスへ。
・Googleは"死を解決する"子会社Calico設立。500歳まで生きることが可能と主張。
・健康、幸福、権力を追い求めることにおいて、もはやヒトとは呼べなくなるまでずっと第一優先を次々と変えていくだろう。
・新たなテクノロジーの使用に関し、いくつかの選択肢があるので、テクノロジー自体が我々に対し何かを決断してしまう前に、何が起きようとしているのかを理解するべき。
・一部の人間は神のようにスーパーメモリーとスーパーインテリジェンス、そして不死性を手に入れるが、人類の大部分そこまで行かずにとどまる。
・歴史を学ぶ最善の理由は、未来を予言するのではなく、過去から解き放たれ、代わりの運命を想像することである。もちろん完全な自由ではない。過去から形成されたことを避けることはできない。しかし、何もないよりは自由があった方がましである。
・振り返れば、多くの人がファラオの没落や神の死は肯定的な発展だったと考えている。人間主義の崩壊も有益だろう。未知のものを恐れるため、人々は大抵変化を恐れる。しかし、歴史の唯一最大の定数(constant)はすべては変化するということ。
・現代西洋人は、自分たちが爬虫類から進化したと考えている。脳は爬虫類の核から作られているし、体の構造は変化した爬虫類のものである。
・アニミストは人類をあまたある動物の中の一つと見なす一方、聖書では唯一の創造物であり、我々の中にある動物性を知ろうとすることは、神の力や権威を否定するものである。現代人類が爬虫類から進化したものであることが明らかになったとき、神に反抗し、耳を貸すのを止める、さらには神の存在を信じることを止めるだろう。
・バイオテクノロジー、ナノテクノロジーや他の科学が成熟すると、人類は神の力や聖書に出てくる知恵の木へと一周してもとに戻ってくるだろう。
・古い狩猟採集民はもはや別の動物である。農夫は自身を創造の頂点と見なした。科学者は人類を神へと昇華upgradeさせる。
・進化論と一緒に魂の存在を公正に扱うことはできない。進化は変化を意味し、永遠の生物を生み出すことはできない。進化論的見通しから、我々が保持している人類の必然に最も近いものはDNAである。DNA分子は永遠の座席というよりも変化の形跡を残した彫り物である。これが魂の存在をあきらめるというよりも進化論を拒否する傾向にある多くの人々を恐れさせている
・チューリングテスト(アラン・チューリング:イギリスの数学者、コンピュータ科学者。彼はゲイで自ら命を絶っている)は1950年代イギリスでゲイがしなければならなかった平凡なテストの類似のものである。チューリングは自分が本当になんであるかは個人の経験とは関係がなかったことを知っていた。他人が自分をどのように考えていたことのみが関係していること知っていた。チューリングによると、将来はコンピュータが1950年代のゲイのような立場になる。コンピュータに本当に意識があろうがあるまいが関係ない。それは人がコンピュータの意識をどう考えるかによってのみ決まる
・もし私があなたを知らなかったら、どのように協力できるだろうか。サピエンスのみが非常に柔軟な方法で数えきれないほどの他人と協力することができる。永遠の魂やある独特の意識というよりは、この具体的な能力が地球の支配者であることを説明する。
・サピエンスはよく視覚的な印を使う。たとえば、ターバン、ひげやビジネススーツであるが、それは「わたしは信用できますよ、私はあなたと同じ話しを信じます」というシグナルである。サピエンスの仲間であるチンパンジーは、そのような話しを発明することも広げることもできない。それがチンパンジーが多数と協力できない理由である。
・21世紀は虚構が地球上で最も有力な力になり、惑星や自然淘汰を越えるだろう。それゆえ、未来を理解したいと思うならば、遺伝子の欠陥を計算することでは十分ではない。世界に意味を与える虚構を解明しなければならない。
・物語を作ったり、想像上のもの(entity)を信じるのは奇妙に聞こえるかもしれない。しかし、現在は米国(米国と言う実体はない)が最初の核爆弾を作ったと言うし、中国が 長江三峽ダムと作った、Google(Googleという実体はない)が自動運転カーを作ったと言う。なぜファラオやソベク(古代エジプト神)が作ったと言わないのか。
・今日ですら米国大統領は誓いを立てるとき、聖書に手を置く。米国やイギリスを含む多くの国でも似たようなもので、裁判所で、真実、すべての真実、真実以外の何物でもないと誓うときは聖書に手を置く。多くの虚構や神話や誤りであふれている書物に手を置いて、真実を話すこと誓うとは皮肉なことである。
・21世紀では、どの前時代よりも、もっと強力な虚構を持った全体主義的(個人の利益よりも全体の利益が優先し,全体に尽すことによってのみ個人の利益が増進するという前提に基づいた政治体制)な宗教を作り出すだろう。バイオテクノロジーやコンピューターアルゴリズムのおかげで、これらの宗教はその瞬間の存在をコントロールするだけでなく、我々の体、脳や心を形成することができるだろうし、地獄や天国のあるバーチャル世界を完全に作ることができるだろう。虚構と真実、科学と宗教を区別できることは、今までよりももっと難しく、もっと重要になる。
・現代科学はどのようなに宗教と関係しているか。実際は科学と宗教は500年の結婚のあとも、互いによく知らない夫婦のようなものである。
・たまたまあなた自身が共産主義者であったら、共産主義とキリスト教信仰は異なるものと議論するかもしれない。共産主義は正しく、キリスト教は間違っているから、と。階級闘争は資本主義に受け継がれたが、資本家は死んだあと、実際地獄で永遠の拷問に苦しまないし、それは共産主義が宗教ではないことを意味しない。むしろ、共産主義は一つの宗教であることを意味する。宗教の信仰者はみな、自分たちの宗教のみが正しいと主張する。
・大学や研究室でさえ、宗教的背景を求めている。宗教は科学調査に対し、倫理的正当性を与える。あるいは科学がするべきこと(agenda)や科学の利用法に影響を与える。それゆえ、宗教的な信条を考慮することなく、科学の歴史を理解することはできない。科学者は滅多にこの事実に言及しないが、科学革命は歴史上、最も独断的で偏狭な宗教社会の一つの中で始まった。
・もし吸血鬼A(チスイコウモリのメスは将来の自分の生存に有利になるように仲間に血を分け与えていることが明らかになっているが、それを例に)が吸血鬼Bに10センチリットルの血を借りたら、Bは同じ量を返すだろう。新しいビジネスに融資をしたり、吸血市場の成長を助けるために吸血鬼は借りを作らない。というのは、血液は他の動物から生成されるものであり、吸血鬼はその生産を増やす方法がないからである。血液市場は上下するが、吸血鬼は2016年より2017年が3%増加するとも、2018年が同じように3%増加するとも予想できないからだ。その結果、吸血鬼は成長を信じない。何百万年もの進化の間、人類は前述の吸血鬼のような環境の中で生きてきた。その故、人類もまた成長を信じることが困難なのだ。
・日本のナショナリスト安倍晋三は、20年以上も停滞した日本経済を活性化することを誓い2012年に登場し、彼のアグレッシブかつ異例の施策はアベノミクスと名づけられた。
・資本主義は再びすぐに市場の見えざる手にすべての信用を与える。しかし、市場の手は見えないだけではない。人間社会を救うはずがない。事実、一国ですら、神々、王、協会の力なしに維持することはできない。もし裁判所や警察を含むあらゆるものがが売りに出されたら、信頼は消失し、信用は消え、ビジネスは枯れる。崩壊から現代社会を救ってくれるものは何か?人類は需要と供給の法則だけでなく、むしろ革命的な新しい宗教―つまりヒューマニズムの興隆によって救われてきた。※ヒューマニズム(人文主義、人本主義、ギリシャ・ローマの古典研究によって普遍的教養を身につけるとともに、教会の権威や神中心の中世的世界観のような非人間的重圧から人間を解放し、人間性の再興をめざした精神運動)
・神の存在を信じるならば、それは信じるという「私の選択」である。自分の内なる声が神を信じるならば、私は信じる。私が信じるのは神の存在を感じているからであり、私の心が主はそこにいると言っているからである。しかし、もはや神の存在を信じなければ、あるいは私の心が突如神はいないと話しかけてきたら、私は信じるのをやめる。真のauthority(自由裁量、決定権)の源は自分自身の感覚である。神を信じていると言っている間でさえ、真理というものは自分の内なる声の中に、ずっと強い信念を持つということなのである。
・生物が何を食べ、何とつがいになるかを「自由に」選択しているならば、自然淘汰はまったく作用していないことになる。
そのような科学的な説明に直面した場合に、人間はそれを無視し、自由を感じているし、自分たちの希望や決定に従って行動していると指摘する。これは真実である。人類は欲望に従って行動している。自分たちの欲望に従って行動するという能力を「自由意志」とするならば、それは正しく、人類は自由意志を持っているし、チンパンジー、犬、オウムもそれは同じである。
オウムのポリー(オウムによくつけられる名前で日本の犬のポチのようなもの)がクラッカーを欲しければ、ポリーはそれを食べる。しかし、百万ドルの疑問はオウムや人間が内なる欲望に従って行動できるかどうかではない。疑問は我々の欲望が第一優先として選択できているか、ということである。なぜポリーはキュウリではなく、クラッカーが欲しかったのか?なぜ私はいらだたせられる隣人に反発する代わりに殺すことを決めたのか?なぜ私は黒い車よりも赤い車を購入したいと思うのか?私はそれらの意志のどれも選んでいない。自分自身の中で湧き上がってくる特別な意志を感じている。というのは、これは私の脳内で生化学的なプロセスを経て作られた感情だからである。これらのプロセスは決定論的、あるいは行き当たりばったりであるかもしれないが、自由というものではない。
・これらは単なる仮説や哲学的な推測ではない。今日我々は人々が自分の欲望や決定に気づく前に、それらを予見する脳スキャンを実施することできる。巨大な脳スキャナーの中に入り、それぞれの手にスイッチを持つという1つの実験がある。被検者は自分が好きだと感じる方のどちらかのスイッチを押すように説明を受ける。脳内の神経活動を観察している科学者はどちらのスイッチを被検者が押すか、被検者が実際に行動する前や、さらには被検者が自分の意志に気づく前ですら予測することができる。人の決定を指し示す脳内の神経事象は、自らの選択に気づく「前の」数百ミリ秒から数秒に始まっている。右か左のボタンを押すという決定は確かに自らの決定を反映したものではある。だがそれは「自由な」選択ではない。事実、自由意志の中に存在する我々の信条は、不完全なロジックの結果である。生化学的な連鎖反応により、右のスイッチを押したいと思わせると、本当に右のスイッチを押したいと感じる。これは事実である。私は本当にそれを押したい。しかし、人間は自分がそのスイッチを押したいならば、押したいということを「選択する」と誤って早合点しがちである。
・何世紀もの間、クリスチャン、ムスリム、ユダヤ教徒の神学者は、魂と意志の関係性を議論してきた。彼らはどの人間も内なる実体、つまり魂と呼ばれる本当の自我を持っていることを想定している。私は自分の服を選ぶのと同じように自分の欲望を選択する。よい欲望を選択すれば、天国へ行く。悪い欲望を選択すれば、地獄へ行く運命にある。自分は本当にどのように自分の欲望を選択したのかという疑問が沸きあがる。例えば、なぜイブは蛇から与えられた禁断の果実を食べたかったのか?強いられた欲望だったのか?この欲望は純粋は偶然彼女の心の中にひょいと入ってきたのか?あるいは彼女は「自由に」その選択をしたのか?自由な選択をしていなかったら、なぜ彼女は罰せられるのか?
しかし、一旦魂や内なる実体がない、ということを受け入れれば、もはや「真の自分がそうしたかったのか?」と問うことに意味はなくなる。
・極端に複雑に聞こえるかもしれないが、この考えは驚くほど簡単に試すことができる。次のタイミングで、ある考えが心にひょいと生まれたら、立ち止まり自分に聞いてみればよい:なぜこの特別な思いを考えたのか?私はこの思いを考えることを1分前に決めていたのか?あるいは、これは私の方向性や許可なしに沸きあがったものなのか?もし私が自分の思いや決定の本当の支配者であるならば、次の60秒間に何も考えないことを決めることができるのか?
・ロボラット研究室では、ラットに電極を埋め込み、左右に動かすことも、はしごに上らせることも、ごみの匂いを嗅がせることも、ラットが普通嫌がることですらさせることができる。結局のところ、ラットの欲望は神経細胞の発火によるパターン以外のなにものでもない。人類への実験でも、ラット同じように、操作することができることが示されているし、人間の脳の適切な箇所を刺激することで愛、怒り、恐れや気の落ち込みのような複雑な感情でさえ、生成することも消滅させることも可能なのである。
・我々のほとんどは、自分のことを物語る自我(narrating self)と同一視している。「私」と言うとき、それは頭の中の物語を意味しているのであり、自分たちが刻々と受ける経験の流れではない。その物語の筋が嘘や空白でいっぱいであっても、また何度も何度も書き直されて、結果として昨日の物語と矛盾していても問題ではないのである。重要なのは、我々が生まれてから死ぬまで不変であり、唯一のアイデンティティを持つという感情をいつも持っていることである。このことは、私は個人であり、全宇宙に意味を与える明確で一貫した内なる声を持つ、と言う疑わしく自由な信条を引き起こす。
・人生の意味とは何か。何か外部のもの(entity)が、出来合いの意味を与えてくれることを期待するべきではない、と自由主義は言っている。
・ライフサイエンスは自由主義を侵食していることや、自由にふるまえる個人は生化学的なアルゴリズムの集合によって結び付けられた虚構の物語である、という議論をしている。
・中世の十字軍は神や天国が自分たちの人生に意味を与えると信じていた。現代の自由主義者は個人の自由意志が人生に意味を与えると信じている。それらはいずれも妄想である。
・自由意志や個々人の存在に対する疑いはもちろん新しいものではない。2000年以上前のインド、中国やギリシャの思想家は、「個々の自我(individual selfは幻である」と議論していた。

1.私は分けられないもの(in-dividual)である。つまり、私はそれ以上部品や部分システムへ分割できない唯一の実体を持っているということである。内部の核は何層にもラップされている。しかし、私が外側の皮をむく努力をすれば、本当の自我である明確で唯一の内なる声を自身の奥底に見つけることができると思っている。
2.真の自我は完全に自由である。
3.前の二つ項目から、他の誰もが発見することができない自分自身に関する事柄を私は知ることができるのは当然である。私だけが、自由という自身の内なるスペースにアクセスするし、私だけが真の自我のささやきを聞くことができる。これが、自由主義が個人に権威を与えた理由である。私が物事を決めるのに、他人を信用することがないのは、誰も私が何者であるか、どのように感じているか、何を欲しているかわからないからである。これは投票者本人が最適な解を知っているということであるし、消費者が常に正しく、美はそれを見る人の眼次第である。(蓼食う虫も好き好き)
しかし、ライフサイエンスは以下のような仮説を挙げる。
1.有機体はアルゴリズムであり、人類は個々人ではない。つまり、人類は「分けられるもの」の集まりである。人類は単一の内なる声や唯一の自我を欠いた多くの異なるアルゴリズムの集合である。
2.人間を構成するアルゴリズムは自由ではない。そのアルゴリズムは、遺伝子や環境的な圧力によって形成されるであり、決定論的あるいはいきあたりばったりに決定するが、それでも自由ということにはならない。
3.外部のアルゴリズムが理論的に、自分自身を知るよりももっと深く知ることができるようになるのは当然である。自分自身の体や脳を構成する各システムを監視するアルゴリズムがあれば、私が何者であるか?私がどのように感じているか?私が何を欲しているか?を正確に知ることができるだろう。一旦そのアルゴリズムが開発されれば、投票者、消費者や見る人はアルゴリズムに取って代わられる。アルゴリズムが最適な解を知っているし、アルゴリズムが常に正しく、美はアルゴリズムの計算結果の中にあるだろう。
・医学革新にも関わらず、2070年の貧困層の人が今日よりもよい保険医療を受けられるかは定かではない。なぜなら、国やエリート層が貧困層へ興味を失っているかもしれないからだ。
1914年日本のエリート層は、貧困層にワクチン接種をしたり、貧困街に病院や汚水処理システムを作ることに関心を持っていた。なぜなら、そのエリート層は日本を強力な軍隊や経済を持った強い国家にしたいと考え、多くの健康な兵士や労働者が必要だったからである。二十一世紀において、もっとも効率的な戦略は、無用な三等車を手放し、ファーストクラスのみを猛進させることかもしれない。日本と競争するために、ブラジルは何百万もの労働者よりも一握りのアップグレードしたスーパーヒューマンが必要なのかもしれない。
・Cope社の人工知能Annieは、2011年Comes the Fiery Nightの中で2000(人間作のものも含む)もの俳句を世に出した。この本は人間かAnnieのどちらが作った俳句かは明らかにしていない。
・データイズム(データ主義)によると、人類の経験は神聖なものではないし、ホモサピエンスは万物の霊長でも、未来のホモデウスの前身でもない。人類はInternet-of-"All"-Thingsを形成する単なる道具であり、IoATは全宇宙に広がるかもしれない。この宇宙のデータ処理システムは神のようなものであり、どこにでも存在し、すべてをコントロールし、人類はシステムに統合される運命にある。この考えはいくつかの伝統的な宗教の未来像(vision)を思い出させる。ヒンズー教では人間は宇宙の永遠の魂に融合できるし、するべきと信じられている(アートマンと呼ばれる)。クリスチャンは、死後に聖者は神の果てしない愛に包まれ、一方で罪人は神の存在から切り離されると信じている。
・二十年前、日本人旅行者は、普遍的な笑いぐさだった。というのも、いつもカメラを持ち、何かれ構わず写真を撮っていたからだ。しかし今や誰もが日本人のようにしている。もしインドに行って像を見たら、像を見ずに、自問して欲しい。私は何を感じているか、と。あなたはスマートホンを探すのに忙しく、像の写真を撮り、Facebookにそれを投稿する。
1.科学は対象範囲の広い教義に集まってきている。その教義によると、有機体はアルゴリズムであり、人生はデータ処理である。
2.知性は意識とは切り離されているものである。
3.無意識だが高い知性を持つアルゴリズムは間もなく、人間が自分自身を知るよりも、もっとあなた自身を知ることになるだろう。
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crave for 熱望する
ephemeral = fleeting はかない
upheaval 激変
may well するのももっとも←<副詞>十分に~かもしれない
obesity 肥満
propehcy 預言、お告げ
alas ああ!悲しいかな!
devout=pious 敬虔な 信仰にdevouteする
archaic 古い
apex 頂点
intrinsic 本質的な
replete 満たされた cf plenty
concede 譲歩する con + cede(to go)
fulfill 果たす
mundage 平凡な
decipher 読み解く、解読する
sanctify ~を神聖にする、正当化する cf sanctuary
sentient 意識のある、知覚のある
flee 逃げる
unravel(=ravel) 解く
confine 制限する
bureaucrat 官僚
harness につける、利用する
yardstick 基準、尺度
deity 神、神性
evangelical 福音の、よい知らせ、キリストの教え(エバンゲリオン)
decreee 法令
covenant 契約、聖約
forge 偽造する
trump 人を負かす、切り札を出す
stagnant 停滞した、不景気な cf stagflation
obsess 悩む cf posses -sess=sit
pied piper ハーメルンの笛吹、人を巧みに誘導する者
rein in ~を抑える
resulting [形]結果として生じる
empirical 経験上の cf experimental
aesthetic=esthetic (a-の方が伝統的な綴り)
pose 持ち出す pose a question質問する、pose a threat 脅威を与える
undermine 徐々に損なう、むしばむ(~の下underを掘ってmine弱らせる)
relentless (何度も貸すre-lent=寛容)容赦ない←寛容ではない
regime 体制、政権
enfranchise 参政権を与える
convincing [形]説得力のある
run-of-the-mill 平凡な、ありふれた mill:工場、←工場で大量に生産されるもの、という意味
alternatively 代わりに、あるいは
behold 見る(古語)
dismantle 分解する、取り除く、mantle=マントで覆う
dire 悲惨な eg)dire warning 緊急警告
fathom (心中を)推測する eg)I cannot fathom what you mean. 言ってることがわからない
encompass 取り囲む、包含する←~の周りにコンパスで円を描く