あれだけブログにいろいろ書いてたのに、
今は正直、あの異常な生活を思い出したくなくなっている。

 
裁判は今のところは弁護士に任せていて、ここしばらくは、
思い出さなくてよかったし、
時折襲われるどんよりした胸の重みを、何とか
やり過ごすだけでよかった。
  

自力で裁判に臨んで復縁を主張したいらしい夫。
 

現状の変化を人並み以上に怖れる性格からいって、
当然私は帰ってくると思ってるだろうし、
思いたいだろうし、
それ以外の可能性など絶対認められないはず。
 

きっと、離婚裁判を申し立てられたら、などという検索ワードで、
夜な夜な誰かの例や専門家のブログやらを読んでるに違いなく、
自分の頭で考えたりせず、誰かのやり方、誰かのアドバイスを、
忠実に実践してるんだろうと思う。

 
この前で裁判は4回目。
前回も夫側の主張だったのに、今回も証拠出したいとかで、
夫の番だったらしい。
 
 
前回同様、夫婦仲がよかったことを証明する為、
写真を証拠にしてるとか。
 
 
これ、笑える。
 
 
提出されたとかいう写真の中に、母のお祝い旅行や、
京都に行った時の写真があったらしい。
 
 
それこそ、最悪のいきさつがあったもので、
こちらの提出してる音声記録の根拠だったり、
京都に至っては、あまりのストレスで、
吐き気に耐えながら死ぬ思いでホテルにたどり着き、
ひどい嘔吐に見舞われたのであって、
それを知っていながら、
「仲がいいんです実際は」と言える夫の神経がわからない。
 

裁判とはこういうものかと、
以来、前にも増して気持ちが重くて何もやる気が起きなくなった。

 
自分の言ってることの方が真実だ。


そう主張し合うのが裁判だと分かってはいたが、
本当に裁判官にどう判断してもらうかが大事なので、
自分の苦しさとか惨めさとか悲しさよりも、
「確かに婚姻生活は破綻している」と証明できないといけないんだ、
そう実感した途端、罵倒され続けてた日々に匹敵するぐらい、
困惑と憂鬱と脱力感に襲われて、それは今も続いている。
 
 
更にこちらは暴言の証拠を出す必要があると。
 

ということは、あの気ちがいじみた夫の罵倒を聞いて、
文章に起こす作業をしなければいけない。
 
 
何といっても、それが一番のストレスで、
健康にも良くない。
 

ただでさえ、私には日常生活が失われていて、
何も普通にできていない。
部屋の片付けも、4月に最後の荷物を運び出したときのまま、
段ボールの中とか、その辺に重なってたりと物が片付けられていない。
 
好きだった料理も、何ヵ月もしていない。
5月にやっと、ゆで卵を作ったのが、
引っ越してから初めての調理らしいことだった。
6月になってから、
ひじきの煮物と、ほうれん草のごま和え、かぼちゃのサラダと、
少しずつ包丁も使うようになったが、やっぱり今は、
そんな気になれなくなってしまって、
私は何がしたいのかと自問してしまう。


1年ぶりに膀胱炎にもなった。
何やってるんだか。
毎日そんなことを思ってしまう。
 
 
心の状態がよろしくないと自覚はあるが、
仕事の関係でそういう方面の勉強をしてただけに、
そっちに引っ張られないようにする行動は心がけている。
 

それでも、まだ私は恵まれていると思えるのは、
仕事が気晴らしになっているところか。
それと、今より若かった頃にこの人の子どもはいらない、
と決められた自分の判断力も救いになってるか。

 
とはいえ、子どもがいたら心強かったのか、とか
この先ずっと一人きりで暮らすのか、とか
ちゃんと人生を歩めてない自分が見えてしまったりもする。
結局ダメな自分を自覚してしまう。
 
 
でも、仕事の時間は、こんなどうしようもない私生活は忘れられるし、
休みの日は私が大好きなことを強制的にスケジュールに入れたり、
出張でお気に入りのホテルに泊まるとか、
何とかバランスをとることに神経を使えてはいる。


あまりに鬱々としていて、
とうとうブログを開いて久しぶりに入力もしている。
 

絶対元に戻ることはないのに、
あれ買ってほしい、これをしてほしいと、
以前と変わらず言ってくる夫。
 
 
警察に言われて以来、直接の連絡は控えていて、
弁護士事務所に手紙を送ってくる。
何も変わってないし、変わることはあり得ないから、
裁判に訴えたので、今さら嘆くことでもない。
 

とにかく気が重い。
あの日々の音声録音をまた聴くと思うと。