ガンダムUC好きのしがない大学生ブログ

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タイトルそのままで、「機動戦士ガンダムUC」好きの、就活控えた大学生が、日々考えている、でも誰かに話す程でもない事を、ひっそりと発信していこうと思います。何も知らない若者の、薄っぺらい考えを、ほんの少しでも見ていただければ、と思います。

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髪の色が……
プリンになってきた…
もうでも、黒が1番いいなぁ(笑)


僕は、よく教育に関する講義を受講します。それは、教師を目指していたことがあるから、なんです。

今は、目指していません。なんでやめたの?と言われれば、色々と言い訳をしたくなるのですが(笑)

あえて正直に、授業が増えることがしんどかったのです(笑)いわゆる「免許」を取得するための授業量が、とても多かった。

家から大学までそれなりに距離があり、かといって下宿するよりは通学の方が安くつく距離で……。
免許の授業に全て出席しようと思えば、早朝にでて、夜遅く帰ってくることになります。

「学生だ、勉強しろ!」と言われれば、返す言葉もないのですが。

でも、「教育」にはずっと興味があります。というのは、今までは僕達が教育される側でしたし(社会に出れば、当分の間、また教育される側となるのですが)、自分に子どもが出来た時、「教育はどのように変化しているのか」、を勉強したかったのです。


しかし、これもまた正直に言えば、大学の講義で、そういう授業はあまりありません。
「今ある教育をどうするか」
これを考える講義がほとんどです。


つまり、「今」に焦点を当てている。
もちろん、今の教育にも、問題は多数存在しています。

しかし、僕は「未来」に興味があった、というか、あるのです。

どういうこと?となるかもしれませんが、ものすごく単純な話で考えてみましょう。

「漢字の読みは得意なんだけど、書くのは苦手なんだよね」
大多数の人が、書けないけれど、読めるという人達だと思います。
小学生のときの「漢字ドリル」
読み、は満点なのに、書き取り、は半分くらいでした。
「書けるようにしておかないと、大人になって、好きな人にラブレターを書く時、困っちゃうよ」と先生に言われたことがあって、子どもながらに不安だったのを覚えています(笑)

そう、先生は、将来僕が恋人を作るツールはラブレター、つまり手紙だと思っていました。実際、僕が中学生になっても、誰かに告白する、となれば、手紙を書いていました。

しかし、高校生になって、携帯電話が普及。大学生の今では、スマホを全員持っている。さらに、社会に出てからは、今ではコンピューターで書類を作成するようですよ。
漢字は、「予測変換」ですぐに出てくるようになりました。

予測変換は、日本人が
「読むことは出来るけれど、書くことは出来ない」
という性格を持っていることに着目して出来たものだと思います。

そう考えると、
「漢字を書く機会が少ない」のです。しかし、この原因は子ども達にあるわけではありません。
これは、時代の流れでそうなったものです。

スマホやコンピューターが普及しない未来も、当然、一つの可能性としてありました。現に、僕の先生は、未来でもラブレターが主流だと考えていたわけですから。そういう時代の流れになっていれば、漢字を書けないというのは、見過ごせることではありませんし、僕が教える立場にいたとすれば、ちゃんと書けるようにしなさい、と言います。

でも、これだけ便利な世の中になった今なら、
「じゃあ、「鯨」はなんと読む?」
と、僕なら教えます。書けなくてもいい(もちろん書けることに越したことはないですが)から、こういう難しい漢字を読めるようにする。

もっともっと極端に言えば、いずれ「予測変換」すらも必要ではなくなるでしょう。
「考えるだけで、文章にできる」という時代が、くるかもしれません。「りんご」の形や味を思い出すだけで、「林檎」と書いてくれる時代です。
もしそういう時代になったら、どういう教育をすべきか。これを講義でした方が、「今」を考えるより、もっと現実的な気がします。


「そんな、来るか来ないかもわからないことを考えて、どこが現実的なんだよ」
と思われるかもしれません。
では、「今」の教育の問題って、なんでしょうか?
そうなったときに、よく扱われるのは「いじめ」です。

「いじめ、についてどうするか」
「今のいじめは昔より悪質だ」
「いじめられる側にも問題がある」
「いじめをすることは悪」
「いじめは、なくならない」

こういったことを、恐らくは取り扱うのでしょう。もちろん、大事なことです。とくに最近では、いじめで命を落とすケースも少なくありません。
しかし、こういった講義や、議論をする人の大半は、
「いじめを見てきた人」
であって、
「いじめを、加害者であれ被害者であれ、経験したことがある人」
ではありません。

いや、少し違いますね。いじめを見て見ぬふりするのも、加害者であるとすれば、
「無意識にいじめに関与した人」
です。
これは、非常に問題です。いじめられた側の苦痛を、客観的からしか理解出来ない。いや、理解したつもりになっている。

「あんなことされて、かわいそうだ。でも、助けると自分もいじめられるしなぁ」

こういった人は、いじめに主体的に関わることを恐れているのに、いざ議論になると、近くで見てきたからよく知っている、という立場で話しはじめる。

でも、これは本当におかしい話です。
いじめ、というのは、加害者と被害者にしか理解出来ません。
「自殺」するほどの気持ちが、なぜ今生きている人にわかるのでしょうか?
誰にもわからなかったから、「自殺」したのです。
「自殺」に追い込むまでいじめた気持ちが、なぜわかるのでしょうか?
誰かが理解していれば、対策はとれたはずなのです。

「お前にだってわからないだろうが!えらそうに言いやがって!」

もちろん、そうです。僕も、
「いじめを見てきた人」
です。
だから、講義で「いじめ」が取り扱われても、周りと同じほど白熱した議論が出来ない。どちらかに問題がある、とは言えないし、どちらにも問題はない、とも言えない。ようは、その問題から逃げているのです、僕は。

だって、いじめられるのが怖かった人間ですから、いじめ問題を扱うことも、どこかで嫌がっているのです。

ただ、そんな僕でも、対策を言わせていただけるなら、一つだけ。
その学校という共同体から遠く離れた村で、(海外でもいいかもしれませんが)村人に観戦してもらいながら、本気で殴り合いをする、というもの。
そしてその殴り合いの中で、言いたいことを全部言い合う、というもの。それは、お互いのことだけでなくてもいい。要は、日頃の鬱憤をはらさせるのです。

「……は?」

いや、わかってます、無理でしょう、そんなの。そんなことが可能になれば、一週間に一度は何処かの村で殴り合いが行われることになります(笑)

ただ、なぜこういう対策なのか、というと。

加害者になる原因には、人間の競争意識が、強く関係しているのだと思います。「弱いものを作って、自分を強くする」
これは、要は自分の弱さを隠したいからです。
最初いじめられていた子が、体力や筋力、精神力をつけて、相手に仕返しする、という題材の物語が、いわゆるベタだとされるのは、「いじめる側には、物理的な強さがあまりなく、本質的には弱い存在」ということを、僕たち人間が無意識に理解しているからだと思います。

被害者になる原因には、日頃自分に自信がない、というものがあると思います。それには、人との関わりが薄い、というのが大きい。「いじめられる側は、社交的でなく、下を向いて歩いている」という描写がされるのも、僕たちが、無意識に「いじめられる側=内向的」ということを理解しているからだと思います。

原因、と書きましたが、これは「だからこっちが悪い」というものではありません。語彙力がないものですから、なんといえばいいのかわからなくて……。
ただ、双方に、こういった一種のストレスがある。


だから、本気で殴り合いをすればよい。自分達のことを一切知らない人達の前で。そして、日頃の鬱憤を、たとえ言葉は汚くても吐き出す。そうすれば、お互いにストレス発散できるわけですから。同時に、周りの人に、自分達が何にストレスを抱いているのかを聞いてもらえる。聞いてもらえるだけで、ストレスというのはかなり発散できます。
しかし、そういった時に出る言葉は、恐らく相手に対する怒りではないと思います。
意外な人に、自分がストレスを感じている、と双方が理解するかもしれませんね。


話をもどすと、やはり、こういった「いじめ」の解決の方が現実的ではない気がしませんか?何度も言うように、僕はいじめを経験したことがありませんから、今現在経験している人が見たら、「何言ってるんだこいつ」となるかもしれません。というか、僕自身が一番思っています(笑)

もちろん、もっともっと現実的な解決方法があるかも知れません。だから、議論をしていく必要はあります。議論しなくなる、というのは、それこそ問題なのですから。

でも、やっぱり経験したことのない僕には、これから経験出来るかもしれない「考えるだけで文章になる」時代の方が、現実的な気がします。まだ経験したことのない皆で、必ず平等に経験するであろう未来の教育。


ここ20年で、プレイステーションは1から4にまで進化しました。まるで現実のようなグラフィックですね。
ここ20年で、携帯電話は、文字通り携帯する電話から、スマホのような薄型まで進化しました。もはや、「今」の情報は、この小さな薄い端末に全て入っていると考えてもいいかもしれません。

では、次の20年ではどうなっているでしょう?
予測変換?
「いつの時代だよ笑」
と、なっているのかも……。

考えたものが文章になる時代。

僕なら、
「色んなものを、見て、聞いて、触って、食べて、感じて、物をたくさん知りなさい」
と教えますね。
……あれ?
これだと、ほとんど課外授業になっちゃうかも……。