日航機の御巣鷹山の尾根への墜落状況について解説します。


前回のブログで日航機がU字溝に接触したところまで解説しました。右翼がU字溝に接触したことにより、右翼が折れた衝撃で、機体は左回転しながら、機体後部が最初に尾根に激突して、その衝撃で機体後部が折れ、そこから分離された機体後部は、平均斜度30度の斜面を約200メール滑落してスゲの沢に落下しました。生存者はここに乗っておられました。


機体後部が尾根に激突した後、機体前部が尾根に激突し、機体は3つに分かれバラバラになって炎上しました。(下図参照)



墜落現場の写真は良く出ていますが、どの位置にどういう形で墜落したのかは図で見た方が分かりやすいと思います。最初に激突したDの箇所は粉砕し、この位置に乗られていた方は激しい衝撃を受けられました。一方、この激突で分離されたEの機体は大きな損傷を免れました。また、ここは墜落の20年前に植林された木々で、剪定などの手入れがされておらず、比較的柔らかい枝がクッションとなりました。それでも、機体は右側を下にして滑落したことから、右側に乗られていた方は生存されていませんでした。生存者がいたのはこうした幸運が重なった結果だったのです。


一方、その他の機体部分については、激しく損傷しました。Aのコックピットがある前部については、バツ岩と呼ばれる大きな岩に激突して大破、B、Cの機体部分についても、バラバラになりながら、滑走して大破しました。AからDの箇所に乗られていた方は即死であったことが分かります。このように墜落状況をみると、スゲの沢に滑落してEに乗られていた方以外の生存は望めなかったのです。


機長はじめコックピットクルーの懸命な操縦にも関わらず、最後は墜落してしまったのですが、なんとか不時着して、乗客を救おうと山に向かったのだと私は考えています。その結果、多くの人が亡くなってしまいましたが、機体後部のEに乗っていた方を生きたまま地上に降ろすことが出来たのです。墜落直後はまだ多くの人の息づかいが聞こえたと生存者は証言されています。当時もっと早く救命救急できていれば、一人でも二人でも多く助かっていたのではないかと思います。コックピットクルーが懸命に救った命を、見殺しにしてしまったのです。本当に残念でなりません。


次回のブログでは、生存者発見までに16時間かかったのは、本当に仕方なかった事なのか、検証したいと思います。