実は、父が旅立ちました。

最後は家族で見送りました。


初月忌を迎えた今も、まだあまり実感が湧かず。


癌がわかって4ヶ月で、あっけなく逝ってしまいました。


死因は肺炎です。


抗がん剤や、免疫治療薬の副作用に間質性肺炎があります。それの急性増悪です。


なんとか年は越せたものの、

前回のブログでもう意識がない状態が続いてました、それでも数値は安定していました。

ただ付き添いした日に40度くらいの高熱が出てました。


その2日後かな、急に酸素の数値が下がりました。

親族の方たちがみんな来てくれて、一度落ち着き、夜になったので皆帰り、最後は家族で看取りました。


それからすぐ葬儀、日常に戻ってバタバタと、だから悲しむ時間があまりなく、今もそんな感じです。


ふと、もう父はいないんだ、これから父のいない日常を、残された私たちは生きて行くのだと思うと、ぽっかりと心に穴が空いたように、喪失感に襲われます。


そしてタラレバばかり考えてしまいます。

大きな病院にいっておけばよかったのか、そもそも抗がん剤についてもう少ししっかり考えた方がよかったんじゃないか、あのときああすれば、、

みたいなのがたくさん浮かんできます。

なんでこんなに早く死ななきゃいけなかったのかな、とか。


考えて後悔しても、本人はもういないのだから、考えても仕方ないことですが、、

きっと、誰しも大切な人を失ったらそういうことを考えてしまうのかなと、思います。


でも。生まれた時に寿命は決まっている。

父の運命だったのだと、言い聞かせてます。


もちろん悲しいし、辛いし、もっと生きてほしかったです。

でも、病気がわかって、父本人も、母や私もどこかで死についての覚悟ができたり、なかなか会ってなかった兄妹たちに会えたり、年末年始ということもあったので、わたし自身もたくさん一緒に過ごすことはできました。

兄妹たちの中でも1番最初の別れとなりました。

みんなに見守られて惜しまれながらでした。


父は口数は少なく、前に出るタイプではありませんが、本当に心優しい人でした。

人のことばかり心配し、人に迷惑をかけまいと、

そういう人でした。看護師さんたちも、皆、優しいと、口を揃えて言ってくれていました。


健康第一だと、体に気をつけろよと、いつも気遣ってくれてた父。

ありがとう,幸せでした。

伝えても伝えきれませんが、どうかゆっくりと、

休んでください。




世界を見渡してみれば、災害や戦争や事故、ある日突然お別れを経験する人たちだって沢山います。

悲しいお別れを経験している人たちは沢山います。

そういう経験をしているのは自分だけじゃないのです。

辛くたって、悲しくたって、悲しみに打ちひしがれていたくたって、大切な人とのお別れをしても、日常はやってきます。

仕事をしてれば会社に行く、子供がいれば園の送迎,習い事の送迎、毎日の家事育児。


皆何かしら抱えて生きているんだと、思います。

温かい言葉、周りの人の温かさにたくさん救われました。

人の優しさ,温かさにたくさん触れました。


自分も、寄り添える人でありたいと、思いました。



話は少し逸れてしまいましたが。

これから癌の治療をされる方、今治療されてる方、まわりにそういう方がいる方。

みなさんが、どうか最善の治療を選択し、後悔がないようにしてほしいです。


癌って、年齢、場所やステージ、その人の持ってる体力や免疫力、それでだいぶ違うのかなと思います。

父は、抗がん剤の影響で,帯状疱疹、肺炎も最後の肺炎含め3回起こしています。

癌は小さくなっていたようです。癌には効いたのかもしれないです。


60代後半と,まだ若かったので、抗がん剤治療は迷いなくすぐに開始しました。

年齢だけでいけば、それでいいのかもしれないですが、その治療が、父にとってはとてもダメージを受けたのかもしれないし、体力,免疫力的に耐えれなかったのかもしれません。


間質性肺炎の怖さも、抗がん剤の副作用に記されてるものの、父がなってみて初めてわかったことです。

治療にあたり、わからないことはしっかり質問していってほしいです。


病院選びについても、家族は大きい病院が良くても、本人は望まないかもしれない、現実的に考えて、通院の距離とかもあります。


2度目になりますが、これから癌の治療をされる方、今治療されてる方、まわりにそういう方がいる方。どうか最善の治療を選択し、いい方向にすすむことを心から願います。