ストレス対策 9 時間の感覚(その2)
ストレス対策 9 時間の感覚(その2)
将来に対する時間感覚として長く感じる例を幾つか挙げてみます。「もういくつ寝るとお正月 お正月には凧上げて・・・」という歌がありますが、お正月を待ち焦がれ時間がなかなか進まないもどかしさを歌っているのでしょうか。「ブルー・マンディー」という言葉はよく聞かれていると思いますが、疲れたサラリーマンにとっては迎えるべき1週間が実に長いものに感じられる憂いをあらわしています。
また、このことは「以前にも触れたことですが、以前私が自殺のアフターケアを実施していたころ「なぜもう少しの我慢が出来なかったのか」と痛感した事例が幾つもありました。例えば、こんなケースがあります。全く以前からした事もない職務に就けられたため、職務不適応を起こしてうつ状態となったケースです。そのケースでは職場の配慮で本人の望んでいた適所への配置換えが決まり、本人も安心した様子が伺われていました。しかし、その配置換えの僅か2週間前に仕事のきつさや、自分のふがいなさを遺書に残して亡くなったのです。彼にとっての2週間は耐えることの出来ないほど長いものに感じられたのでしょう。
いくつか例を示しながら述べてきましたが、時間の長さに対する感覚は脳の働きやストレスと関連しているのではなかと考えています。このことを裏付けるように、ヒト視覚野における神経反応を脳磁計 (MEG) を用いて時間間隔を計測した研究者がいます。赤色光と青色光を同一時間流し、被験者にどちらが長く感じたかを答えてもらい、その時の脳の神経反応を記録したものです。結果は赤色光が長く感じられたそうです。しかも光の点滅、点灯時の脳の脳時間は同一なのに、長いと感じられた赤色光のほうにより強い脳反応が認められたという研究です。
時間の長さに関する感覚は、医療機材を使って計測できるようなものではありません。あくまで主観的感覚であり、感情を伴うものです。そこには時間を迎える、あるいは過ごすことに対して不安、恐怖、戸惑い、困惑、苦痛、混乱などの負の感情が生起しているものと思われます。こうした視点から時間の感覚を考えてみると、この感覚は人間が生きていくための本能的防御反応とも捉えることが出来ます。安全で快楽の得られる状況では時間は物理的に流れ去りますが、危機的あるいは苦悩を伴う状況では脳が活発に反応し回避行動を促しているのではないでしょうか。
脳という臓器は実に優秀です。現在流れている時間が普段より長く感じられたとき、あるいは明日、1週間が遠く感じられたとき、あなたの脳は体を労わるように信号を出しているのです。
ストレス対策 9 時間の感覚(その1)
ストレス対策 9 時間の感覚(その1)
人にとっての一生とはその人に与えられた時間であり、しばしばその長さはろうそくに喩えられるように、引き返すことが出来ない一方通行のベクトルを持った流れです。時間は1日24時間、1週間7日、1年365日とすべての人に均等に流れます。また、1時間の長さは3,600秒であり時間の流れるスピードは一定したものです。
しかし、私たちが日常生活を送っていて、物理的には一定なはずの時間の流れが時と場合によって早くもなれば非常に長く感じることがあります。短く感じるときとは何かに集中している時、楽しいことをしている時などです。一方長く感じるときとは、上司から叱られているとき、痛みを我慢しているとき、期待しているものを待っているときなどが思いつきます。
時間の感覚に関する研究や理論は諸説出ています。時間の感覚には過去を振り返って感じる感覚と、現在の感覚、これから迎える(将来の)感覚、更にもう一つ挙げるなら、イメージとしての感覚があると思います。「子供のころは時間がゆっくりと流れるが年をとると時間の経つのが早い」などというのは主として過去を振り返っての時間感覚だと思われます。こうした感覚は記憶の問題とも関連しているはずです。例えば5歳の孫と65歳のお祖父さんが将棋で遊んでいるとき子供のほうが時間感覚は長いのでしょうか。実験したわけではありませんがこれは疑問です。また、「都会の時間は早く過ぎて、田舎の時間はゆったりと流れる」などといわれていますが、本当でしょうか。私の母はかなりの田舎に住んでいますが、農作業をしたり、詩吟を楽しんだり、友人と談笑したりして結構時間の流れは早く感じているようです。これはイメージの問題だと思います。
これから述べる時間の感覚とはあくまで現在流れている時間と、将来の時間感覚です。人の感情を快楽と苦悩に分けて時間との関連を考えてみると、快楽では時間感覚が短縮され、苦悩では延長するという傾向があるように思います。
現在の時間の流れの変容感として知られているものにスローモーション現象というものがあります。交通事故で車に追突される直前のごく短時間の画像がまるでスローモーションのように流れるという現象です。極めて強い恐怖体験などで発生します。
ストレス対策 8 空間と距離(その2)
ストレス対策 8 空間と距離(その2)
人との距離を意識した仕事があります。例えばホステスさんなどは極端に短い距離で客と接しています。そうすることで、相手は、自分に対して厚意を抱いていると感じることになるのです。人を誘惑するときには短い距離をとる必要があるのです。一方判事などはかなり長い距離を持って被告や原告に接していると想像されます。権威的な印象が与えられるためです。
診療場面でも医師は患者さんと適切な距離をとる必要があります。あまり短いと、患者さんから見て、馴れ馴れしくなり信頼感が得られません。長すぎると高圧的に映り、冷たさすら感じられます。
老夫婦もおそらく新婚生活の頃は、お互いに短い距離で接していたことでしょう。しかし、夫が単身で家を空けることが多く一人残されていた妻は、そうした環境に適応するため夫との距離を少しづつ長くとるようになってきたものと思われます。
次に、物理的空間についてですが、基本的には物理的距離と心理的距離は一致しているほうが、居心地の良いものです。心的距離の短い代表例である恋人関係の二人が公園のベンチに座るときは、くっ付きあって座ります。一人で静かに飲みたいクラブなどでは隣の席との距離が少しあったほうが落ち着きますし、気のおけない仲間同士での飲み会では肩を寄せ合ったほうが盛り上がる気がしませんか。
職場においてもその仕事内容や対人関係のとり方などと関連して適切な空間というものがあるはずです。冷静な判断を必要とされる会議室などは少し距離のある広い空間が必要でしょう。警察の取調室などは狭い空間が良い気がします。因みに精神科の診察室の広さは約6畳、医師と患者さんの対面距離は、患者さんから見て医師の左側面まで1.5㎡くらいが適切である気がします。私自身最も話しやすい空間だと感じるからです。
人ごみや満員電車の中はほとんどの人が、不快感を覚えることと思います。まったく見も知らない人ばかりですから、当然心理的距離は長く保ちたいはずです。しかし、強制的に体が触れ合う物理的空間は居たたまれなくなるのです。
ついでに「遠距離恋愛が難しい訳」について空間と距離の関連から説明してみたいと思います。「本当に好きであれば距離の差なんて問題ない」と信じている人もいますが本当でしょうか。私はうそだと思います。何故なら、好きになればなるほど心理的距離は短くなりますが、物理的距離は長いままです。つまり、好きになるほど居心地が悪くなるわけです。一寸強引でしたでしょうか。
職場や家庭で自分の持つ距離(空間)、また相手の持つ距離を意識してみることは大切なことだと思います。良好なコミュニケーションのとり方、人柄の把握、職場に合った環境作りにも役立つはずです。
最後に、異性に対して不用意にあまりにも短い距離で接するとセクハラになりますのでご注意を。
ストレス対策 8 空間と距離(その1)
ストレス対策 8 空間と距離(その1)
前回のブログにおいて「夫が定年を迎えて後、夫婦二人で一緒の生活が始まると、妻の死亡率が倍増する」というショッキングな話題を取り上げました。「人は支えあって生きていくもの」などと言われているのに。ましてや、長年連れ添った仲睦まじいはずである夫婦の間でどうしてこのようなことが起こるのでしょうか。今日はこの問題を考えて見ましょう。
実は、「定年後の夫と同居することに対してストレスを感じる」という妻の話は診療の上でも耳にしたことがあります。長年、育児、家事とほとんど全ての家のことを切り盛りしてきた妻にとって彼女なりに培ってきた自分の空間というものがあります。その空間は、自分にとって居心地の好いように徐々に形作られたものです。その空間にある日突然、「夫」が割り込んでくるとその空間は壊れてしまいます。
空間とは物理的な空間という意味と、心理的空間という意味があります。心理的空間とはコミュニケーションをとる上での人との距離のことです。先ずは心理的空間について考えてみたいと思います。
人にはそれぞれ自分にあった空間、別の言い方をすれば人と接する上での距離があると考えます。人によって距離を長くとる傾向のある人もいれば、逆に短い人もいます。また同じ人でも対する人によってその距離は異なってきます。
距離が長い人は(広い空間)よそよそしさ、格式的、権威的、形式的、警戒的といった印象を受けます。これに対して距離の短い人は(狭い空間)馴れ馴れしさ、親しみやすさ、依存的、お節介、軽々しさといった印象です。
最近の政治家を例にとって見ると、そのまんま東こと東国原宮崎県知事と安部総理を比較するなら、抑揚の少ない機械的な言い回しや、表情変化の乏しさ、感情表出の少なさなどから安部総理のほうがかなり距離を長く取る人物という印象があります。
「自分とあの人は相性が良い、あるいは悪い」などと言いますが、このことには自分が持っている距離と相手の距離が関係していると考えられます。ある程度の距離をとって付き合いたいのにずけずけと接近されると煩わしくなります。反対にもっと交流したいのに相手の距離が長いと、もの足りなさを感じるでしょう。二人の距離がほぼ同様な長さである場合に相性の良い関係が生まれるのです。
ストレス対策 7 サポート
ストレス対策 7 サポート
先日、「夫が定年を迎えて後、夫婦二人で一緒の生活が始まると、妻の死亡率が倍増する」「妻に先立たれた直後の夫の死亡率は高い」といった趣旨の報道を耳にしました。恐ろしいような悲しいような話です。後段の話は、ストレートに理解できる気がします。夫にとって長年連れ添ってきた妻に先立たれると、家の事の大半を妻に託してきたため、強い喪失感と、孤独感が降り注ぐに違いありません。しかし前段の話は仕事で家を空けることが多かった夫と四六時中一緒に生活をすることで、常に気遣いを強いられ、自分のスペースがなくなったことに起因するためなのかと寂しい想像が駆りたたれます。
ストレスのかかり方は実に複雑だと痛感します。しかし、今日の話は「サポート」をテーマにしていますので妻に先立たれた夫の視点から話を進めたいと思います。
動物には犬型の動物と、ネコ型の動物がいます。犬という動物は自然世界では集団で行動します。それに対して猫は単独で行動します。最近、富士山麓や地方の野山に野良犬の集団が増えているそうです。彼らは、当然生まれ育ちはペットで、心無い飼い主に捨てられたかわいそうな犬たちです。捨てられた犬たちの大半は餓死して死んでしまったに違いありません。しかし、逞しく行き残った犬はその本能から生き抜くために集団を形成してゆくのです。
人間という動物も古代ホモサピエンスのころから集落を形成して生活してきたことが知られています。この視点からすると人間は犬型といえます。つまり、集団によるサポートが必要な動物なのです。
現代社会のように複雑な社会構造ではどこまでが集落といえるのか微妙なところはあります。むしろ、巨大化、複雑化したため特に都市部では核家族の問題、未婚者の増加、少子化問題、隣三軒両隣といった近所づきあいの減少などを考えると昔に比べてサポートが受けられる集落の範囲は狭まっている気がします。
サポートの重要性はメンタルヘルスを語るとき必ず出る問題のひとつです。人は一人になると非常に弱くなります。私が防衛省の自殺対策に関与していたころの調査でも単身赴任者の自殺率は家族同居者と比較して約5倍近いリスクがあるとの結果が出ています。夫婦仲の悪さ、相談できる友人の少なさ、職場での孤立、こうした周囲の人からのサポートが乏しいほどストレスにも脆くなるようです。
診療場面でも家族がしっかりとされている患者さんを見ると安心します。同じような症状の病気でも不思議とその患者さんは早く回復します。
サポートに関しては単に人からのサポートだけではありません。広く捕らえるなら、社会的(公的)サポート・組織・職場などの受け入れ・理解、経済的サポート、体力・健康面の保持といったことも重要です。サポートは多ければ多いほど良いのです。
核家族化した現在の日本では多くの老人は夫婦での老後生活を迎えます。定年まで一所懸命働いてようやく老後の楽しみと夫婦生活を開始して、妻に先立たれた夫。彼にとって妻からのサポートはなくてはならない、心のよりどころであったに違いありません。
ストレス対策 6 食事の大切さ
ストレス対策 6 食事の大切さ
ストレスと食事の関係については多くの専門家たちも述べています。よく言われていることとしては次の3点です。
1.一日に3回規則的に食事をとることの重要性
(規則的に食事を取るということは、一日の日内リズムの保持とも関連していると考えられます)
2.食事は楽しんでゆっくりと食すことが大切
(ゆっくりと楽しんだ食事を取ることで、リラックス効果があることが述べられています)
3.ストレスに備えるための栄養素について
(ストレスと代謝の関係からビタミンC、たんぱく質、抗酸化作用を有するビタミンE、βカロチン、抗ストレス作用のあるビタミンB群、脳細胞の安定化作用のあるカルシウムが注目されているようです)
食事と健康に関しては古くから研究されてきたテーマの一つでしょう。「医食同源」と呼ばれ古代中国では食事は非常に重要視されていたのはご存知のとおりです。
生きることと食することは切っても切り離せない関係があります。すべての生き物は生きるために食べます。食べるために生きているともいえます。日本でもつい100年まえまでは大半の人は必死で生きるために食べていました。食べるために働いていました。当時の日本の人々は経済的には決して裕福ではなかったと思います。しかし昔の日本に温かみを感じるのは私だけでしょうか。
現在の日本のように高度に経済的に社会発展し、裕福になってくると食べることに対する不安は無くなります。むしろ物欲、つまりより裕福であることを求めるようになります。ところが、経済的発展の背景には労働者一人一人に極めて細分化された作業や役割が課せられ精神的にはゆとりや豊かさが乏しくなってきている気がします。物欲とは本来人間に備わった欲動ではありません。地位や権力、金銭を介した人間文明の副産物です。
物欲に対して食欲は生物である人間の本能的欲求行動です。「おなか一杯食事がしたい」「おいしいものが食べたい」こうした欲求は生きていく上で欠かすことの出来ない欲求なのです。ですから、食事を取るという行動は本来快楽のはずです。今更。ストレス対策には食事が重要だと述べること自体おこがましいのですが、ゆとりのなくなった現代社会においては目先の作業に追われて本来「快楽」である食事すら軽視されがちなのではないでしょうか。
一昨年、私がイラク復興支援活動をしている隊員たちへのメンタルヘルス支援にサマーワに赴いた時の事です。真っ黒に日焼けして疲労感がにじみ出た隊員たちに、それまでの味気ない非常食から温かい味噌汁が振舞われるようになりました。その時の隊員たちのうれしそうな笑顔が忘れられません。一杯の味噌汁が日本人である彼らの心を和ませた瞬間でした。
ストレス対策 5 年齢とストレス
ストレス対策 5 年齢とストレス
検証された裏づけがあるわけではありませんが年齢とストレスにはある関係があるように思います。あくまで個人的主観を述べさせてもらうなら年齢とともにストレス耐性は低下してくるように思います。
幼少期の小さな子供にとって親は絶対的存在です。親が正しいとすることは白でも黒でも正しいのです。そこに反論するすべはありませんし、そうした知識も身についていません。会社や身の回りにそのような強烈な影響力を有する絶対的存在がもしいるとすれば、想像するだけで恐ろしくなります。時に子供は駄々をこねたり、泣き喚いたりしますが叱られても、叱られてもストレスに潰れることなく元気に育っていくのです。考えてみると子度たちはよく耐えていられるなと感心してしまいます。
中学生ともなると、反抗期が見られます。考え方によっては親から受けるストレスによる反発、発散といったところでしょうか。先日のブログでモチベーションの話をしましたが、中学生ぐらいでは勉強するにも十分なモチベーションを抱いている子供はほとんどいないと思います。「何故勉強しなくてはならないのか」等と真剣に疑問を抱いている子供は少ないのではないでしょうか。この年代の子供たちは親からまた周囲の環境から「勉強はするものだ」と考えてつらい勉強をしていることが多いように感じます。このような勉強の仕方はおそらく大人には真似が出来ないでしょう。
中高年のサラリーマンが「昔は我慢がきいたのに」とか「最近、根気が続かなくなった」などと口にすることがあります。「25歳は女性のお肌の曲がり角」という言葉がありますが「35歳は男性サラリーマンのストレス耐性の曲がり角」という印象を持っています。気合と根性と精神力だけで頑張れるのはこの年齢までです。その後は要領に頼ることになります。飲み会などで朝方まで3次会、4次会と付き合えるのは30代前半までではないでしょうか。35歳頃になると特に運動でも継続していない限り、急激に体力も低下し始めます。脳も鍛えることが出来たらよいのですが、このことは医療と少しかけ離れた分野になりますのでここでは触れません。
実際精神科の外来をしていて30歳後半のサラリーマンのストレス障害が目立ちます。「同じ仕事をしてきているのに最近仕事がきつくなった」などと訴える人が多いのです。
30半ばを過ぎた読者の方、3次会に出るのが辛くなったら、曲がり角を過ぎています。もう少し自分の脳を労わってあげてください。要領よく仕事をする中年を目指しましょう。
ストレス対策 4 脳の使い方
ストレス対策 4 脳の使い方
人間の脳を機械に喩えると某大臣の失言のように叱られるかもしれませんが、脳という臓器はおそろしく複雑かつ精巧に出来ているコンピュータのようなものであろうと想像されます。たった約1.5kgの豆腐のような臓器が計り知れないほどの性能と能力を秘めているのです。脳はその部位やあるいは細胞毎に特定の役割を担っているという理論があります。この理論は「脳機能局在論」といわれ19世紀半ば頃から注目を浴び、現在尚研究が進められています。しかしあまりにも複雑すぎて現代の科学をしてもその機能の詳細な解明には遠く及んでいません。
また、俗説として右脳・左脳論があります。これは左脳が言語や論理的思考の中枢であり、右脳が映像・音声などの芸術的創造性を担うとするものです。よく理屈っぽい人物は左脳型、芸術肌の人物は右脳型などといわれています。
難しいことはさて置いて、今回は脳も同じところばかりを使うと疲れやすくなるというお話をしたいと思います。大半の仕事は比較的同質の作業であることが多いと思います。一日中パソコンを目の前にして入力作業をする人、毎日毎日図面を引いている人などです。会社などである部門の担当になると連日同じようなことばかりを考えたり、調整したりすることになるでしょう。こうした作業は脳の特定の局所を酷使しているものと推定されます。
例えばこんな話があります。結論の出ないような問題を課せられた人がひとつの問題を来る日も来る日も考えていて頭の中が真っ白になりました。しかし、別の解決できそうもない課題を更に二つ与えられた時、日や時間により別のことを考えたおかげで逆にすっきりしたというのです。
実際自分が脳のどこを使っているのかは認識することはできません。しかし、パソコンを打っているときと、人と話しているときではきっと使っている脳の部分は違っていることでしょう。「精神科の先生は毎日患者さんの話を聞いていて辛くありませんか?」という質問をされることがあります。しかし、来院される患者さんは一人一人違った問題や悩みを抱えておられ、生活背景も全て異なるわけですから、私にとっては患者さんとの面談はそれぞれ別の刺激のように感じられます。
よくストレス解消のために「趣味を持ちなさい」という人がいます。確かだと思います。趣味を持つということは日ごろ使っている脳と別の部分を使うことに他なりません。脳には無限の可能性と能力があります。そんな素晴らしい自分の脳の色々な所を使ってみてはどうでしょうか。
三十路を過ぎた働き盛りのサラリーマンの方、毎日同じ仕事ばかりして「お金を家に運ぶだけの機械」になっていませんか?
ストレス対策 3 モチベーション
ストレス対策 3 モチベーション
仕事をするにも、育児をするにも、勉強するにも私たちの生活場面では楽なことはあまりありません。毎日毎日能天気に自由気ままに暮らしている人は殆どいないはずです。しかし、同じことをしていても、ただただ苦痛に感じる人と、頑張って続けてゆける人がいます。この違いはいったいどこから来るのでしょうか。
ここでは大学受験を目指している高校生のことを取り上げてみます。受験勉強は決して楽なものではありませんし、楽しくもありません。それでも、全国数百万人の高校生たちは日々受験勉強に取り組んでいます。私自身「継続は力なり」などと書いてある手拭を鉢巻代わりにして勉強していた記憶があります。
それでは受験戦争の勝ち組と負け組みの差はどこにあるのでしょうか。確かに「頭のよい人」はたくさんいますが頭がよい人だけが勝ち組になるとは限りません。その決定的な要因は絶対に合格するといった強い意志、つまり、「勉強することへのモチベーション」だと思います。受験生が勉強する理由は色々あるでしょう。なんとしてでも目的の大学・学部に入学したい、漠然と良いといわれている大学にいきたい、同級生に負けたくない、親から勉強しろといつも言われる、中にはなんとなく勉強している学生もいることでしょう。
モチベーションの抱けないことを強いられることは地獄です。地獄変相十王図に描かれている図には閻魔大王裁きの場にはじまり、悪人が死んだ後、地獄の閻魔様によって様々なお仕置きをされる場面が描かれています。そのお仕置きの中に「賽の河原の刑」というものがあります。この刑は親より早く先立った罪人に対して実施されるもので、賽の河原にとどまり、ひとつひとつ小石を積み上げる一方、積んでも、積んでも、鬼たちに崩されるといった極刑です。これはまさにモチベーションの抱けない作業で生じるストレス負荷の刑といえるでしょう。私が大学を卒業し自衛官の幹部教育のために入学した幹部候補生学校でのことです。演習場で個人用えんたい(射撃や退避の為、一人用に掘った穴)を「何故こんなことしなくてはならないのか」と不満を抱きながらもひたすら掘らされ、やっとの思いで掘り上げた直後に「すぐに埋めて元に戻せ」と教官に言われたのです。この時の苦痛と腹立たしさ、空しさは今でもトラウマになっています。
受験勉強は喩えるならばマラソンのようなものです。努力、根性、気力、体力が要求されます。あまり頑張りすぎると失速しますし、サボってしまうと集団から取り残されてしまいます。こうした厳しい受験戦争を勝ち抜くには辛いことに立ち向かうためのエネルギーが必要となるのです。
人は目的をしっかりと抱いて夢と希望を追いかけるとき強いエネルギーが出るものです。多少の困難や苦痛はあってもひとつひとつ乗り切ってゆくことで更にエネルギーが沸いてきます。ミッションに立ち向かうモチベーションがしっかりと保持され、それを終えた後の達成感が期待されればこそ、その人は頑張って続けてゆけるのです。
受験生諸君!、受験勉強はまさにストレスとの戦いです。うまく自分のストレスマネージメントを心がけてください。
ストレス対策 2 笑いの大切さ
ストレス対策 2 笑いの大切さ
最近はお笑いブームなどとよく言われてるようです。吉本興業などを筆頭に次々と新人が出て、いろいろな芸風でねたを披露しています。双子でコンビを組んでいるザ・タッチ。「チョッと チョッと チョッと」と無意味なねたが笑いを誘っています。私自身なぜおかしいのか分からないまま、結構笑ってしまいます。
笑いと文化の関係は深いものがあります。日本の古典的な能の中にも狂言という笑いを誘う仕掛けがあるのはご存知でしょう。幽玄の世界と笑いの世界を結びつけた芸術です。狂言は、滑稽・物真似、冗談や洒落を織り交ぜた洗練された芸能です。
ところでどうして「笑い」は人々から求められ続けてきたのでしょうか。おそらく体験的に「笑い」が心身の健康に良いものであることが知られてきたためだと思います。実際、笑うと自律神経に変化が起こることは証明されています。笑いの始めでは、交感神経の作用が優位に働き血管が収縮します。しかし、その後副交感神経が活発になるためリラックス効果が出てくるのです。
健康な人は「笑い」を楽しむことが出来ます。しかし、ストレスが強くかかった状態になるとその表情から笑みが失せてしまうことになります。精神科の外来において患者さんに笑みが見られるかどうかは病状の快復を診察するうえで非常に重要なポイントです。笑みが出るということは精神的にもゆとりが生じてきたことを意味します。
最近「笑いと健康」の関連については「笑うことにより免疫機能が強まる」とか「ダイエットに有効である」等の説も出ています。ここで「笑うことがストレス対策になる」といったエビデンスは私自身持っていませんが、「笑いを忘れた生活」はストレス対策上きわめて危険であるといえます。
日ごろの生活において、家族の中で、また職場の中で笑いを持ちたいものです。