yk-1938のブログ

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2014年4月、8か月の入院を終えて、諏訪中央病院から、標高1270mの我が家に生活の場が変わりました。病院であんなにいろいろ手を尽くしてもらっていても、矢張り我が家がいいなあと、心から思いました。

 思うように動かない体を、しかもまだ尿の袋をぶら下げての生活で、イラつく気持ちで持て余しているのですが、村の人たちや友人たちに、「よかったねえ。ここまで治って本当に良かった」と言われて、そうだ、元気を出さなきゃと励みになりました。

 病院では本当に良くしていただきました。金婚式のお祝いや、退院の前日の夜には外科病棟の看護士さんたちが、くすだまをもってきて、お祝いをしてもらいました。くすだまを割ると『川上さん退院おめでとう』のビラがお菓子と一緒に出てきました。

 本当にありがたいことでした。

 ここまでよくなるとは思っていなかったと、外科病棟の看護士さんたち皆さんに言われました。中には泣いて喜んでくださった方もいました。怪我はそれほどひどかったのでしょう。

 私にとって、看護士さんのやさしさや、リハビリの先生の熱心さ、それ以上に妻の療養の支えが、ここまで回復できた原因だと思います。

 それに、沢山の人に見舞いに来ていただきました。広島から兄弟や友人達、東京から教え子たち、住まいのある村の方たち、別荘を利用されてる方たち、合唱団の仲間たち、茅野市九条の会の方たちなどなど、延べ300名を超えたお見舞客でした。

 2度目に来られた方が、「おお、ここまで回復したか」と、喜んで下さり、その喜びにまた一層元気をもらう日々でした。

 体力を維持するために、我が家の三か所ある階段(それぞれ31段)を上がり降りして、現在に至っています。現在は2往復で、390段の上がり降りをしています。

 

 4月に退院をした後、同年の5月に、長野市の県立総合福祉リハビリセンターの泌尿科に入院をしました。すぐ尿の袋を外して、看護士さんに導尿をしてもらう日が続きました。30分余りの短いリハビリもありましたが、暇を持て余すような毎日でした。

 やがて自分でも導尿ができるようになると、同じ建物にある社会復帰のための訓練棟に移りました。

 ここでは自動車運転の練習が狙いです。ここでも短いリハビリがあります。

 運転練習は快調に進み、2014年10月1日退院。

 帰りは、自分で車を運転して善光寺経由で帰宅しました。

 

 完全な退院で、我が家でゆっくりできています。諏訪中央病院による週1回の訪問リハビリがあり、月1回の内科と泌尿科の検診がありましたが、現在は内科、泌尿科とも2ヶ月に1回の検診になり、訪問リハも4月から隔週になるそうです。


 連続で書いていた『第五頸椎脱臼頸髄損傷から2年』のブログは、終わりにしたいと思います。ありがとうございました。