地球の欠片

地球の欠片

ある女性との出会いにより、私の中で沸き起る理解不可能な感情の答えが見えてきた。彼女との不思議な体験は、私の人生観を変え、心に安らぎを与え、そして私の中に地球の欠片を置いて行った。最初から順に読んで頂けると嬉しいです。

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ベットにうつ伏せになりぼぉっとしていると、陽気な音楽が微かに聴こえて来た。それは途切れ途切れに聴こえ、本当に陽気な曲であるかどうか定かではないが、その音量といい、途切れ方といい、心地よく耳に流れた。



 私はただの主婦。毎日の生活に少しばかり疲れ、何処へため息を漏らせる訳でもなく、家の中を駆け回り家族のゴミをかき集め、皆の胃袋を満たす為献立を考え、友人達に頼まれた用事をこなす。私は誰にも頼らずやって来たのに、何故自分一人だけが大変なのかと、ぷりぷり怒りながら家事や雑用をこなす。



そんな自分と周りの意識の相違に悶々とする自分に嫌気がし、脱力感と共にベットへと横たわる。すると、遠くから微かに流れて来るご機嫌な曲。その曲は何故だか懐かしく、私の気持ちを和ませてくれた。






もし、もし私が



内戦の激しいアフガニスタンで、学校へも行けず、母親と共にヘロインの為の物乞いに一日を費やし、夢も希望もない毎日をただ過ごす少女だったら。



明日へと繋がらない一日を終え、倒れる様に地べたへと横たわる。すると、微かに聴こえて来る陽気な曲。その曲は彼女の耳にどのように届くのか。一瞬でも、少女の瞳に希望の光りを映す事は出来るのだろうか。






もし、もし私が



手術後の経過が思わしくなく、喉に呼吸器を差し込まれ声を出す事も出来ず、筋力が衰え書く事すら出来ない、子供達は資産の心配ばかりで、病院へ訪れる事も無く、一日中、ただ、ただ動かぬ天井を見つめる老男だったら。



床ずれの背中の痛みも何なのか判らなくなり、天井を見つめながら痩せ細り真っ黒になった手を、生きている事を確認するかの様にゆっくりとすり合わせる。すると、微かに聴こえて来る陽気な曲。その曲は彼の耳にどのように届くのか。ほんの少し、老男の体と心の痛みを和らげる事は出来るのだろうか。






同じ曲でも、環境の違いで感じられ方が全く異なる。



当たり前の事だけれど、忘れがちな事。



ベットに横たわりながら、そんな事を考えていました。



私は一体何に苦悩しているのだろう。



色々な人の状況を想像してみて判った事。

私は「自分のちっぽけさ」に苦悩しているのだと。











人生は地道な人生ゲームである。






私の心の底に眠る記憶が正しいのであれば、



海に沈む真っ赤な夕日を目の前に、懐かしく切なくそして帰りたいと思い、



風に乗って世界を吹き渡ったあの日が恋しく、



山林を焼く炎を風となり操り、次から次へと踊らせ、



薄暗く、優しくぶつかり合う水音を聴きながら、



海面の上を水霧と共に漂ったあの日。






何に捕われる事も無く、



自然と共に漂い続けた。






いつかまた、あの日に戻れるであろう。






己に試練を課せ、魂を輝かせる為



私はこの地道な人生ゲームに参加したのである。



であるならば、このゲームは一時のもの。



多くの事を学んで行こう。



両手一杯の感謝の気持ちを抱えて行こう。



関わりある全ての人に感謝し、共感し、思いやる気持ちこそ



私の心を満たしてくれるはず。



人生ゲームでお金や物を多く手に入れた者が勝つのではなく、



より多くの人々と共感し合えた者こそが勝つのだと思う。






この人生ゲームはルーレットもなく、



次に何が起こるか予想も不可能、



地道に一歩ずつ進み、その間には辛い事もあるであろう。



勿論、嬉しい事もある。



この地道さにくじけそうにもなる。






だが、こう考えてみよう。



これは学びの為に自らが参加した「人生ゲーム」なのだと。



そして、そんな私のコマの行き先を、ハラハラドキドキしながらも



>楽しんでいるのは、私のガイドさん(守護霊)なのでしょうね。



 









人生とは地道な人生ゲームなのか?



その地道で長い人生ゲームから、



何かを学び成長する為に生まれて来たのか?



 



物質的幸せの為に、 我こそ、我こそ先にと



物をかき集めるが、一瞬の満足感と同時に虚しさも訪れる。



物質的な事では心は満たされないから。



逆にカラカラと空っぽの心の音がする。



何故なら、私達は「欲」を学ぶ為に生まれてきたのではないから。



「欲」で心は満たされるはずがない。



 



食事も「腹八分目」が丁度いいと言う様に、



欲張りであるが故に、度を超して欲する自分を恥じるべし。



そう、そんな自分を恥じて、自分の体が必要とする分だけ、



ありがたく頂こう。



 



「欲」を持っては心も、体も辛くなるばかり。



 



では何を学ぶ為に、この地道な人生ゲームに参加したのか。



それは、一人でも多くの人達と共感し、助け合い生きる



「心の繋がり」を学ぶ為ではないか。



きれいごとだと思う人もいるかもしれないが、「笑顔」や「感謝」の気持ちを受けて、嫌悪感を抱く人はいるだろうか。



人との暖かい繋がりは、心を満たしてくれる。



 



人を思いやる自分がいれば、穏やかな気持ちになり心も満たされる。



人を妬み、恨み、羨む心を持てば、



きっと辛く悲しく、そんな自分に疲れ果てるであろう。



少しずつ、ほんの少しずつでいいから、



「欲」ある社会を滑稽に思い、「愛」ある自分を取り戻そう。



そしてお互いの心のタンクを満たして行こう。