前回の記事に書いた通り、先週の火曜日から三日間、福建省への小旅行に行ってきました。
そしてようやく念願だった本場の「佛跳墙」(ぶっちょうしょう)を食べることが出来ました。
福建省福州市内の二軒のお店で食べたのですが、そのうちの一つ、「聚春园」(聚春園)は「佛跳墙」発祥のお店として知られており、私が20代の頃からずっと訪れたかったお店です。
「聚春園」の正面入り口。現在ではホテルも兼ね備えた大きなお店です。
今回一緒に行った福建出身の同僚からも、佛跳墙を食べるなら、今となっては(食材や調味料の品質の変化などから)それが「正宗」(本物)であるかどうかは別として、一番伝統的な作り方をしている聚春園のものを食べるべき、というアドバイスをもらっていました。
しかし、「大众点评」(中国版食べログのようなサイト)などで事前調べをしたところ、評価は賛否両論。全国的に有名になりすぎて、所謂「名物に旨いものなし」的なことを心配しはじめていたのが出発前の本音です。
福建初日は海鮮市場を見学する為、福州の隣町、福清市で一泊です。
福清でのことは割愛しますが、ひとつだけ、海鮮を売りにするレストランで食べた「鯵の塩蒸し」が抜群に美味しかったのが衝撃的でした。
新鮮な鰺を塩と生姜だけで蒸した「盐蒸巴浪鱼」。福建辺りでは鯵のことを「巴浪鱼」と呼ぶようです。
そして翌日、福清から福州に移動し、いよいよその時がやってきました。
私が住む天台山から福建へは「高鉄」(新幹線)に載って約4時間。
「闽菜」とは福建料理の事。福建は遥か昔「閩」(びん)という名前の国でした。
福州の街で買った地元のお酒三種。右の「閩江老酒」は、ウエイトレスの女性から「地元では料理酒に使われるだけで飲む人はいないヨ」とツッコミを頂きました。
聚春園は福州の中心、「東街口」という賑やかな街の一角に位置していて、独特の存在感を放つ大型店舗でした。
エレベーターで5階まで上がり、予約していた通りに個室に案内してもらいます。
メニュー用のQRコードを読み込んで、スマホから注文する飲食店が増えている中国ですが、聚春園は老舗らしく、安心のメニューブック式でした。
地元の名物とされる料理や点心も一通り注文し、佛跳墙(予約済み)の登場を待ちます。
この店の佛跳墙は食材のランクによって二種類あり、さらに1名分に小分けにされているものか、10名分が一壺に入った大きなものかのサイズを選べます。
私たちが注文したのは事前予約が必要で、小分けされている一つ798元(約一万四千円)のものでした。
5人だったので小分けされたものを5個予約していましたが、10名分が一つの壺に入っているものは8888元(約15万円)という価格設定です。(単純計算だとなぜか908元高い)
とても具沢山。たしかに乾貨の贅沢な香り。
日本で作っていた時は透明な仕上がりのものが良しとされていましたが、この店のものは醤油やお酒で色みのついたスープです。
垣根の向こうまで漂うほどの強い香気があるようには感じませんでしたが、乾貨類の贅沢な香りのほかに、ふんだんに使われているという福建老酒の酒香や、数種のスパイスっぽい香りが渾然一体となっています。
具にはフカヒレ、なまこ、干し鮑、鹿のアキレス腱、浮き袋、干し貝柱、鳩の卵など、どれも大粒のものがしっかり入っていて、スープにはこれでもかというほどのコラーゲン質が溶け出ていました。塩味は結構控えめですが、食べ進むうちに確かな満足感が得られます。
私を含む日本人が二人、中国人が三人の計五人で円卓を囲みましたが、佛跳墙に関しては満場一致で納得の味わいでした。
塩味が抑えられていて、かなりのボリュームでも食べ疲れしません。食材自体の風味や味わいをしっかりと楽しめます。
その場で注文可能な498元(約八千五百円)のものも追加注文して食べ比べましたが、食材のグレードや量が変わるだけで、スープそのものの味わいは大差なかったように感じました。
見た目的にはしっかり300元分の差が…。
正直なところ、期待半分で最悪な事態も覚悟していた分、なおさら美味しく感じたのもあったかもしれません。
でも、だとしても乾物の戻し加減や滋味深いスープの味わいなど、諸々の完成度はやっぱり高かったと思います。
今まで日本で作ったり食べたりしていたものとは違う部分も多く、とても勉強になりました。
古い料理書ではこのような大きな酒甕に入れて煮込む作り方が記されています。現在でも大人数の宴席では使われているそう。これくらい大きな甕で煮込めば、垣根を超えるほどの香りが漂うのも分かる気がします。
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ということで、ここから先は「佛跳墙」の蘊蓄です。
まず前回にも書いたように、この料理の名前は、その美味しそうな香りを嗅いだら、(生臭ものを断っている)僧侶ですら、垣根を跳び越えてやって来る」という詩に由来していると言われています。
手元の諸々の本や資料の内容をまとめると以下のような言い伝えがあります。
現在、福建省の省都である福州市の中心(聚春園のすぐ近く)に「三坊七巷」という古い町並みを残した観光地があります。ここは福州の歴史や文化の根源であるとされている場所です。
「三坊七巷」 現在はお土産屋さんが並ぶ観光地でした。
このエリアの最も北に位置する「巷」(路地)を楊橋巷といい、以前ここには楊橋巷官銀局という貨幣鋳造の金融機関があったそうです。
清朝末期、この官銀局のある官員が、福建の布政司長官(現在の「省長」と同等の地方官僚)を務める周連という偉い役人を自宅に招き、夫人の料理でもてなす機会がありました。
この時、紹興出身である夫人が作ったのは、鶏や鴨など二十種類以上の食材を年代物の紹興酒の甕の中に入れて調理した、特別に香り高い料理でした。
周連はこの料理を大変気に入り、後日役所の厨師(コック)である鄭春発に作らせてみましたが、何度作っても上手くいきません。そこで周連は鄭春発を官員の家にやって作り方を学ばせることにしました。
ようやくその秘訣を身につけた鄭春発はのちに役所の厨師を辞し、1865年から福州にあった「三友斋」という店に移ります。
その後この店の経営権をもった鄭春発は店名を「聚春園」に改め、独自のアレンジを加えたくだんの料理を看板にしました。
聚春園の店内に飾られている鄭春発の絵。
そして、最初はその料理名を「福寿全」としていましたが、ある日、文人の集まりに福寿全を出すと「お釈迦様だってこんなに良いにおいが漂ってきたら、戒を破り、垣根を跳び越えて食べに来ずはいられない」と言った人がいたそうです。
それを聞いたもう一人の文人がこんな詩を詠みました。
罎啓葷香飄四鄰
佛聞棄禪跳牆来
坛启荤香飘四邻
佛闻弃禅跳墙来
罎を啓ると葷の香りが四鄰に飄い
仏は匂いを聞いで禅を棄て、牆を跳び越えてやって来る
こちらも聚春園の店内に飾られている絵。佛跳墙を食べた文人が詩を書いています。
この詩句をもとに、鄭春発は「福寿全」という料理名を「佛跳墙」に改め、後世百年以上に渡って福建省内外のみならず、台湾、香港、マカオ、そして日本にまでその名が知られるようになったということです。
南條竹則さんの『中華満喫』には、別パターンのこんな話も載っています。
唐の時代に福建にやってきた一人の高僧が寺で参禅していると、隣の金持ちの家から牆を越えて美味しそうなにおいが漂ってきた。
あんまり良い匂いなので、僧は座禅などしていられなくなり、ついに牆を跳び越えて行ってくだんの料理を食べた。あわれ、高僧もなまぐさ坊主となってしまった。
以前書いた東坡肉の記事に続き、これらの話の真偽は分かりませんが、最初のパターンに登場する周蓮や鄭春発といった人は実在していたようですし、百数十年前の話なので割と真実に近い気もします。
2008年には国が定める「国家級非物質文化遺産」(無形文化遺産)に聚春園の佛跳墙の「制作技芸」がリスト入りされていることが、店内に掲げられていた「聚春園発展紀事」に記されていました。
んー、なんだか難しいですが、福建出身の同僚が言っていた通り、さすが発祥の店だけあって、伝統的な作り方が現在まで守られているという情報は信頼できそうです。
そして、商品開発も仕事の一つである私からすると、これだけ強いストーリー性を持った「商品」を世に送り出し、キラーコンテンツに仕立て上げた鄭春発という人は、素晴らしい料理人であると同時に、優秀な経営者でもあったのだろうなと考えてしまいます。
ちなみに、現在の聚春園における佛跳墙作りの責任者「楊偉華」さんは、初代の鄭春発から数えて八代目の佛跳墙技芸の継承人であると紹介されていました。
現在では聚春園ブランドの佛跳墙が街のいたるところで福州土産として売られていたり、ネット販売もされています。
聚春園以外のブランドのお土産用佛跳墙も街のあちこちで売られていました。
余談ですが、この佛跳墙、日本の中国料理店では「福建風 山海珍味の壺蒸しスープ」などと訳されるほかに、「ぶっ飛びスープ」と呼ばれている場合もあります。
しかし「ぶっ飛びスープ」という名前から想像できるのは、「あまりの美味しさにぶっ飛んでしまう」、「ぶっ飛ぶほどに美味しい」という意味合いが強いように感じ、由来である「美味しそうな香りに耐えられず、垣根を跳んで来る」というニュアンスには欠けている気がしてしまいます…。
食べてみて本当にぶっ飛ぶほど美味しいのであればそれはそれで問題ない気もしますが、実のところ、日本で一級品の乾貨を使った佛跳墙を食べたなら、本当にぶっ飛ぶのはその美味しさよりも会計時の金額かも知れません…。
次回に続く…