中国料理を説明する際に日本料理と比較して、中国は「火の料理」、日本は「水の料理」という表現が使われることがあります。

 

四方を海に囲まれた島国日本と、広大な国土をもつ大陸の料理とでは、その特徴に大きな違いが生まれることは容易に想像がつきます。

 

そして、その料理文化の違いには、両国の水質の違いが無関係ではないとされているのです。

 

今回は日中の水事情を比較することで、中国料理の全体像の理解、把握に役立てたいと思います。

 

まずは、中国料理研究会代表の木村春子さんの著書、その名も『火の料理 水の料理 食に見る日本と中国』を片手に、日本と中国の水の違いについて簡単にまとめてみます。

 

■日本

1.日本は南北に長い島国であり、列島の中央には急峻な山脈が縦断している。両側の海から吹き上げる水分を含んだ風は、中央の山上でぶつかり合い、雨となって地上に降る。雨は地中にしみこむほか、谷川となってやがて野に流れる。

 

2.広い平地に乏しく、河川は一般に短い。海までの到達時間も早く、水はきれいに違いない。近年、水質の悪化・汚染が取り沙汰されているものの、「湯水のように」とか「水で洗い流す」などの言葉からみても、水は空気と同じくふんだんにあり、清らかで汚くないものという観念がある。

 

■中国

1.中国は南北5500km、東西5200km、西高東低の地勢の7割以上が山地を占める。大多数の川は西から東へ流れ太平洋に注ぐ。

 

2.大陸に降った雨は地中の泥や成分を溶かし、時間をかけながら海に到達する。

 

3.中国では6000年も前の新石器時代の遺跡から、蒸し器の祖ともいえる甑(こしき)が出土しているが、その水質上、直に煮たり炊いたりといった調理法が不向きであった事と無縁ではない。

 

※別の資料によると、日本における蒸し調理の歴史は3世紀頃に始まったとされています。九州の遺跡から土製の蒸し器が出土されているそうですが、だとすると中国の4000年もあとの事になります。

 

 

また、本の中では「だしとスープ」「生食と加熱料理」という項目でも、おおよそ以下のように書かれています。

 

「だしとスープ」

出汁とスープのとり方の違いは、日本料理と中国料理のあり方を象徴するものであり、昆布やかつお節を用いて手早くさっと「引く」ことの多いだしは、鉱物質を多く含まず、異味異臭のない「良い水」であってこそ。

対してフランスや中国のように、硬水の地域が多く、しかも美味の追求に熱意を持つ国の料理では、鶏や肉のうまみを徹底的に抽出するのが基本である。時間をかけて良いスープをとる努力、水質を補って余りあるうまみを持つ素材を選び、ゆっくりと濃厚な味わいのスープを煮出す知恵が、高度な料理技術の発達を促した。

 

「三套鸭」家鴨の腹の中に鴨、鴨の腹の中に鳩を詰めた江蘇省の名菜。原形はそのままに骨を抜き去る「整只脱骨」という難度の高い技術を要す。弱火で数時間煮ながら火を通し、全ての素材の滋味をスープに移します。(前職場にて 2019年撮影)

 

「生食と加熱料理」

 「人口に膾炙する」「羹に懲りて膾を吹く」などの中国の古典に見る「膾(生の肉、または生の魚肉の細切り)」を例えにした言葉や、「鮓 ヂア(魚と米飯を塩で醗酵させたなれずし〈熟鮓〉のこと。現在の日本の寿司のルーツ)」の存在から、古い時代には中国にも生食文化があったが、調理器具等の発達で火食の良さを知った事や、疫病の流行、衛生観念の発達によって次第に廃れていった。

対して日本における生食は、今や世界中でヘルシーな食事として人気を集めているが、以前は「魚を生で食べる」という事が、生臭い魚をまるごとかじるような野蛮なイメージを持たれていた時代もあり、日本料理の刺身の清潔さ、包丁の冴え、器との調和などは実際の皿を見て初めてわかる事である。

生で食べる、ということは、血だらけの魚や泥に汚れた野菜をそのまま食べるわけではなく、「水で洗って」「水で洗っただけで」食べることであり、清水が得られず、泥水や異味異臭の水だけがある地域だとしたら、ここまで発達するはずのない「水の調理」である。

 

以上のように書かれていて、日本の「生食」と中国の「加熱料理」発達の背景には、やはり水の問題が存在するとまとめられています。

 

両国の水事情が、それぞれの国の料理の形成に大きな影響を与えている事が理解できます。

 

生臭さとは無縁の「お刺身」。清らかで衛生的な「水」があってこその料理。

 

しかし、「火の料理」「水の料理」という、言い得て妙な比較表現を「火の料理=水を使わない」とか「水の料理=火を使わない」、または単純に「加熱料理」と「生食」の文化であると誤解して捉えないように気をつけなければいけないと思います。

 

四大文明が川(水)の近くで発達したことくらいは私でも知っています。人類の営みと、文明の発展に必要不可欠な水も火も、料理と切り離して考えることは出来ません。

 

確かに現代中国語では、私の知る限り、例えば家で「我去炒个菜」と言えば、それが例え炒めものではなくても、何かしらの料理を作る意味を表すほど、「炒め」というのは身近かつ主要な調理法になっています。そしてそれらは基本的には調理に多くの水を必要とせず、代わりに「油」を加熱の媒介とします。

 

しかし「水」を主体とした料理も数え上げたらきりがありません。

 

例えば、中国食文化の大きな特徴の一つである「干货 gānhuò」(乾貨 各種乾燥食材。フカヒレやナマコ、干し鮑などの高級品から、干し椎茸やキクラゲといった一般的なものまで)の多くは水による「戻し」の作業を必要とし、水によって調理されます。

 

福建には「一汤十变 百汤百味 yitāngshíbiàn bǎitāngbǎiwèi」(福建料理には多種のスープ料理がある事の美称)という言葉もあり、豊富なスープ文化を誇っていますし、河南省洛陽には「水席 shuǐxí (すいせき)」という唐代から伝わるスープ料理ばかりのユニークな宴会料理もあります。

 

乾貨。中国料理には欠かせない食材。「水」によってゆっくり戻したり、乾貨自身が持つ凝縮した旨味を「水」に移したりして使用します。

 

普通の家庭でも「三菜一汤」(一汁三菜)のように、日常の食事では日本の味噌汁同様、スープ料理が食卓にあがります。鶏やスペアリブをコトコト煮込んだ濃厚なものから、「水」にトマトや溶き卵、ザーサイなどの旨味、風味を移した手軽なものまで色々です。

 

そして、前回書いた、食養生に通じる各種生薬などを家庭料理に取り入れる際には、その多くはスープ料理や煮込み料理など、水分のなかでゆっくりとその効果や風味を料理に移します。中国の朝食に欠かせない、各種穀物のお粥や豆乳などは、その原材料を「水」のみで加工したものです。

 

つまり、当然ですが、中国には中国の、自分たちの身近にある「水」を用いて発達した幅広い料理文化があり、木村さんの本にも書かれていますが、当の本人たちは決して自分の土地の水を卑下して見ているわけではありません。

 

中国の山の中にも、日本同様、清流が流れています。写真は職場のある天台山の山の中。鮎(現地では「香魚」と呼ぶ)や、山女魚の仲間が泳いでいます。「香魚」は天台の名物の一つ。

 

一方、日本料理においては、生食文化のことばかりに気を取られると、日本には加熱料理が無いという誤解を招きそうですが、勿論そんなことはありません。

 

日本語には「料理する」とほぼ同じ意味で、「煮炊きする」という言葉があります。これは読んで字のごとく、食材を煮たり炊いたりして、食べることが可能な状態にすることであり、まぎれもなく「加熱調理」です。

 

煮るのにも炊くのにも水が必要であり、以前見た番組で、京都菊乃井の村田シェフが「日本料理は水の料理。水に従って料理を作るしかない」と言っていた事を思い出します。

 

出汁を引くための水に限らず、コメや野菜、川魚といった食材の良し悪しも、その土地の水に左右されることが通例です。

 

また、高級店、大衆店問わず、和食店の調理場には大小さまざまな鍋がありますが、基本的にはそのような深型の鍋を使い、水や出汁などの水分をもって、材料を煮たり、炊いたりする調理法が多く見られます。

 

そう考えると、焼き魚のような直火焼き的な調理法を除き、伝統的な日本食の加熱調理は、やはり「水」を多用していることに気づきます。

 

料理における「水」の存在は日本、中国に限らず、「火」と共に世界人類共通の必須要素です。日中の料理を「水」を通して比較した場合、その本質はどちらかの優劣ではなく、それぞれの水の活用法の違いと、それに至った環境や歴史的背景にあると言えるのではないかと思います。

 

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蛇口から出てきた水道水を、そのまま飲用できる事が当たり前の日本で生まれ育った私自身、これまで中国各地を訪れたり、実際に住んでみたりする中で、生活面全般における水の違いを何度も感じてきました。

 

以前はホテルの水でも茶色に濁った水が出てくるのが普通で、口をゆすぐのもためらいましたし、白いシャツは洗濯を繰り返すうちに色が変わってしまう事もありました。

 

飲用水のことで言うと、日本と比べた場合、一人当たりのペットボトルのミネラルウォーター消費量や、家庭やオフィスのウォーターサーバー普及率は中国の方が断然高いと思います。20年近く前ですが、妻の実家マンションの敷地内でウォーターサーバーの自動販売機を見た時には驚きました。

 

逆に、初めて日本に来た中国人は、日本のどんな小さな食堂でも、席に着くと一年通してまず最初に出てくる「お冷」に驚くと聞いたことがあります。氷の入った冷たい生水を飲む習慣がないからです。私の知る限り、中国の食堂では基本的には水は出てきません。

 

一度沸騰させた水しか飲用できない事の多い中国では、職場でも街の中でも、自前の水筒を手にした人をよく見かけます。病院の中、鉄道の駅、高速道路のサービスエリアなど、人が集まる場所にはジュースの自動販売機はなくても、水筒に補充できる無料の給湯器が置いてあったりします。そんな庶民の生活の一場面からも、日本との水事情の違いを見てとることが出来ます。

 

中国に暮らすと、日本人としては日本の水の素晴らしさを感じずにはいられない時もありますが、それがそのまま、中国の水が悪いという事にはなりません。悪いのではなく、違うんだと、最近そう思えるようになりました。

 

おわり