『ねぶた祭り』は、坂之上田村麻呂が起源らしい。
歴史で教わった名前だが、詳しく調べてみると、
魅力的な人物であったことが分かる。

桓武天皇の御代。 そのころ、蛮族と呼ばれた、東北の蝦夷を征伐する
代表に選ばれたのが、かの 坂上田村麻呂。

一方、東北には阿弖流為(アテルイ)という王がいた。
789年、征東大将軍・紀古佐美(きのこさみ)の率いる2万6000人の大軍を北上川で全滅させ、鉄武器を奪って田子の浦まで攻め込んだ猛者。
そこへ制圧をかけてきたのが政府軍の坂上田村麻呂。
阿弖流為(アテルイ)の抗戦むなしく、遂に坂上田村麻呂に屈し、母礼(モレ)と共に京都に連行された。
そこで、阿弖流為(アテルイ)も母礼(モレ)も坂上田村麻呂に尊敬の念を抱き、

また田村麻呂もアテルイ・モレの武勇・人物を高く評価。
だが、政府からアテルイ・モレの処刑を命じられた田村麻呂は、一所懸命 助命嘆願した。
 

ここで、アテルイ・モレが助かれば、それこそ歴史に一花咲かせたであろう。

例えばアテルイ・モレが恩返しに何かいいことをしたかもしれない。
が、 坂上田村麻呂の嘆願もむなしく八〇二年河内国で処刑された。

この史実に鑑み、田村麻呂開基の清水寺境内にアテルイ・モレ顕彰碑を建立されたのだ。

 何で、アテルイ・モレを助けなかったのだ。
政府は頭が固い。
 その人物を見て、いいところがあると見込んで
重用しても良かったであろう。 そういう、粋な心があっても良かろうに。

 

アテルイ・モレに合掌