3.11
今日、あの悪夢から1年が経ちました。
私自身、東京で仕事中でしたが、映像で流れる我が地元釜石。
だが、あのとき、一睡もできず、一週間がたっても釜石の情報だけがはってきませんでした。
連絡がとれず、関東にいる地元の友達にいろいろ聞いてました。
だが、わからないの一言。
1ヶ月後、物資をもって帰りました。
とてもじゃないけど・・・・言葉にできずショックが大きい。
安否の確認とかしかできず、町自体を助けることはできません。
叔父と祖父母の家はなく、津波の一番上だったらしい。
家の瓦礫撤去の手伝いをしているとき、顔ではみせない悲しみが叔父の背中から伝わってきたのを覚えてる。
ダチの話とか聞くと、なにもできなかった自分が憎くて悔しかった。
自分に技術、お金、行動力がもっとあればなにかできると思った。
『絆』ってもんがよくわかる。
友達、新しい出会い、さまざまあったが、
みんなにとって辛かったなどの感情があったと思う。
私個人は、海外支援、前職の同期、陸軍、海軍、空軍、大阪府警、兵庫県警、たくさんの人が助けてくれました。
感謝。
今もがんばてる釜石!
東北もがんばてる。
復興に向けて、東北、岩手釜石!
がんばろう!
そして、明るい未来、笑顔の町に!