Hitoshiのブログ

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今、政治の世界や社会問題などで、私が思う事をランダムに述べていこうと考えているブログです。だいたい長文ですので、ご了承下さい。
よろしくお願いします。

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安田純平さんが無事である事が確認された事を受け、「戦場ジャーナリスト」について思う事を述べたいと思います。

彼らには確かに伝える使命があるのだろうし、伝える必要性もあると思います。また、伝える事で何かを変えたいという強い思いが彼らにある事も承知しています。しかし、彼らは「自分が死んだら2度と伝えられなくなり、その使命を果たせなくなる」という事を理解していないと考えます。

彼らは、遊びや趣味に夢中になってしまう子供と同じで、もちろん使命感等もあるでしょうが、やはり危険地帯そのものに行く事に夢中になってしまい、戦場等での取材を止める事が出来ないのではないか、と私は推測します。

しかし、それをマスコミ報道等は、「勇気を持って」あるいは「命をかけて取材している」等と伝えていますが、私はそれは全く逆ではないかと考えます。

彼らは取材したくて仕方がないんです。その取材が、例えば政府からパスポートが交付されない等で行けなくなると、まるでおもちゃを取られてしまった駄々っ子のようになってしまうのだと考えます。

つまり彼らは、「勇気を持って戦場に行っている」のではなくて、かつて殺害された後藤さん同様「その危険地帯に入って取材する事を【勇気を持って】思い留まる事が出来ないのだ」と考えます。

従って、彼らは「勇気がある」のではなく、実は「意気地無し」なのであって、残念ながらそれが彼らへの正しい評価だろうと考えます。

さらに、彼らは「戦場ジャーナリスト」として、様々なものを伝えたいと考えていると思われますが、それは究極的には「命の大切さ」なのだと私は考えます。しかし、その彼らがいくらそれを伝えるためとはいえ、危険地帯に行く事により結果的に「自分の命を粗末にしているのだ」という事に気付くべきです。

すなわち、彼らは「命の大切さを伝えるために自分の命を粗末にしてしまっている」のであって、それは正に「本末転倒・自己矛盾」以外の何ものでもない、という事だと考えます。なぜなら、「自分の命を粗末にする人に、命の大切さを伝える事等出来るわけがない」からです。

また、後藤さんが述べていましたが、彼等は「残虐で独裁的な指導者の存在等を伝え続ける事により、紛争や戦争を終わらせたい」という想いを強く持っているようですが、伝え続ける事で本当にそれが実現出来ると考えているのでしょうか。それは綺麗事であり、また自分たちの行動の正当性を主張するための詭弁ではないのでしょうか。

なぜなら、人間というものは決して愚かではないと私も考えたいが、しかし、過去の戦争等の残虐で悲惨な歴史を経験し分かっていながら、現在でも世界の中でそれを教訓として戦争・紛争を2度としない事にはなっていないからです。

従って、彼等ジャーナリスト達が「伝え続ける事により紛争や戦争を終わらせたい」と言う理由は、自分自身の使命感としてはその通りかも知れませんが、それが客観的に現実になると本当に考えているのだろうか私は大変疑問に思うし、かつ自分達の危険な仕事を正当化するためだけにそのような事を述べているという側面は全くないと彼等は言い切れるのか、私は大変疑問です。