健康、精神、考え方、行動、もっとも重要なものは何か考えた。
もっとも大事なのは精神だ。
「健全な精神は健全な身体に宿る」という言葉がある。一般的に思い浮かぶ解釈としては「心が正しくあるためには、身体は健康である必要がある」といったものだろう。
※本来は、ユウェナリスという古代ローマ時代の風刺詩人の言葉で、少し違う内容を意図したものだったらしいが。
こういった言葉から、精神と健康、いずれを優先するべきか、迷いがあった。
例えば、疲弊しきっているが、仕事を片付けるべきか。規則正しく早く寝るか、或いは時間が掛かっても考えを整理して寝るべきか。
考えをめぐらせた結果、最優先すべきは精神、という結論に達した。日常生活において、破綻を来すきっかけは、ほぼ精神の乱れからくるからだ。
※精神=心、とする。
心が荒んでいる、心がひねくれている、心が疲れている時、それは悪い言動につながり、その結果、生活習慣や人間関係など、事態を悪化させる。逆に、心にゆとりがある時、物事を冷静に見ることができ、人にも寛容になれる。
義父(嫁の父)が言っていた。「横断歩道で待っている人を渡らせてあげるくらい気持にゆとりを持って運転すること」。これはすごく核心を突いた言葉だと思う。
「心が正しくあるためには、健康である必要がある」に立ち返ると、「心が正しくあること」が目的で、「健康であること」はそのための手段、ということになる。健康が第一であれば、身体的に病気を抱えた人は強い精神を保てないことになる。そうではない、立派で尊敬できる方々たくさんがいる。
「考え方」も同じように、「心正しくある」ためのツールだと思う。正しい考え方をすることで、心を正しく保つことができる。しかし、反面、正しい精神があるからこそ、正しい考え方ができる。精神が荒んでいたら、考え方も悪い方向に偏ってしまう可能性がある。
「行動」は「精神」の結果だと思う。考え方は正しくても、精神にゆとりが無ければ、正しい行動はできない。喧嘩は良くない、と考えていても精神的に疲れていればダークサイドな考え方が浮かんでくる。結果、人間関係に軋轢が生じる場合がある。
健康、精神、考え方、行動、いずれも相関関係にあるが、その中でもっとも基本となるものは「精神」、とまずは仮説を立てる。
最近はタスクを詰め込み過ぎ、時間的にも精神的にも全くゆとりがない状態で過ごしてきた。そのため、人をひがんだり、卑屈になったり、嫁に当たったり、精神的に病んでいた。
「精神的にゆとりがあること」。これをまず第一の基準とし、物事を整理してみる。