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「“私の気持ちが分からない”まま苦しいあなたへ。」
母の価値観でズレた本音をほどき、
自分を信じて選べる私になる。
こころの深海に沈めた本音を翻訳する
伴走者 ゆうかです。
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「会話になんだか入れない…
苦しいな…」
私は、
人と関わるたびに、
ずっとそう思ってきた。
みんな自然に話してるのに、
“どう入ればいい?”
ばかり考えてた。
少しタイミングを逃すだけで、
「浮いてるかも」
「変に思われたかな」
「やっぱり私は馴染めない」
「帰りたい…」
って、
勝手に苦しくなってた。
でも最近、
少し気づいた。
私は、
どんな人とも、
深く関わりたいがあった。
私にとって、
“深く関わる”って、
愛想笑いじゃなく、
心から笑いあったり…
静かなトーンで、
じっくり内側を言葉にしあったり…
一緒に涙すること。
そこに、
じわっとからだじゅうに広がる、
安心感という、
あたたかさが広がること。
たぶん私は、
そういう関係性になることで、
「ここにいていい」
って、
からだごと安心感を得たかったんだと思う。
そしてそれって、
子供の頃の、
「誰かわかってほしい」
「私の気持ちをわかって、
安心させてほしい」
っていう願いだったのかもしれない。
だから私は、
人と関わるたびに、
無意識に、
その安心を探してた。
でも現実は、
当たり前だけど、
全員と、
そんな関係になれるわけじゃない。
なのに私は、
それができないと、
「嫌われてる」
「仲間に入れない」
「私は必要とされてない」
みたいに感じて、
勝手に傷ついてた。
今こうして書いてると、
「何言ってるの?」
って、
自分でも少しびっくりする。
でも、
私は本当に、
真剣に悩んでた。
だから最近、
少しずつ練習してる。
近所の人やママさんと、
天気の話だけしてみる。
学校の話だけしてみる。
少し笑って、
そこで終わってみる。
人の話を、
「そうなんだね」
って、
流しながら聞いてみる。
全部の人と、
深く繋がろうとしなくても、
いいのかもしれない。
人によって、
関わり方を変えても、
いいのかもしれない。
なんだか
冷たくない?失礼じゃない?
なんて思ってたんだけど、
人と関わったあと、 前より、
息がしやすい感じがした。
全部の人と、 深く繋がろうとしなくていいって、
こんなに、 からだが安心するんだって、
少しびっくりした。
ふかーく関わるか
離れるか…
この間にも、
無数の関わり方があったんだって、
最近少しずつ体感してる。
謎に、 ゴミ捨ての時に会う近所のおばあちゃんに話しかけてみたりしてる。
自分で、
「今日はここまで」
「この話だけ」
「この距離感」
って、 細かく選んでいい。
その積み重ねが、
“人と関わるたびに、 相手に全部合わせてしまう” を、 少しずつ変えていくのかもしれない。
書いてたら、
もっと深いところで感じてたことも、
少し見えてきた。
でも、
今日はここまでにしておこうと思う。
まだ、
うまく言葉にならないから
もしまた言葉になったら、
続きを書いてみたい。

