今日、とても大切なことを思い出しました。

私が自分という人生を歩き始めることになった原点で、その時に書いた文章を見つけたので、載せておきます。

そう、それでも、私たちは生きているんです…

 

//*//*//*//*//*//*//*//*//*//*//*//*//*//*//*//*//*//*//*//*//*//*//*//*//*//*//*//

 

「私の顔」

私の顔は、どちらかというと丸顔で、多少、目鼻立ちがはっきりしていて、時にはハーフに間違えられたり、中学生ぐらいに見られてしまうような感じである。

私の顔は、案外、のっぺりとしているかもしれない。

顔の作りは目立つかもしれないけれど、表情の乏しい顔をしている。のぺっとしていて、じっと見ていると、なんとなく、ねとっとした感じもする。でも反面、のぼっとしているから、闘争心が沸き上がってくるタイプの顔ではない。通り一遍の、いかにも優等生特有の顔で、おもしろみには欠けているかもしれない。

笑い顔は、とても見られたものではない。

自意識過剰で、笑っている時でさえ、周りの眼を気にしつつ、くったくなく笑っている表情ではない。いつも何か、装っているような笑い顔を作り、その実、真からは笑っていないのに、作り上げられた笑顔は、ほとんどの人に満心の笑顔という印象を与えているところがすばらしい。

しかし、いつでも見ていて可哀そうなのは、どんな話をしていても、顔の筋肉がひきつっていること。顔が能面のようで、ある意味、自分自身の顔が自然に出てきていない感じ。それなのに、ムキになって話すところなんかは、とっても本人じみていて、そんな時の顔は、なんとなく、ひびの入った感じで、見ていて涙ぐましい。

でも、その強靭な顔の下に何があるのかは、さっぱり分からない。いつもの顔からでは、まったくわからない。ほとんどの感情が、押しつぶされていて、仮面のような顔をしているから。本当は感情やなにもかも、壊れつくしてしまった顔が、そのきれいに、塗りつくされた顔の下にあるのに。なのに、ふとした瞬間に、二つが分離して、悲しそうに見える。でも、それは見落とされがちだし、そのすぐ後に来る完成された顔のために、どちらが本当の顔かわからなくなってしまう。ある意味で、本人も、完成しつくされた顔を、自分の顔だと思っているし、他人もそう思っている。ただ、時々、言い尽くせないほど悲しい顔をした人が鏡の中に居るのを見ると、どうしても、いつもの顔が、自分の本当の顔であると信じきれない。

 

私の顔って、いったい何なんだろう。

今、分かっていることは、顔の上に何かがまるで、地肌のように張り付いていることだけである。