最近もう自分が何で生きてるのかわからなくなった。

幼いころから異性にちゃんとした興味がもてず、

しかし恋愛がまともにできないというのは女性としてコンプレックスを感じる

付き合ってみたものの、私は身体接触を求めない。しかし相手は求める

完全にミスマッチだった。正直お金が沢山あったら異性と付き合う意味を何も感じない。

相手が優しくしてくるのは結局最終的に体目当てだと思うと、それが悪気のない本能だと分かっていても

すべての言動が覚めてみえてくる。

アセクシャルではないかとも。

仕事は完全に興味の持てないものを金の為にやってる。

なぜそこにしがみついているのかというと、比較的楽だから。

子供を持つことにもペットを持つことにも興味がない

意味のない人生を無機質に送っていたら、"新天地イエス教"という宗教に勧誘された。

宗教の教理にではなく、団員の謎演技に対する好奇心に負けた。

「私はあなたを守る」「私はあなたの光ですか?」

彼女たちはドラマのような気障なセリフを恥ずかしげもなく平気で言ってきた。

もともと退屈な生活に嫌気がさしていて、そんなことを言ってくる人たちに出会ったら

どんな人たちなのか、いったい何の目的でそんなことをしてくるのか興味がわいてしまい

意味がないだろうと分かっていてもその雰囲気に流されてしまった。

元々男性との恋愛に絶望していた私は

そこに一縷のファンタジーのようなものを見ていた。ような気がする。(意味がないと分かっていても)

最終的にはやめたけど。

多くの人が指摘しているように、

彼らにそこが危険だとどうか気づいてほしいが 最終的には選択は人の自由である。

というか人にはみんなどこか破滅願望があって、

むしろ駄目だと分かっているような道

そっちへ行ったら危険だと分かっている道にあえて進んでしまいたくなるような心理状態になることもある。

こうなったらもう止めることが出来ない。

一見生き物の本能に反しているようなこの欲求は

案外大きい影となって私たちの行動を支配していることに最近やっと気づいた。

 

結局、酒を飲んでいるときが一番楽しいけど、でもそれだけをやっていても意味がないようにも感じる。

まともな宗教でもかじってみようかと思ってキリスト教関連の本、仏教などの情報を集めた

しかし仏教は冷めすぎ、キリスト教の考えを持って生きることはある意味ちょっと危険

私みたいな馬鹿は悪い奴に騙されてしまいそうだ

 

いっそのこと退廃的に生きてみようと思ったけどそれってめちゃくちゃ疲れることに気づいた。

シオランとかいう哲学者?の存在について最近知った。

自分と言う人間はただの地球上の一匹の生き物に過ぎず、それ以上の何物でもないので 

何をしてもいいのだと思って生きればいい、みたいな考え方だった。

ニヒリズム??と言うのか?よく知らないけど、

ある意味自由である。暗いけど開放感のある人だと思った。最初はいいなって思ったけど、

しかしそのテンションをぶっとおして生きるのはやっぱり疲れそうと思った。

 

ハマれるものがほしい

ハマれるものがほしい

ハマれるものがほしい

 

いったいどうすれば道が開けるのか

考えても行動しても、わからない

マラソンをやってみたり音楽を聴いてみたり

新しい語学を勉強したり新しい人と会ったり

いったいいくつ新しいことに挑戦すればいいのか

 

正直二度と生まれてきたくない。。。それが本音

しかしそんなことを言ったら社会から白い目で見られる・・・

 

最近芸能人の自殺がやけに多いように感じるが気のせいだろうか。

私は身内に自殺者が2人いるが、

案外自殺とか死っていうものは身近にあるものかもしれない。

 

子孫を残すことも興味がないし、

正直言って、ある日突然そうなったとしても、私には元々失うものもない。

もともと空虚な人生だよ。生きてても死んでもあまり変わらないような気がする。