FAR EAST 本八幡の古着屋あらため国分寺の古着屋 -33ページ目

ハリウッドランチマーケット②

1972,3年はウェスタンスタイルに注目が集まってきつつあった時代です。


当然アンテナ立ってる人々に。


ランチにもその手のシャツなどがごっそりでした。
FAR EAST KLOTHING 本八幡の古着屋
この手の切り替えもの、切りポケットに刺繍の


ウェスタンスーツ用のシャツ、


レーヨンウェスタン、パレードシャツ、


画像のようなものはレッドツェッぺリンのペイジ、プラント、ボンゾも


よく着ていて写真が残っています。イギリス人なのに


LEENSはいたりして・・・


最近またこの古手の物だけ人気が出ています。


綿100、巻縫い、ちび衿、H-C、MILLER、TEX、LEVIS,Lee


なかなか出てきにくい物ですけど。


70年以降のポリ混ロングポイントはTEXAS方面大量に出ます・・・


当時はウェスタンシャツ、646、LEENS、ウェスタンブーツ、渋い所で


ジョッドパーズ(英国のブーツですがアメリカでもスーツブーツで人気でした。


アメリカではJ&MのアンティークブラウンとかREAGALのブーツも


これだけは秀作でした。)


一枚革ムートンコートもここら辺から。まだまだ高価。


キラー通りにもランチの後を追って1,2軒出来ますが荒っぽくて


淘汰されていきます。


古着ブームになってきて竹下、原宿に訳の分からない店があふれる


少し前の話しです。


この頃ランチの方々は長髪です。しかしこの後


それが・・・(続く)


パイレックスのボウル


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1940年代のパイレックスです。


最近の物みたいに自然ですけど60年以上前のもの。


普通にヘビーユース


終戦後、両親が米軍関係の仕事をしていたため


家の中にアメリカの物がありました。


サンビームのミキサー、ワッフルべーカー、etc


やはり当時は食糧難、食べる物系です。


洋服はB10、サドルオックスフォードシューズ、Jermanのグレーの


プレーントゥ、ピルグリムのオープンシャツ、CPO,ネイビーの


インナーパイルJK、アーミーHBTパンツとシャツ、


そんな物は残っていました。


影響は受けていたみたいです。私、


米軍関係の仕事の話はまた今度、音楽がらみで。

古着のレーヨンTeeシャツ


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「レーヨンTee 」 古着と言うとこのTeeシャツ


レーヨン60% 綿40% そんなかんじです。


化繊Teeとかナイロンとか言いますけど


レーヨンTeeです。


重くて汗を吸わない・・・そんなスポーツウェアって、うーん


雰囲気はいかにもアメリカです。大好きです。


レターはラバプリや、チェーンステッチ、カッティングクロスがほとんど、


それまでの綿のTeeしか知らない人間にはビックリ。


これは大学のフラタニティ物ですがクラブ、チーム、学校など様々で


バラエティに富んでいました。


レーヨンは木材から抽出のビスコースですので天然素材ですね。


ドレープがでて光沢があって好きな素材です。


洗濯回数が一定数超えるといきなり


スダレ状に裂けていくんです。


或る意味潔い最期・・・もう着られません。


これはラクロスかな、よく分かりません。


70年頃西海岸のミュージシャンのスタイルがこのTeeや


フットボールもの、ナンバリングもの、それに


デニムパンツ、FRYEブーツが多かったですね。


日本でもクリエーションをバックにしていた頃の内田裕也さんが


これ着てデニムパンツ(646)の重ね穿き、コンバースでマイク持つ


手にゴム手袋(感電防止です) カッコよかったです。


CACTUSのラスティ・デイの真似って気もしましたけど・・・


今の裕也さんから想像できないでしょ?


当時東京で¥3800程度、アメリカのスリフトで$1と99セントとか


3枚$1とか色々


79年頃にもリバーシブルTeeと新品のレーヨンTeeの流行もありました。


この頃の時給って¥300くらいだったかも・・・