作品情報 


原題: DIE BLECHTROMMEL

公開:1979年(西ドイツ・フランス・ポーランド合作)

監督:フォルカー・シュレンドルフ

原作:ギュンター・グラス「ブリキの太鼓」

出演:ダーヴィット・ベネント、アンゲラ・ヴィンクラー、マリオ・アドルフ 


あらすじ 


舞台は1920年代のダンツィヒ(現在のポーランド・グダニスク)。第一次大戦後の混乱の中で生まれた少年オスカルは、3歳の誕生日に大人たちが見せる偽りと欲望にうんざりし“もう大人にはならない”と決めてしまう。


それ以来、オスカルの身体は成長を止め、彼の相棒はブリキの太鼓。

その太鼓の音は、彼の言葉であり、世界への抗議でもあった。

やがて時代はナチスの台頭、戦争、そして崩壊へ――。

小さな身体のまま成長しない少年オスカルは、狂った大人たちの世界を太鼓のリズムで見つめ続ける。


成長を拒んだ少年が叩き続ける“人間の愚かさ” 


フォルカー・シュレンドルフ監督の演出は、現実と幻想の境界を曖昧にしながら、観る者を不思議な感覚へ引きずり込む。

物語の舞台は確かに戦時下のヨーロッパなのに、映像のトーンはどこか童話的で、悪夢のように鮮烈だ。


特に印象的なのが、ナチスの行進でオスカルが太鼓を叩くシーン。行進曲のリズムを彼がワルツに変えてしまう瞬間、権力の“秩序”が一瞬で崩れる。あの場面は、映画史でも語り継がれるほどの象徴的シークエンス。小さな少年が、狂気の時代を“リズム”でひっくり返してしまう。


暴力や性的な描写も多いが、それは決して刺激のためではない。むしろ「純粋さ」と「腐敗」が紙一重であることを描くためのリアルさだ。大人たちの欲や虚栄に塗れた世界の中で、オスカルの沈黙と太鼓の音だけが本物の声に聞こえる。


オスカルという“永遠の子供” 


ダーヴィット・ベネントの存在感はまさに異形。11歳という年齢で演じながら、彼の表情はどこか達観している。

子供なのに老成していて、大人なのに無垢な瞳。あのアンバランスさが、物語そのものを体現している。


母親の死の場面では、オスカルは涙も見せない。ただ太鼓を抱えて見つめる。その姿に、言葉では説明できない“拒絶の強さ”がある。成長を拒むことは、単なる反抗ではなく「世界の狂気を受け入れない」意思の表れなのかもしれない。


音と映像が語る寓話 


ブリキの太鼓の音は、戦時下の混乱と響き合うように鳴り続ける。その金属的なリズムが、社会全体の不協和音を象徴している。

編集リズムにもこだわりがあり、太鼓のテンポに合わせて映像が切り替わることで、観客の感情を揺さぶってくる。


シュレンドルフは、ギュンター・グラスの難解な原作を“音で読む映画”にした。寓話とリアルが入り混じる中で、太鼓の音だけが真実を語る。まさに映像で文学を叩き鳴らした作品だ。


ガラスを砕く叫び 


あの“ガラスを割る叫び”は、『ブリキの太鼓』の中でも最も象徴的で、観る者に強烈な印象を残す場面だ。

オスカルの甲高い叫び声が、物理的にガラスを砕く——この瞬間に描かれているのは、単なる“超能力”のような演出ではない。これは、彼の拒絶の力であり、社会への反抗そのもの


彼が成長を拒むと同時に、世界のルールも拒絶する。大人になること=体制への同化であり、戦争へと向かう狂気の大人社会の一員になることを意味していた時代。

だから彼は太鼓を叩き、叫び、そしてガラスを壊す。それは「お前たちの理性も道徳も、僕の声で粉々にしてやる」という強烈な抵抗の表現だ。


しかもこの“ガラス”というモチーフが巧妙で、透明で繊細、一見無害に見えるが、実は社会を覆う“見えない壁”のようでもある。人々が当たり前に受け入れている規範や秩序を、オスカルの叫びが一瞬で破壊する。

つまり彼の声は、ナチス支配下の「空気を読む社会」をぶち壊す衝動の象徴なのだ。


映画的に見ても、この場面の音響演出は見事。高音の叫びが響く瞬間、周囲の雑音がスッと消え、観客の神経が一点に集中する。そしてガラスが砕け散る音が、まるで心の膜が破れるように響く。

フォルカー・シュレンドルフ監督は、単に“異能の少年”を描いているわけじゃなく、声そのものを政治的武器として描いている。大人たちの嘘に覆われた世界を、音の暴力で暴き出すという構造になっている。


オスカルの叫びは、世界に順応できない者の祈りであり、破壊の詩でもある。

太鼓と叫び——この2つの“音”は、映画全体を貫く生命線であり、社会の虚構を撃ち抜く銃声のようでもある。


“狂った時代”を子供の視点で描く勇気 


『ブリキの太鼓』は、戦争の悲劇を描く映画というより、“人間の滑稽さ”を映す鏡だ。

オスカルの視点から見ると、政治も信仰も、ただの空虚な儀式にしか見えない。

だからこそ彼は成長を拒んだ。彼にとって「大人になる」ことは、愚かさに加担することだった。


その視点の潔さと冷たさが、作品全体に独特の緊張感を生んでいる。

そして観る者は、気づかされる。――本当に成長していないのは、オスカルではなく“人間社会”の方なのかもしれない、と。


総括 


『ブリキの太鼓』は、子供のまま世界を拒絶した少年の物語であり、人間の愚かさを鋭く叩く寓話だ。

重いテーマを持ちながらも、映像とリズムで見せきるその力は圧巻。今見ても決して古びない。


ブリキの太鼓の音は、45年経った今も鳴り続けている。

それは過去の音ではなく、現代を映す“警鐘”だ。