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私は新潟県にいたときにラーメンが好きになり、ここ群馬でもいくつか回っています。

ただ、群馬は豚骨ラーメンが基本のようなところがあるので、なかなかお気に入りの所が

少なくて困る^^しかもあまり写メとか撮らないのであまり面白くありませんが

自分の記録として残しておきたいと思います。


今日は、「自給屋」

吉井駅から逆方向、牛伏山の方に入った県道ぞい、多胡小の近くにあります。

鶏ガラを基本にして、醤油の旨みで勝負という、和イズムの味。

私にはうれしいタイプ。これでもか!という濃厚な旨みでない分、

素材の味の確かさを感じるんです。


具はメンマとほうれん草、そしてチャーシュー2枚と海苔。いたってシンプルですが

ほうれん草の香りが良い良い。香りは強いが、えぐみはな~い。もしかして自家栽培か?

麺は細めんですが、しっかり小麦の味がするし、店員さん(おばさまでした)も

心遣いしてくれて好感持てる店でした。


そ・し・て。密かなお気に入りになったのが

「プリン」。最近はやりの「ゆるい」タイプではなく、しっかりと卵の味がする固めのもので

非常に良かったです。学生時代にマシーでK崎さんが作っていたものと同レベルで好き~♪


次は塩ラーメンに挑戦したいと思います。当然プリンはつけるvw

日本人なら嫌いという人はいないだろう「至誠天に通ず」

でも、現実は「落とした犬は止めを刺せ」なんだな。


元々が三国志の時代から何万人単位でサラッと消滅させる国だから

大変なもんだ。



しかしデモっている方々の顔って醜いね

「自分たちは絶対的に正しいんだ」って確信している顔。

あそこの民衆は文革の時代から単純すぎる人たちだから

仕方がないな。支配する者と支配されるべき者がここまで

はっきり体現されている国も珍しい。

古代ギリシャでは、民主主義が今と同じように確立していました。

有権者が広場に集まり、合議制で政治を行っていました。

議論を戦わせ、討論によって決めていたわけです。

いわゆる「直接民主制」です。



しかし、時代が下るにつれ、その「議論」に勝つということが

手段として悪い方に洗練され、とにかく相手を言い負かせば良いと

いう弁論術に長けた(アメリカみたいな)集団が現れます。

確か。。。ソフィストだっけ?


ソフィストの下に進んだ直接民主制は煽動や過激な意見に

大きく左右されることになり、政治は当然乱れ、その端的な

結果として、アテネの民主政治は墜落、いや堕落してしまいます。

衆愚政治というヤツです。



その失敗のアレルギーが現代民主主義においては、

同時に基礎として成り立つイデオロギー、「人権」で要請される

平等原則との整合性からは、明らかに「人民(プープル)主権」が

採用されなくてはいけないにも関わらず、

いまだに「国民(ナシオン)主権」の考え方を引きずる結果になっている

わけです。つまりシャア型ですね。「愚民ども」のいうことを逐一正確に

反映させるのではなく、大局的に見る「政治的」判断が出来るエリートに

国家を運営させるべきというスタイルです。


間接民主制というのは国民「が」間接的に政治に参与するという意義と

国民「から」間接的に政治を行うということの二つの意義を含んでいると

いえるわけです。



ウソだって?だってね、私の師匠は、私が外国人にだって、宇宙人にだって

被選挙権は与えていいという意見を言った時に賛成しなかったよ。

選挙権だけ人民(この場合は日本国民)が持って、どんな結果であれ

選挙で選んだわけだから人民の意思であり、受け入れるべきというのが

民主主義だって「定義上は」と言ったら、「人民の意見を忠実に反映して

いいときと悪いときがある」と言っていたね。みなさんも師匠の考え方に

賛成でしょ?

でもそれは、選挙という間接民主制の手段には限界があるということと、

「間接」=距離を置くということ ということの証明なんだよ。

だって、西洋科学的に場合分けを一般化できないでしょ?



さて、ここでここまでの内容をまとめると、

「間接民主制は、直接民主制での欠点を修正するために

間接=距離を置く という手法によって作られたロジックである」ということです。





昨今の選挙事情を見ると、「間接民主制の衆愚政治化」が進んでいるように

思えてなりません。煽動的、誘導的なマスゴミによって世論が操作され

それが情報化の進展により津々浦々まで瞬時に一般化される。

かつての直接民主制下における衆愚政治の克服のために

「選挙による代表者」によって国民からの間接性を獲得した

間接民主制の「間接性」が、情報化とIT化、そしてグローバル化によって

消滅してしまったということです。


これからは「間接民主制の衆愚政治」を克服する民主主義的システムの構築が

課題となります。そしてそれは、間接民主制に民主主義的システムを誘導しなくては

いけなかった事情、「資本主義」によって皮肉にも促進されるはずです。



なぜなら、グローバル化と新自由主義の蔓延の結果、今の世界は主義レベルでも

「市場原理」にさらされており、民主主義の下での資本主義経済は

国家資本主義経済に負けているからです。経済の敗退=国としての敗退ですから

否応なしに対応させるはず。



全く嫌な時代です。そんなに私が生まれたことが地球に優しくなかったかしら。




あ、選挙。だったら、元々衆議院選挙で民主党に入るべきでないんですよ。

革命でもない限り、1年ぽっちで結果が劇的に出るなんてことはないんだから。

そして革命は手段をショートカットしてやろうと(やれると)思うから、すぐ崩壊するの

だから。そもそも、私たちだって仕事や社会において1年で目覚しい結果を出したこと

ないでしょ?ゲームじゃないんだから。




そうか。それも民主主義か^^