幸せクリスチャンの信仰日記 日本基督教団大阪住吉教会 大阪市住吉区東粉浜2-21-3 東粉浜郵便局北一分
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私の信仰

 私は「http://blogs.yahoo.co.jp/yes0183」「幸せクリスチャンの信仰日記」も書いていました。
 12月15日に閉鎖するので、そちらの方も御覧頂きたい。
 
 本日は少し趣向を変えて、私の信仰について書いてみよう。
 
 私が初めてキリスト教会に誘われたのは、小学校五年のとき、クラスメートに現在通っている日本基督教団住吉教会の日曜学校に誘われたのがきっかけだった。 
 といっても、そのクラスメートは、クリスチャンでもなく、遊びの延長として誘ってくれていたのだろう。
 毎週日曜日になると、クラスメート五人で行ったのを覚えている。
 なんと、クリスマスのには劇もしたのを覚えている。ネグリジェをドレス代わりにしたものだった。
 しかし、そのことを、3年前の同窓会であった、当時の友人に話すと、全く覚えていないとのことだった。
 結局、教会に残ったのは私だけだった。
 
 初めて手を組んでお祈りをしたときは、闇の向こうに光が見えたのを覚えている。
「光は闇には勝たなかった」(聖書)
 牧師先生の娘さん(実はその姉妹の妹さんは私の奏楽の先輩にあたり、私は妹さんの許可を得て奏楽をさせていただいている)の話を聞いたのは、小学校五年の頃であるが、今でもその内容を覚えている。
 
 ある画家が天使を描きたいと思い、モデルを探して天使の絵を描くと、非常にヒットした。
 その画家は、今度は悪魔を描きたいと思い、モデルを探して悪魔の絵を描くとこれまたヒットした。
 しかし、後から気づいたことだが、最初に描いた天使のモデルと悪魔のモデルは、なんと同一人物だったのだった。
 要するに、人は、幼い頃は天使でも、その後、世の中にもまれると悪魔にもなりうるという意味だろう。
 
 中学になってからは、教会とご無沙汰していたが、高校二年のとき、現在の教会と同じ日本基督教団の教会にときおり通っていた。
 それからは、韓国教会に通ったりもしたが、教会だけは絶えることはなく、五年前に現在の住吉教会に戻って来たのだった。
 なんと、奏楽の先輩女性(といっても高齢者であるが)私の小学校時代を覚えてくれていたのだった。
 
 正直、クリスチャンとしては、私はまだまだである。
 イエスが自分の罪のために、十字架にかかって下さったといっても、ピンと来ない。
 私は幸い、犯罪に巻き込まれたこともなかったし、私の周りにはそうひどいワルはいなかったからである。
 ただ、イエスはすべての救い主であり、どんなトラブルや不幸でもイエスによって解決しないことはないと確信している。
 
 私は礼拝を休んで、仕事をしたり、遊びに行くと必ず失敗したり、災難に見舞われる。
 やはり、私は神に肩を抱かれた「エクレシア」(神に選ばれた者)ではないかと、確信している。
 今の私には、イエス以外に生きる糧はない。
 私は今、美保純や船越英一郎と同い年であるが、残された人生をイエスと共に歩んでいくことこそ、安全で幸せの道だと確信している。
 
PS 本日は昨晩から胃腸の痛みに襲われ、ブログを書くことができなかったことをお詫びする。
 こんなことは五年ぶりであるが、薬を飲むと大分おさまった。
 あと、二日もすると、完治するだろう。
 
 ハレルヤ
 
 
 
 
 
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