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An Interview With Paddy McAloon

マイケル・ジャクソン、伝説の始まり

                              2009年7月4日発行
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JMM [Japan Mail Media]                No.538 Saturday Edition
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▼INDEX▼

  ■ 『from 911/USAレポート』第416回
    「マイケル・ジャクソン、伝説の始まり」

 ■ 冷泉彰彦   :作家(米国ニュージャージー州在住)



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 ■ 『from 911/USAレポート』第416回
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「マイケル・ジャクソン、伝説の始まり」

 死去から1週間が経過しましたが、アメリカの各TVでは依然としてマイケル・
ジャクソンの話題がヘッドラインを独占しています。CNNでは人気トークショーの
「ラリー・キング・ライブ」がほとんど連日マイケルの特集、NBCをはじめとする
三大ネットワークも、朝7時のニュースショー、夕6時半のニュースなどで今日も
トップ扱いです。内容的には、遺産相続や遺児の親権の行方などの利害の絡んだ愛憎
劇がほとんどですが、こうした話題は実はマイケル自身の問題ではなくプレーヤーは
遺族であるわけで、マイケル本人に関する報道ということでは、日一日と扱いは「神
聖化」とでもいうべき方向になってきていると思います。

「神聖化」というのは、その生と死が伝説になりつつあるということです。天才とい
われた多くのアーティストがそうであったように、死が一つの伝説の始まりとなる、
マイケル・ジャクソンの50歳の死はそのように位置づけられ始めています。では、
どのように伝説が始まってゆくのでしょう。具体的には、楽曲の再評価とそしてファ
ン層の若い世代への拡大という動きが、それも大きな規模で起きてゆくということが
考えられます。

 マイケルという人は、世間的には90年代には余りにもビッグな成功者として、少
しずつ若い世代からは飽きられてゆき、2003年以降の小児虐待疑惑と裁判という
スキャンダルを通じて、コアのファン以外からの関心は一旦薄れていました。具体的
には、80年代というマイケルの最盛期を知らない30代以下の世代には、どちらか
といえば「ピーターパンになりたいという変な人」であるとか「黒人なのに白人のマ
ネをしている」という悪印象が定着してしまっていたのです。

 訃報の直後には、まだそうした傾向は残っていて「毀誉褒貶の中にあった大スター
の死」という紹介がされていました。特に各局の30代以下のキャスターは冷淡な態
度だったのです。ですが、そうした「マイナスイメージ」は本当に1日ごとに消えて
いっています。アメリカには「死者にむち打つことはしない」という文化があり、例
えばニクソン元大統領の死去の際などにも、生前あれほど激しく罵った各メディアも、
一斉に「再評価」報道を行っていましたし、実際に社会のムードも「赦しと功績の評
価」が主になっていっています。

 今回のマイケルの死も、そうした「死によるイメージの浄化」という現象から説明
することも可能でしょう。ですが、今回はそんなレベルを超えている、そんな感じも
するのです。伝説が始まりつつあるというのはそういう意味です。では、具体的に何
がマイケル・ジャクソンを伝説に押し上げていっているのでしょうか?

 まず一つは時代背景です。2001年の911当日にニューヨークに滞在していた
マイケルは、追悼の曲をリリースしようとしたり、何らかの形で「時代の中にあった
復讐心、恐怖心」に対抗しようとしましたが果たせませんでた。そのまま、2003
年に起きた小児虐待疑惑に巻き込まれて社会的影響力を失っています。この時代こそ、
ブッシュの「反テロ戦争」そして草の根保守の時代でした。マイケルのような「戦争
より平和」「アメリカ一国より世界全体」「剛直さより繊細さ」といった価値観を
持ったキャラクターは、残念ながら時代に無視されたといって良いと思います。

 逆に今はオバマの時代です。オバマ大統領自身は、マイケルの訃報には距離を置い
ていました。それは訃報の時点では、大統領のコアとなる支持層、つまり30代以下
の若者にはマイケルは「醜悪な過去の偶像」でしかなかったという計算もあるでしょ
うし、大統領自身が、黒人のヒーローとしてはマイケルとは異なった道を歩んでいる
という意識を持っていたということもあると思います。ですが、マイケルが死ぬまで
こだわっていた「アメリカ一国ではなく、世界全体のために」という価値観は、大統
領の支持者層のカルチャーとは重なってきます。大統領自身も後にジャクソン家に対
して丁重な弔辞を発するとともに、「自分のiPodにマイケルの曲を入れている」
とまで発言し、マイケルの影響力を認める方向に転換しています。

 今週の木曜日の7月2日、マイケルの死から丁度1週間経った時点で6月度のアメ
リカの失業率が発表になりました。9.5%という数字は、さすがに厳しいもので
「26年ぶりの水準」という言い方もされています。その26年前といえば1983
年、つまりマイケル・ジャクソンがアルバム『スリラー』をヒットさせて、トップス
ターの地位に就いたその年に他なりません。勿論、1980年前後の不況というのは、
第二次石油ショックによる原油高と、高金利によるインフレとドル高という要因から
起きたもので、現在の状況とは異なります。ですが、厳しい失業率の中で、人々がマ
イケルの天才的な歌とダンスに魅せられていった当時の世相と、現在とはやはりどこ
かで重なるのを感じます。

 もう一つは、親子あるいは家族といった問題におけるマイケルの位置です。マイケ
ルの「奇行」が問題となっていった90年代、そして一時期のアメリカが宗教保守の
カルチャーに引っぱられていた2000年代には、「永遠の少年」を自称したマイケ
ルの存在は、メインストリームの世論からは疎んじられていました。サッカーママで
あるとか、セキュリティーママといった流行語に乗せて、伝統的な核家族イデオロギ
ーが強まっていったこの時代には、マイケル的なカルチャーは敬遠されていたのです。

 ですが、この間にもアメリカの伝統的な核家族イデオロギーは実は崩壊を続けてい
たのです。仲の良い両親が子供を認め守り続ける、その核家族の正に核となる部分が
緩んでしまったのです。そしてアメリカの核家族も他の文化圏のように、子供の将来
の生存を動物的に心配する余り子供の人格に踏み込んでみたり、夫婦が家庭という共
同体の維持に集中しすぎてロマンチックラブのイデオロギーを信じられなくなったり
しています。不況のたびに受験戦争が過熱してみたり、親の子離れが遅くなったり、
虐待の連鎖が起こったり、初婚年齢がじわじわ上昇したり、というのもこの現象の表
れだと思います。

 そんな中で、マイケル・ジャクソンの生き方というのは、父親からの虐待に耐え、
その父を憎みつつも全否定はせず、何よりも自分の心の中の傷と向かい合う中で、自
分だけは虐待の連鎖には陥らない、そのような柔軟さと強靱さを維持したものだと言
えるでしょう。核家族イデオロギーが無条件で信じられた時期には、マイケルの生き
方は奇行だったでしょう。ですが、現代では多くの若者の間には、両親から100%
の庇護を受けていない、何らかの過剰な介入か過度の突き放しを受けている、そんな
感覚が出てきています。そんな現代には、マイケルのメッセージは静かに、しかし深
い形で浸透してゆくのではないかと思います。

 例えば、アルバム『ヒストリー』に収められている "You Are Not Alone" とか
"Childhood" というようなバラードは1995年に発表された時とは違う形で、違う
世代に受け入れられていくのではないでしょうか。そうなのです。何といってもマイ
ケル・ジャクソンの魅力はその楽曲にあるのです。あの圧倒的な才能の爆発、歌詞と
メロディーとリズムの高いレベルでの融合・・・今週の Newsweek" 誌で、デビッド
・ゲイツという作家が書いていましたが、「シナトラ、プレスリー、ビートルズの系
譜に連なる存在」という言い方は決して誇張ではないと思います。

 最近のアメリカのポップミュージック界は、『アメリカン・アイドル』という視聴
者参加のオーディション番組出身者がグラミーの新人賞を取ることが多くなったよう
に、「売れ線狙い」のスケールの小さな才能ばかりが目立ちます。圧倒的な才能を、
天才的なプロジューサーが見いだして、時代を変えるような文化現象を作ってゆく、
そうしたダイナミックなドラマは絶えて久しいのです。そうした状況の中で、マイケ
ル・ジャクソンの輝きを失わない楽曲の数々は、改めて多くの人々、それも今の若い
世代にも浸透してゆくでしょう。

 シナトラとプレスリーの場合、その死は一つの時代の終わりでした。本人が不在と
なることで、その音楽も静かにメインステージから去っていったというのは否定でき
ません。ですが、マイケル・ジャクソンの場合は、もしかしたらその死が伝説の始ま
りになるのではないでしょうか。その存在の大きさは、もしかしたらクラシックの世
界におけるウォルフガング・アマデウス・モーツァルトのように、永遠の輝きを持つ
ことになるかもしれません。とりあえず、火曜日の葬儀が注目されます。

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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。ニュージャージー州在住。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大
学大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わった
か』『「関係の空気」「場の空気」』『民主党のアメリカ 共和党のアメリカ』など
がある。最新刊『アメリカモデルの終焉』(東洋経済新報社)
( http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4492532536/jmm05-22 )
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●編集部より 引用する場合は出典の明記をお願いします。
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夏の嵐

                              2009年7月3日発行
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▼INDEX▼

 ■ 『オランダ・ハーグより』  第221回
   「夏の嵐」

   □ 春 具 :ハーグ在住・化学兵器禁止機関(OPCW)勤務


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■ 『オランダ・ハーグより』 春 具               第221回
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「夏の嵐」

 先週、ジュネーブに行っておりました。ハーグ・ジュネーブの距離はおよそ100
0キロであります。アントワープ、ブラッセル、ルクセンブルグ、ナンシー、ディ
ジョンを抜けてスイスへ至る道は、国ごとの変化にとんだ景色を眺めながら8時間あ
まりのドライブであります。

 さて、スイスくんだりまで何をしに行ったと読者はお思いか。

 昨年、このコラムに、国際連盟の時代、連盟に関わっていた政治家、外交官、連盟
職員の似顔絵を描いていた漫画家の話を書いたことがありました(第194回「ババ
リア」)。漫画家はアオリソ・デルソとエメリ・ケレンというハンガリー人で、彼ら
の描いた似顔絵(ドラモンド連盟事務総長、ブリアン仏外相、シュトレーゼマン独外
相、ムッソリーニ伊首相、松岡洋右外相などなど)は長い間「ババリア」というジュ
ネーブのビストロの壁一面にかかっていたのです。「ババリア」は1982年に閉店
し、その似顔絵はすべてあるコレクターに買い取られたのですが、わたくしはあるつ
てでこのコレクターに紹介され、昨年の5月、コレクターのお宅へこの150枚あま
りのカリカチュアを拝見しに伺ったという話であります。思い出したでしょ。

 その後、わたくしはこの二人の漫画家と国際連盟の時代に興味がわき、こつこつと
勉強を続けてきましたが、このたびジュネーブの国連オフィス(Palais des Nations、
通常パレとよぶ)の図書館へ連盟時代の文献を読みに行ってきたのでありました。つ
まりリサーチですね、なんだか学生時代に戻ったような気分で出かけて参りました。

 連盟研究は通常、国際政治史、外交史、国際機構論の分野でありますが、なにしろ
漫画家のふたりは国際公務員たちだけでなく、連盟に出入りしていた亡命王族・貴族、
スパイ、山師、左翼(コミュニスト)、右翼(ファシスト)、そして彼らを取り巻く
怪しげな婦人・娼婦たちとも旺盛な好奇心でつきあっておりましたから、彼らを調べ
ることはバルザックの世界をのぞくような楽しい作業でありました。

 2日間、カビ臭く古色蒼然とした(さらに冷房もない)パレの図書館に閉じこもっ
て古文書を読んでおりましたが、一晩、旧友のマイク・モラーと代表部の畏友・佐藤
地(くに)公使と晩ご飯を食べに出た。

 マイク・モラーはコフィ・アナン政権時の国連でキプロス事務総長代表を勤めてお
りましたが事務総長が変わったおりに退職し、いまはジュネーブに住んでコフィ・ア
ナン財団の責任者をしております。

 マイクと地さんはわたくしが熱を込めて語るデルソとケレンの話をふんふんと聞い
ていたが、聞き終わったマイクが「それは偶然だな。じつはね、今週、レバノンから
漫画家たちがパレにやってくるのだ」と言いだし、話は思いがけない方向へ流れてい
きました。

 彼の話はこういうことであります。

 数年前、フランスの日刊紙「ル・モンド」に政治漫画を描いているジャン・プラン
テュ氏がアナン事務総長を訪問し、「わたしたち漫画家が世界の平和と国連の目的の
ためになにかできることはないだろうか、そういう話をするフォーラムをつくってみ
たらどうだろうか」と相談したことがあった。折しも、デンマークでモハメッドを侮
辱する漫画がメディアに掲載され、イスラム諸国が激怒する事件がおきましたが、お
かげでフォーラムのアイデアはタイミングよく受け取られ、世界各国から多くの漫画
家が参加することになったのであります。(このフォーラムには「ブーイング」「ま
んがパレスチナ問題」を描かれた山井教雄「やまのいのりお」さんが参加しています)

 フォーラムは「 Cartoonists for Peace 」と称して発足し、以来、参加者たちは
「政治漫画は政治に対して何ができるか」をテーマとして議論を続けてきているので
あります。

 漫画・カリカチュアというのはおもしろいメディアです。わたくしたちがいろいろ
言葉を労して言おうとすることを、あっというまに、それこそ一瞥で表現してしまう。
多くのヨーロッパの新聞は、一面に政治漫画を載せているところが多く(「ル・モン
ド」もそうだ)、一面の見出しを読む前に漫画を見ればその日の重大ニュースがたち
どころにわかってしまうくらいであります。描かれたイメージというのは、それくら
い言葉を超えたインパクトとパワーをもっているのです。

 そして、漫画はターゲットを笑いでこきおろしているからさらにおもしろい。風刺
は輝やいているのです。エメリ・ケレンも、「カリカチュアは単なる歪んだ絵ではな
いのだ。カリカチュアは武器だよ。ときにはペンよりも強く、ターゲットをずたずた
に切り裂くこともできるのだ」と言った。

 だが絵はアンフェアに描かれてしまうと、ターゲットを不当に傷つける。そしてそ
の傷つけ方は並の文章の比ではない、とケレンが言ったことがあります。彼はいちど、
ある政治家の夫人を戯画したことがあるのですが、その夫人はとてつもなくデフォル
メされた自分(と本人がいう。彼はわざとブスに描いたのです)を見てショックを受
け、泣き濡れて二度と社交界へ足を踏み入れなかったという。ケレンもあれはやりす
ぎたと言ったが、笑いと公平、このバランスは滑りやすい坂道を歩くようなものであ
ります。

 モハメッド漫画が暴発したとき、「表現の自由」が論じられたが、このフォーラム
はその自由の払うべき代償として「カリカチュアリストの義務」を論じています。表
現のためにどういう責任があるのだろうかと話しあっているのです。

 ある漫画家は「風刺は強者にたいして向けられて初めて効果があるのであって、弱
者をからかっても、それは単なる弱いものいじめに過ぎない。そして、それは醜いと
思うよ」と話していたが、そのあたりがこのフォーラムのコンセンサスであったよう
であります。

 ですが強者への風刺は、ときとして力をもつ側から返り討ちにあい、こちらが大き
く傷つくこともある。

 デルソとケレンの時代は新聞写真がまだ稚拙な時代でしたから、彼らの似顔絵は重
宝され、世界中のメディアに使われた。その意味で新聞写真の役割を果たしてもいた
のですが、それでも絵には彼らの思想や考えが織り込まれておりました。連盟の初期
(1920年)からロカルノ条約締結(1925年)あたりまでの似顔絵はいずれも
軽く、明るく、平和の到来を謳歌する気分が書かれていた。だが、連盟の後期(19
35年以降)になると、ケレンは、たとえばイギリスのジョン・サイモン外相(満州
事変を容認し、イタリアのエチオピア侵攻を黙認し、ドイツの再軍備を非難せず、あ
からさまにフランコ将軍の味方をして、ファシズムに歯止めを掛けなかった)を醜く
悪魔のように描いた。

 ふたりはそのようにカリカチュアでファシズムとその同調者たちに抵抗したのです
が、そのせいで彼らはナチスとスイスの右翼に追われる羽目になり、アメリカへ亡命
せざるを得なくなったのであります。

 ジュネーブを訪れるレバノンの漫画家たちは Cartoonists for Peace に加わって
いるメンバーで、アナン氏と懇談し、パレの図書館を訪ねてケレンとデルソの似顔絵
を鑑賞していくんだよ、とマイク・モラーが言っていた(「きみも懇談会に出るかね」
と誘われたがわたくしは時間が折り合わず、この集まりは残念ながら失礼しました)。

 さて、ジュネーブからの帰路、わたくしは突然パリに寄っておこわを食べたくなっ
た。パリには(あの重たい羊羹の)虎屋があって、時分時には抹茶や汁粉や軽いお膳
をとることができる。それを思い出したのであります。このように衝動的に欲望に襲
われることは誰しもあることだと思いますが、おこわついでにオペラ通りを入った
「ブックオフ」(パリにはこの古本屋さんがあるのです)で本を買い、マドレーヌ広
場にある源吉兆庵の水菓子をお土産にしようと、わたくしは突然パリへ一泊すること
にしたのであります。虎屋と吉兆庵とブックオフはおおまかにいうとオペラ座を中心
にした三角形にあって、だからわたくしはネットを開いてマドレーヌ地区に宿を探し
た。

 ところが、まるでないのですね、宿屋。聞いてみるとこの週(6月中旬)は「パリ
航空ショー」がおこなわれ、記録的な40万人がパリに宿泊しているのだという。

 ま、どうにか宿は取りましたけど、今年の航空ショーは開始以来100回目だとい
うことで大変な物入りだったということです、

 だが、仔細に聞くと、エキズビジョンにはこれまでになかった大きな変化があった
ということである。

 いつもならばショーの目玉は新型旅客機や軽飛行機(プライベートジェットですね。
コーポレートジェットともよばれて、会社のお偉いさんが乗る)のニューモデルだと
いう。そして飛行機にどんな新しいガジェットがついているか(風呂が付いていたり、
エクササイズマシーンがついていたり・・・)が話題になるのですが、今年の参加者
たち(大半はバイヤーであります)は、「旅客機」にはまるで関心がなかったらしい。

 昨今、航空業界は冬の時代なのであるらしく、格安チケットの過当競争とか世界金
融危機とか、航空業界の再編とか、また昨今急に増えたようにも思える飛行機事故な
どで、新型機を購入しようという会社は減り、売約のキャンセルも増えているという
ことです。

 だがそのかわり、大きく注目されたのは軍用機の分野であった。

 アメリカの民主党政権が外交戦略を切り替え、欧州連合もNATOも軍事戦略を練
り直すに伴って、航空産業もセールスのストラテジーの再考を迫られている。旅客機
が稼ぎにならないならば、では戦闘機でいこう、とこういうことになったらしい。

 ロッキード・マーティンのF-35、F16、ボーイングのF/A-18、ロシア
のMIG-35などである。エアバスのA-400Mという大型(というより超大型)
輸送機は、フランスとドイツに受注され、この輸送機はNATOのアフガニスタン・
パキスタン戦略に使われるということであります。

 さらに聞くところでは、インドも(パキスタン作戦に対抗するつもりかわかりませ
んけど・・・)数十億ドルの買い物をする心づもりでいるらしい。130機ほどの戦
闘機をイギリスのBAEシステム社から買い込む予定だと言う(これが実現すれば、
この取引は近年最大の大口取引になるということです)。

 航空ショーの会場は、ル・ブルジェ Le Bourget というパリの北東にあるちいさな
飛行場でしたが、この空港へ行くには、オランダへの帰路にあたる高速道路A-1を
通っていくことになります。パリの街を離れて空港が近づくと、とたんに周囲はひら
けて広々とした景色がひろがる。この開放感はベルギー国境まで続くのですが、航空
ショーのおかげでA-1が空港出口まで渋滞した。

 わたくしは渋滞をのろのろと進みながらブックオフで買ってきた本を読み始めたの
ですが、遠くで雷の音がした。あれま、夕立かと空を見上げたら、突然おおきな機影
が数個、頭上をかすめて飛び去っていった。軍用機のデモンストレーションに出くわ
したのであります。

 戦闘機は遠くから低空飛行でやってくる。遠くの機体はぽつんと芥子粒のようにし
か見えず、機体の衝撃音も遠く遠雷を聞くような音でありました。だが、爆撃機はみ
るみるうちに大きくなり、あっというまに頭上を越え、また芥子粒になって去って
いった。そして大きく旋回したと思うと、またわたくしたちの頭上をこれ見よがしに
かすめていきました。

 飛行機は音速を超えて飛んでおりますから、機影が遠くへ去ってしばらくしてから
爆音が雷のようにやってきて、響くのです。それは夏の日に突然やってくる嵐のよう
な轟音だった。機影はロッキード・マーティンが売っているF-35 Lightning II
にみえたのですが、それは文字通り「稲妻」のようでありました。

 航空ショーだとわかっておりますから、わたくしはちょっと驚いただけでしたが、
戦場で空襲を受けるというのはこういう状況をいうのだろうか、こういう気分なのだ
ろうか。

 もうしばらくすると、アフガニスタンやパキスタン国境地帯に住むひとびともわた
くしとおなじ光景を目にするかもしれない。彼らの頭上を飛来するのは、おなじF-
35機かもしれない。だがそのとき、パリにおけるわたくしとなにか違いがあるとす
れば、それは「彼らには実弾も飛んでくる」ということかもしれないのであります。

 漫画家が集まって平和を論じ、文明の衝突を回避しようとディスカッションをして
いるジュネーブから、たった500キロ離れた先のパリ郊外で、文明の衝突をねじ伏
せんばかりに空飛ぶ武器の売買が行われている。わたくしはすこしの間アタマの切り
替えができないまま、爆音の意味を考え込んでしまったのであります。

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春(はる)具(えれ)
1948年東京生まれ。国際基督教大学院、ニューヨーク大学ロースクール出身。行政学
修士、法学修士。78年より国際連合事務局(ニューヨーク、ジュネーブ)勤務。2000
年1月より化学兵器禁止機関(OPCW)にて訓練人材開発部長。現在オランダのハ
ーグに在住。共訳書に『大統領のゴルフ』(NHK出版)、編書に『Chemical Weapons
Convention: implementation, challenges and opportunities』(国際連合大学)が
ある。( http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/9280811231/jmm05-22 )
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今年アッペルドーンで

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▼INDEX▼

 ■ 『オランダ・ハーグより』  第217回
   「今年アッペルドーンで」

   □ 春 具 :ハーグ在住・化学兵器禁止機関(OPCW)勤務


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■ 『オランダ・ハーグより』 春 具               第217回
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「今年アッペルドーンで」

 4月30日はオランダのビアトリス女王のお誕生日です。したがってその日は休日
でありました。ほんとうのお誕生日は1月30日なのですが、心の優しいビアトリス
女王は、せっかくの国民の休日ならば暖かくなって花が咲く頃のほうがいいでしょう
と申されて、祝日を4月30日とされたのであります。

 翌日5月1日はメーデーでもありましたから、こいつも一緒に休むと、今年はすぐ
週末となって4連休であった。

 さらにこういうとき、オランダ人はその前後の週をたくみにまとめて休んでしまう。
ミニ・ヴァケーションをこしらえてしまうのです。ですから4月最後の週と5月の第
一週は、まあオランダの道路のすいていること。

 さて、4月30日、この日は毎年、王室はオランダの町をひとつ選び、その町で一
家お揃いのパレードを行って国民の祝福を受けることが慣いとなっています。行幸さ
れる町は毎年ちがうのですが、今年の訪問先はアッペルドーンであった。

 アッペルドーンは、オランダの中央部にある小さな地方都市であります。人口は1
3万人ほどですから、都市ともいえないな。そしてこれ以上ほかに書くことのない退
屈で寂しく、チーズとかチューリップとか風車とかの名物もなく、偉人もでたことの
ない、没個性でなんの変哲もない田舎町である。

 ところが、そのパレードの最中、事件はおきたのであります。

 軽自動車に乗った男性が、王室一家の乗るバス(オープンにして女王ご一家が市民
に手を振る)をめがけて自爆を試みたのであります。自動車は沿道の見物人をはねと
ばしてバスに近づき、あわやというところで運転手がハンドルを切り損ね、自動車は
道路際のモニュメントにぶつかって大破した。

 オランダのメディアは明快ですから、自動車が沿道の人々を刎ねてパレードのコー
スに入り込み、刎ねられたひとびとが路上に血まみれのままへたり込んでいるところ
を、新聞はカラーで報道しておりました。容疑者を含めて警備の警察官6人が亡くな
り、刎ねられた数人もいまだに重体だという。多くの家庭ではお祝いの旗を掲げてい
たが、旗はすぐ下げられて半旗となりました。

 最初はもちろん、自爆テロかととりざたされたが、容疑者の暴挙に政治的な動機は
なかったようであります。ということで、事件は事件であったけれど、そして幾人も
が巻き添えを食って命を落としましたが、ターゲットの王室は無事だったことで、メ
ディアの興味は急速にしぼんでしまった。今では、swine flu とアヤックス(サッカ
ー)のマルコ・ヴァンバステン・コーチの辞任がテレビと新聞の大ニュースでありま
す。

 だが、ニュースがしぼみ行くその過程で、ふうんと思わせられる意見がいくつも投
書され、ブログに載り、トークショーで議論されました。

「かつては、政治家も首相も街角の屋台で、市民と一緒に揚げたてのコロッケをほう
ばる開放さがあった。だが、彼らも路上で襲われる時代になった(数年前のフォルタ
イン議員とヴァンゴッホ映画監督の暗殺をさす)。そして今度は王室だ。この国はか
つてのようなオランダではなくなってしまった」

「そのとおりだ。いまは21世紀なのだ。世界が変わったのにオランダはまだ呑気に
無防備でいるのか」

「いや、そうではない。世界がどんどん悪いほうに変わっているとき、オランダは世
界のお手本なのだ。オランダ人の自然体と開放性はオランダの価値として守っていか
なくてはいけないのだ。こんな事件でくじけるな」

「オランダ国民は力を合わせて近隣の大国や水の氾濫から身を守りながら生きてきた。
王室はオランダ人の結束の象徴だった。だがこの事件でその象徴も幻想だと知れた」
との意見には、予想したように「王室なんかやめてしまえ」という意見もでた。「王
制という制度はいまの時代は必要としない旧いものだ。オランダも共和制でいいでは
ないか」

 シーラ・ウェーヴァーさんという女性の投書は興味深い議論を起こしました。

「わたしは、容疑者は生まれついての悪人ではなく、ただ心を深く病んでいただけだ
と思う。だが事件は、民主主義の社会でわたしたちはこのような病理をもつ人びとと
も共存しなければならないことを再認識させた。彼にとってもわたしたちにとっても、
それは辛いことだが、それが民主主義の宿命であるのだろう。じつは、わたしは彼が
死亡したと聞いてほっとしている。生きていても、事件の重みとわたしたちからのプ
レッシャー(世間の目)とで、結局彼はつぶされてしまったろうから」

 この投書に対して、アメリカからトルーマン・ブリーソープという男性から反論が
あった。

「あなたは甘い。この男は病気などではない。世の中には悪意をもって生まれてくる
悪人というのがいるのだ。この容疑者もそのひとりにわたしにはみえる。彼は王室の
メンバーをみんな殺してやるのだと言って、だが失敗したのだ。それでもこれだけの
衝撃を与えられたから、彼は笑いながら死んでいっただろう」

 そのブリーソープ氏に、キャンディ・ホークというイギリスの女性がさらに投書を
寄せた。

「あなたはほんとうに西部劇そのままのアメリカ人ですね。シーラさんは、ひとはと
きに醜いことをするけれど、そのとき彼らの心は病んでいるのだと言っているのです。
彼女の見方はヒューマニストの観察なのです。ひとをひととして観察することが好き
なオランダ人なら、だれでもする当然な見方です」

 三通の文通を読んで、わたくしにはブリーソープ氏よりもふたりの女性の意見のほ
うがずっとわかりやすかったのですが、でもそれと同時に、彼女たちの意見は、西洋
的な「個人主義」の思想を前提にしているなあ、その枠組みにとらわれてひとを見て
いるなあと思ったのであります。

 それはちょうど自在に飛び回っていながら、じつはお釈迦様の手のひらを一歩も出
ていなかったという孫悟空の話を思い出させるのですが、わたくしの思いを説明する
ために事件を総括してみると、こういうことであった。

 容疑者はカースト・テイツという名の男性で、38才。失業して生活に困り、ガス
代、電気代がたまったままということでありました。600ユーロほどの家賃も払え
ず、もうじき住んでいた家からも追い出されるところだったということです。近所の
人がテレビに聞かれて、「おれはもう疲れた。こんなに不幸な人生ならもうおれはい
なくなってもいいんだと話していました」と言っていた。

 失業してもオランダには失業保険があるだろう、家賃が払えないといったってしば
らく待ってくれと家に頼むのがふつうではないか、そして数週間くらいは大家も待つ
のがふつうではないか・・・。だが、彼はその手続きをふむこともなく、いとも簡単
に絶望してしまい、おれがこんなに不幸なのになぜ王室はぬくぬくと楽をしているの
だと考えたというのであります。

 人生の疲労が王室への暴力にとぶのはちょっと飛躍ではないかと思えるが、一説に、
疲労を暴力へ引火したのは役場からきたなにかの料金の不払い通知だったという説明
を聞きました。オランダの役所の通知はレターヘッドに「 In the name of Her
Majesty 女王の名において」というひと言が書いてあるのですが、女王の名において
不払いの督促をされたテイツ氏は、怒って女王の殺害を決心したというのであった
(この説明も飛躍していると思いますけど・・・)。

 ということで、ウェーヴァーさんとホークさんに戻りますが、彼女たちの意見には
わたくしが常々感じてきた「オランダの印象」(というか、もっと広く「西洋の印象」
と言ってもいいのですけど・・・)が見えたのでのであります。

 どういうことかと言いますと、西洋には功利主義にもとづく個人主義思想の流れが
ありますね。

 功利主義を最初に唱えたのはジェレミー・ベンサムでしたが、彼は「夜警国家論」
のなかで、「ひとはだれでも幸福・快楽を追求する権利がある。その追求のために個
人の自由は最大限に保障されるので、国家なりとも勝手に個人生活を干渉すべきでは
ない。国家はひとびとが寝ている時だけわれわれの安全を守ってくれていればいいの
だ」と書いた。国家はひとが寝ている時だけ仕事をしてくれればいいから「夜警」な
のであります。

 ベンサムの功利主義は、孫弟子であるジョン・スチュワート・ミルの「自由論」に
受け継がれるわけですが、オランダにおいて、ベンサム流の「国家と国民との夜警的
でミニマムな関係」は、個人同士のあいだにもおよぶ。個人個人が幸せを追求すると
きは、隣人でさえも干渉すべきでないというわけであります。

 子どもたちをみているとよくわかるのですが、この国の子どもたちはほんとうに自
由にじぶんの将来を決めている。もちろん、親がやいのやいのうるさいところもある
が、大方はじぶんでこういうことがしたい、ああいうことがしたい、こういうことだ
けはしたくない、ああいう奴にだけはなりたくない、ということを考えて進路を決め
ていく。早い話が、進学することだけがエリートへの道だとは考えていないのです。
エリートになることがいいことだとも思っていない。もっとおもしろい人生がありそ
うだ、そのためには学校なんか行っていてはダメだなと考える子どもたちが本当にい
るのです。彼らは、親や学校や近親者の意向・願望・希望をことごとく蹴飛ばしてじ
ぶんの好きな道へ進んで行く。

 だが、反面、その自由には落とし穴があるのであります。

 西洋の個人主義は、個人が自由に実力をのばしていける反面、成果の出せない人間
に対してひどく冷たい、とわたくしは思う。端的に言うならば、失敗したひとびとへ
のセフティーネットがわたくしにはみえないのであります。もちろん、失敗を恐れて
いてはなにも成し遂げることはできないよとしたり顔で言うこともできますが、ベン
サムもミルも、失敗した人をどうするかということは論じなかった。それどころか、
ミルは「自由論」のなかで、ソクラテスの自由と豚の自由は価値が違うとまで言って、
敗者を突き放しているのであります。

(東大の入学式だったか卒業式だったかで、総長が「きみたちは太った豚よりも痩せ
たソクラテスになりなさい」と式辞を述べて話題になったことがありましたが、あの
話の原典はミルであります。)

 かつて、わたくしの秘書をしてくれていたオランダ婦人の成人した息子が、アル中
が嵩じてドラッグ中毒になったことがありました。中毒がすすむ過程で、彼は仕事を
頻繁に休むようになり、同僚とも距離をおき、奇妙な行動がおおくなってきたのです
が、同僚も友人もだれひとり救いの手を差し伸べようとしなかったというのです。

 息子が立ち直ろうとするのもあきらめるのも、いずれも彼の決断だ。求めてくれば
助けになるが、地獄へ堕ちると決めるのも彼自身で、それも彼の権利なのだ。

 いうまでもなく、オランダの社会保障システムにはよその国と同じく、アルコール
依存症者へのアドヴァイスとか治療とか、薬害患者の救済や蘇生私設とか、レベルに
応じた救済制度がいろいろとある。そして、それらは活発に利用されております。だ
が、それらは当事者が救済とアドヴァイスを求めていくものであって、制度のほうか
ら助けにやってくることは、まずない。

 これほどまでに自由を尊重してあげているのに、それでも成果を出せないのならも
う知らないよというわけで、個人主義という思想とそれにもとづく制度は、社会のメ
カニズムから落ちこぼれた人を救済するシステムを、もともともっていないのであり
ます。そうして社会から放り出された(と本人も思う)ひとたちは、ノイローゼに
なったり閉じこもったりクスリに走ったりする。オランダの暗い冬の気候がそれに拍
車をかけるとも聞きました。

 そういう落ちこぼれを表現する定義をもたない「個人主義国オランダ」では、テロ
リストでもなく秘密政治結社のメンバーでもないこの容疑者のような人物は、ただひ
とこと「精神異常」あるいは「病人」として片付けられてしまう。

 ウェーヴァーさんもホークさんもヒューマニストとして優しいひとたちなのでしょ
う。ブリーソープ氏に比べれば、心に襞(ひだ)は柔らかく、ひとを暖かく見ること
ができるひとたちでしょう。だが、その優しさの反面、彼女たちはベンサムやミルや
ロバート・オーウェンの思想の枠組みを一歩も出ていないのであります。そして結局
彼女たちの意見はテイツ氏のような「病人」を救うことには、まるでなっていないの
であります。

 その限界は、彼女たちだけではなくわたくしたちも同様かもしれませんね。理論で
説明できず、説明されても納得を超える出来事に出会うと、わたくしも「異常だ」と
しか言えないな。

 おそらく来年からのパレードは警備の敷居が高くなるでしょう。でも、それはオー
プンネスの本質には関係ないよと隣のオランダ人夫婦が言っていた。ほかの国では市
民のほうが表敬とお祝いにお城まで出向くだろう、オランダでは女王が町を選んで訪
問されるのだ、それがわたしたちの王室のオープンネスなんだ、それは変わることは
ないんじゃないかな、と彼らは言うのであります。

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春(はる)具(えれ)
1948年東京生まれ。国際基督教大学院、ニューヨーク大学ロースクール出身。行政学
修士、法学修士。78年より国際連合事務局(ニューヨーク、ジュネーブ)勤務。2000
年1月より化学兵器禁止機関(OPCW)にて訓練人材開発部長。現在オランダのハ
ーグに在住。共訳書に『大統領のゴルフ』(NHK出版)、編書に『Chemical Weapons
Convention: implementation, challenges and opportunities』(国際連合大学)が
ある。( http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/9280811231/jmm05-22 )
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続・海賊物語

                              2009年5月22日発行
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▼INDEX▼

 ■ 『オランダ・ハーグより』  第218回
   「続・海賊物語」

   □ 春 具 :ハーグ在住・化学兵器禁止機関(OPCW)勤務


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■ 『オランダ・ハーグより』 春 具               第218回
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「続・海賊物語」

 ロッテルダムで、海賊の裁判が始まりました。

 被告はソマリアから連れてこられた5人の男たちで、彼らは今年のはじめソマリア
沖を通りかかった船を襲ったところを逆に捕まってしまい、船籍がオランダ・アン
ティーユだったので、ロッテルダムに連れてこられて裁判にかけられることになった
のでした。

 捕まってしまってアタマを垂れているかというと、全然そんなことはなく、彼らは
嬉々として楽しそうにしているという。なにしろオランダの牢屋はソマリアの生活よ
りずっと快適で、部屋にエアコンは効いているし、食事は三度三度ちゃんとでてくる。
それもソマリアで食べているものよりずっとおいしい。テレビもあってサッカーの実
況中継も見られる。フィットネス施設もある。つまりオランダの牢屋において、彼ら
はソマリアにいるときよりずっと文化的な日常を過ごしているのであります。

 それにオランダ刑法に死刑はないのです。ですから、たとえ終身刑になったとして
も、切った張ったの海賊生活よりずっと穏やかな余生が暮らせるというものだ。なに
よりも安心してゆっくり休めるのが嬉しいと海賊たちは言っていた。

 弁護士は、被告たちは善良なソマリア国民であるが不幸なことに海賊のグループに
捕まってしまい、銃で脅されてやむなくこの道に入ったのだと弁護しておりました。
彼らの生活は貧しく、銃をつきつけられながら、海賊になればおいしい生活が待って
いるぞと言われて仲間にはいったのだという。

 すなわち、諸悪の根源は彼の国の貧困である。20年にわたる内乱である。貧しさ
とアナーキーのなかで、彼らは生きるために海賊という道に入り込んでしまったのだ。
彼らにはほかの選択肢があっただろうか、わたしたちはそのことに深く思いを寄せな
ければならない、と弁護士は論じておりました。

 ソマリアは「失敗した国」の典型であります。「失敗した国」の定義はいろいろあ
りますが、どの定義をもってきてもすべてにあてはまる、完璧に「失敗した国」であ
ります。内乱だけでなく、近隣諸国の部族対立のあおりも受け、また欧米諸国の思惑
と暗躍が入り乱れて、あの国はまともなガヴァナンスをもったことがないのです。そ
のなかで海賊ビジネスだけが盛大に発展を遂げている。被告たちはその不均衡の犠牲
者なのだと言うのであります。

 海賊ビジネスに対し、世界からの風当たりはつよい。風当たりは昨年あたりから
いっそう強くなってきていて、多くの国が自国の船舶を保護するために軍艦をアーデ
ン湾に派遣してパトロールと護衛をし、ときに海賊と戦火を交える事態もでてくるよ
うになった。

 このあいだもアメリカ籍の船が海賊に襲撃され、船長が人質となる事件がありまし
たね。アメリカの大統領が海軍に射殺許可をだし、特殊部隊が海賊を狙撃して、船長
を救出した事件であった。ひとり捕われた海賊は(まだ16才ではなかったかな)、
ニューヨークへ連れてこられて裁判を受けることになったという話も付録でついた
(アメリカで海賊が裁判にかかるのは100年ぶりとかで、そのこともニュースに
なっていましたっけ)。

 そして世界は、海賊がうろつくのはあの国のガヴァナンスが機能していないからだ、
破綻しかけているソマリアを国家として立ち直さなければほんとうの解決にはならな
いと、ちょうどロッテルダムの弁護士が論じたように、彼の国へ2億ドルほど「海賊
退治」特別会計支援金をだすことを約束しております。

 ところで、海賊の世界は徒弟制度で成り立っています。中世のヨーロッパにおける
ギルドそのまま、つまり、新入社員はまず現場に配属されて実地に技術研修を積む。
略奪のノウハウと戦利品処理のマネージメントを取得しながら、管理職のランクを
昇っていくのであります。オランダ船を襲撃したりアメリカ人の船長を拘束した彼ら
は、出世階段を驀進中の営業部員であった。そして幹部までになった海賊は、すでに
幾人もがミリオネアになっているという。文字通りのベンチャービジネスですから、
勇気がありたくましく若くてハンサムな海賊たちは若い娘たちにも人気があり、縁談
も増えているといいます。

 近年の海賊ビジネスは、ソマリア東北部の沿岸沿いに発展した新興産業であります。
ですから、沿岸沿い(ソマリア東北部、プントランドと呼ばれる地方)の村落はいま
では「基地の町」として発展し、船舶関係の事業の他に、バーやナイトクラブを中心
とした歓楽街が出現した。発展のテンポは急速な右肩上がり。音楽で言えばアレグロ
・ヴィヴァーチェ(早く、軽快に)であります。

 ソマリアはイスラムの国ですから、お酒は飲めません。が、沿岸のナイトクラブに
は隣国エチオピアからエチオピア製のウオッカやジンが持ち込まれているそうである
(エチオピア製のウオッカと聞くとすこしぎょっとしますね、おいしいかもしれませ
んけど)。勇気がありたくましく若くてハンサムな海賊たちは、ゴールドでできた太
い鎖を首にじゃらじゃらと巻き、ダイヤのついた高級時計をはめ、レンジ・ローバー
やトヨタ・サーフを運転して、クラブやバーへ遊びにやってくる。沿岸に点在する町
は、彼らが落とすオカネでたっぷり潤っているというのです。国が破産寸前だという
のに、その一地方はマカオかモナコのような発展ぶりである。

 だが、海賊経済のGDP指標が上昇する反面、犯罪や暴力は増え、ドラッグやエイ
ズが広がるようになって、市民の安全という別の指数の数値はどんどんさがっていく。
こういう発展は経済モデルとしても歪(いびつ)であります。

 ということで、プントランド地方の行政改革が叫ばれ(もっとも、国中でドンパチ
が繰り返されているとき、この地方だけをもって市民の福祉や安全を論じるのも奇妙
な気がしますけど・・・)、このあいだ、住民の安全と福祉を公約にした候補者があ
たらしい知事として選出されました。公約の目玉は海賊退治であります。欧州からの
2億ドル支援は、新知事の行革の資金となるわけである。つまり海賊にしてみると、
海で軍艦に追いかけられるだけでなく、陸でも政治改革・海賊追放の声に追いかけら
れることになってしまった。海と陸の両側から同時に締め付けられ、やりにくい事態
になってきたのであります。

 だが、海賊たちはさほど慌ててはいないようである。

 海賊たちは業界の組合組織をつくっていて、それは Corporation とよばれていま
す。すなわち「コープ」である。数ヶ月前、フランスのジャーナリストがその海賊共
同組合の広報責任者にインタビューをした話をわたくしはJMMに書いたことがあり
ましたが、最近、その続編というか、今度は彼の上司にあたる海賊協同組合の組合長
がじきじきにインタビューに応じておりました。組合長はアブシール・ボヤ氏といい、
43才の働き盛りであります。8才のときに学校をドロップアウトし、漁師になって
1990年代から海賊をはじめたという、業界の先駆者でミリオネア・パイレーツの
ひとりである。

 ジャーナリストはレストランにボヤ氏を招いて、食事をしながらインタビューをす
ることにした。

 やってきたボヤ氏は、すでに知名人なのですね、ほかのお客からの握手攻めにあっ
てなかなかテーブルまでたどり着けないでいる。長く立ち話をしていた男はあとで従
兄弟だと紹介されたが、職業は警察署長だということであった。

 本当なのかからかわれているのかわからないままでいると、ボヤ氏は駱駝肉のステ
ーキとスパゲッティを注文し(アフリカらしいメニューですね)、「こんなところで
白人のジャーナリストとテーブルにつくなんて、まるで猫と鼠が一緒に飯を食うみた
いなものですな」と話し始めるのです。なかなかユーモラスな人物のようであります、
ボヤ氏。

「昨今の世界からの圧力は、事業に影響がありますか・・・」
「仕事はたしかにやりにくくなっています。この商売は特殊ですから、軍艦にうろう
ろされて不必要に緊張しますね。そういうプレッシャーはありますが、宝船は軍艦が
油断しているあいだにも頻繁に通りますから、プラスマイナスすると総収入はさほど
変わっていません」

「でも、捕獲される海賊仲間の数は増えているでしょう・・・」
「要するに、追っ手からどうやって逃げ切るかです。ビジネスの環境は日々刻々と変
わるので、能率的で効率的な逃走のためにも、技術の改革はつねに必要です。」

 危機管理の本質を捉えていますね。8才で学校をドロップアウトしたひとの発言と
は思えません。「カンブリア宮殿」に出演したら企業経営者たちも学ぶことが多いの
ではないか、などとわたくしは一瞬考えてしまった。

「プントランドのあたらしい知事は、海賊追放をスローガンにしているそうですけど
・・・」
「この国には行政力と政治力をあわせもつ政治家はいませんから、彼はちっとも怖く
ないですね。それより・・・」とボヤ氏は続ける。

「じつは海賊組合は、そろそろ解散しようと思っているのです」と意外なことを言い
始めたので、インタビューをしていたジャーナリストはおどろいた。

 解散の理由とは、ソマリアのイスラムのイマムたち(イスラム教指導者)からの宗
教的な圧力だというのです。宗教指導者たちは、知事や政治家たちとは別に、宗教上
の理由から海賊を放ってはおけないと考えはじめたというのです。

「イマムたちとの話し合いの席で、彼らはイスラムの戒律に従って、悪さをしたわた
したちの手足をちょん切るぞとおっしゃるのです。政府や軍隊がそんなことを言っ
たって怖くはないけれど、相手はイマムですからね。わたしもイスラム教徒ですから、
イマムに罰当たりだと言われるとかないません。」

「そもそもソマリアは真摯なイスラム国家です。イスラム教はわたしたちの宗教であ
り文化です。イマムがおっしゃるのなら、わたしたちも宗旨に反したことをしながら
生きて行くわけにはいきません。」意外な発言であります。

「イマムは、若い女性たちに海賊とつきあうのはアラーの神の道に背くことだと教え
はじめています。アルコールだけでなく、ドラッグやエイズもわたしたちが持ち込ん
だのだと説教しはじめ、海賊と聞いただけで彼女たちは扉を閉めるようになりました。
それで困っているのです。もともと、海賊は外国人を相手にしているので、わたした
ちは市民の敵ではないのです。」

「そこで、わたしたちも罪滅ぼしをすべきではないかと思うようになりました。組合
の集まりでも話し合ったのですが、海賊は男一生の仕事ではないし、それにわたした
ちも天国に行きたいのです。酒に溺れ、自堕落な生活をしていては天国へは行けませ
ん。今日もわたしはここへ来る前に祈りを捧げてきたのです。祈ってアラーに許しを
請いました。わたしたちはアラーだけではない、世界の人びとからも許してもらいた
いのです。」

「わたしたちは昔のように素朴なフィッシャーマンに戻り、静かに魚を捕って暮らそ
うと話しているのです。そしていままでの収益をモスクに寄付しようと思っているの
です。」

 祈り? 海賊が祈り? 許しを請う? 更生する? 事業の廃業・解散? 漁民へ
回帰? モスクへ寄付? ジャーナリストはわけがわからなくなって言葉を失ってし
まう。

 この男、アブシール・ボヤとはいったい何者なのだろう・・・。改心して目覚めた
修道者なのか? 免罪を求める使徒なのか? 権力にすり寄って恩赦をねらうオポ
チュニストなのか? それとも市民のオストラシズムを怖がる小悪党か? あるいは
天をも恐れぬ大嘘つきで、わたしをからかっているだけなのか、メディアを通じて世
界をバカにしているのか。警察署長だといって肩を並べていた男は従兄弟だと言って
いたな・・・。いったいどこからどこまでが本当なのだろう。

 ボヤ氏の携帯が鳴った。

 電話に出た彼は、「わかった」と低く答えて立ち上がり、行き先も告げずいそいそ
と小走りでレストランから出て行ったということであります。

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春(はる)具(えれ)
1948年東京生まれ。国際基督教大学院、ニューヨーク大学ロースクール出身。行政学
修士、法学修士。78年より国際連合事務局(ニューヨーク、ジュネーブ)勤務。2000
年1月より化学兵器禁止機関(OPCW)にて訓練人材開発部長。現在オランダのハ
ーグに在住。共訳書に『大統領のゴルフ』(NHK出版)、編書に『Chemical Weapons
Convention: implementation, challenges and opportunities』(国際連合大学)が
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デンマークの2学期制

                              2009年1月19日発行
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■ 『平らな国デンマーク/子育ての現場から』 第74回
  「読者からの質問にお答えしてー2学期制」

 ■ 高田ケラー有子 :造形作家 デンマーク北シェーランド在住


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■ 『平らな国デンマーク/子育ての現場から』            第74回
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「読者からの質問にお答えしてー2学期制」

 先々週、息子がインフルエンザにかかったようで、1週間学校を休まざるを得なく
なりました。週末から熱が出て、実はその翌週の月曜日に別件でホームドクターの予
約を取っていたのですが、当該月曜日に「インフルエンザのようなので、今日の予約
は取り消してください。医者には連れて行きません」と電話している自分がなんだか
おかしく思えて来ました。日本にいれば、熱を出して苦しんでいる息子を横目に、そ
んな電話はしないだろうし、インフルエンザかどうかちゃんと診てもらって、薬や注
射を打ってもらうために医者に連れて行くのであろうなあ、と思いながら電話を切り
ました。「熱は体が闘っている証拠で、出せるだけだしたほうがいい。解熱剤もでき
れば飲ませない方がいい。十分な水分をとって、熱ができってしまうのを待ちなさ
い」という、週末の休日電話相談の医師のアドバイスどおり、医者には診せず、息子
は熱と闘ったのでした。

 息子が熱を出したり、腹痛などを訴える度に、私が日本から持ち帰っている日本の
市販薬を飲ませて、少しでも楽にしてあげたい、と言う気持ちと、デンマーク式で薬
などに頼らずできるだけ本来持っている人間の自然治癒能力で治せるようにしておか
ねば、という気持ちが闘います。でもこの国で息子は生きて行くのだから、と、自分
に言い聞かせて、日本の薬は飲ませずに、今回も息子は熱と闘って、すっかり元気に
なりました。毎回それでいいのかどうかの判断も難しいところですが、11歳になっ
た今も、いまだにそうした理由から電話相談だけでこと足りる事がほとんどで、ホー
ムドクターのお世話になることはあっても、小児科の医者には一度もかかったことが
ありません。

 ただ、おもしろいことに、私自身もこの国に来てから医者に行っても何もしてくれ
ないことがほとんどなので、最初から行かなくなって来た事で、逆に鍛えられたの
か、風邪も引かなくなり、ここ数年熱も出た事がありません。日本にいた時より健康
体になっているのが、不健康な睡眠時間で年齢的にもいろいろあってもおかしくない
のに、不思議に思う事もよくあります。ストレスが少ない事も大きく影響していると
は思いますが、環境が変わる事によって、自己防衛の力も増すのかもしれない、など
と思うこのごろです。

 息子のインフルエンザや展覧会などで、しばらくご無沙汰しております間に、庭先
にはクロッカスの花が咲き、まだまだ気温は低いものの(夜中は氷点下、日中は5度
から10度前後)、春はもうすぐそこまで来ているようです。

 先月から始まった展覧会は、おかげさまで好評で、息子の学校からは3年生と4年
生が路線バスに乗って遠足気分で来てくれ、そのあと、息子のクラスではデンマーク
語の授業の中で展覧会を見た感想をグループ毎に文章に書き出し、それを展覧会の
Web Talkサイトにネットを通じて書き込む、という授業にも展開してくれました。学
校の普通の授業の日に、気軽に展覧会に足を運んでくれる学校のあり方も嬉しい事で
すが、見ただけで終わらず、他の授業にも反映させてくれることは、教科書だけに頼
らないフレキシブルな学習で、教育が生きている、と思えるところでもあります。

 ご無沙汰している間に、読者の方から日本のあちこちで議論されている二学期制を
どう思うか、またデンマークの学校の休暇や成績はどうなっているか、というご質問
をいただきました。以前にも、似たような質問を複数の方からいただいた事もあり、
デンマークでの学期制はどのようになっているのか、また成績などはどうしているの
か、日本の2学期制について思うことなど、今回は書いてみたいと思います。

 まず、私が暮らしているHelsingeという町の公立の国民学校(デンマークでは日本
の小中学校が一緒になった形)では、8月の中旬から新学年が始まり、6月の末に年
度末を迎えます。夏休みは6週間。ただ、夏休みが6週間になったのは、つい最近の
事で、次の夏休みで3年目になるというところです。各地方自治体によって多少の違
いがあるようですが、それまでは、6月20日前後で年度末を迎え、夏休みは7週間
でした。その減った1週間の内数日が、クリスマス休暇が延長される形で補われてお
り、それまでは1月2日から学校が始まっていたのが、現在は1月最初の月曜日にク
リスマス休暇が明ける形になっています。つまり年間の休暇日数にほぼ変わりはな
く、ほんの気持ちだけ授業日数が増えた程度になっています。

 年間の休暇は、6月から8月にかけての6週間の夏休みの次は、10月に1週間の
秋休み。12月20日過ぎ当たりから1月初旬まで約2週間のクリスマス休暇。2月
の2週目あたりに1週間の冬休み。暦によって毎年時期は違いますが、3月から4月
にかけて約10日間のイースター休暇の年間5回で、トータル11~12週間の休暇
がある、ということになります。その他、もちろん祭日などがあるわけですが、デン
マークでは、5月から6月初旬にかけて3~4連休となる祝日が3回ほどあります。

 年間の授業日数は、息子の学校では2008年夏から2009年6月末までの一年
度で199日。日本とさほど変わらないかと思うのですが、感覚的には休暇も多く、
授業日数もずっと少ない気がしています。これは大人が公的にとれる休暇が最低5週
間保証されている事が大きく影響しているのと、時間割が効率よく、6時間目が13
:45分には終了しているので、生徒も教師も午後の時間を有効に使っている事など
が影響していると思います。

 このように約2ヶ月毎に小休暇があるので、学期の切れ目という感覚はありません。
一応学校では2期制をとっていて、前半と後半と言う意識で、前半がクリスマスま
で、後半が新年以降という意識はありますが、これも感覚的なもので、実際の成績な
どは、明確にいつからいつまでが前半の成績で、いつからいつまでが後半、と明確に
定められている訳ではありません。学期末の終業式や学期初めの始業式、などという
ものもなく、けじめには欠ける部分がありますが、みなが集まる機会だけ設けて、簡
単な挨拶程度の事をしているようで、学期末の最終日はクリスマス前はクリスマスの
飾りや両親へのプレゼントを作って終了し、授業はありません。夏休み前の最終日も
似たような感じで、授業はなく、全体でリクリエーションなど楽しく過ごして終わ
り、という感じですが、式、という意識はありません。

 各小休暇に入る前も、冬休み前はお菓子作りだったり、イースター前はイースター
の飾り作り、秋休みはマラソンデー、とそれぞれ前日は通常の授業はない形で休暇に
入っています。

 学期初めは、いきなり始まりますが、最初の授業はたいてい休み中に何をしたかを
発表する、というような時間で数時間過ごしてから、本来の授業に入るという形のよ
うです。

 こうした休暇のあり方は、国民性や宗教的な祝日との関わり、また風土とも密接に
関わっているもので、デンマークの子供たちには2ヶ月毎くらいにちょっとした小休
止が入って、また勉強に戻る、というのがいいリズムにもなっているように思います。
2学期制という意識も、親子面談が1年に2回あって、その時に成績めいた指標が示
される、ということで区切り意識を持っているだけで、子供たちには特に意識するも
のではないように思います。

 この1年に2回の親子面談ですが、子供たち一人一人のフォルダーがあって、そこ
にゼロ年生からの記録がずっと入っているのですが、面談前に事前に質問項目に家庭
で回答して、それを提出しておきます。それをもとに面談日には先生方と話をするの
ですが、同時にクラスの中でどの位置にいるか、という各教科別の成績のようなもの
が面談時にはフォルダーに追加されており、それを見せてもらう事になります。

 今年度の2期目の面談が、実はもうすぐなのですが、今年は早い感じです。3年生
までは、1期目が11月、2期目は4月から5月にかけてだったのですが、4年生に
なって1期目が10月、2期目が3月後半となっています。これは、指針となる成績
を出してからの伸びを見る、ということのようで、学年末に「よくできました」と
か、「できませんでした」と言い放って終わるのではなく、よくできているしさらに
努力しましょうとか、できていないのでこの学年のうちにこれこれしかじかはやって
おきましょう、という方向性を見いだすために、早いうちに面談をする、ということ
のようで、こうした面談の時期も、各担任が学年毎に意向を揃えているようで、学校
によって、また個々の先生の考え方や指導方針によって変わるものであり、その時期
ややり方が決まっている訳ではないようです。

 息子の学校の4年生では、10月に1期目と3月に2期目の面談、ということで、
事前の質問事項は以下のような内容になっています。

準備面
1)宿題は自分からしているか。
2)時間割は自分でしているか。

学校生活
1)クラスメートと仲良くできているか。
2)休み時間は好きか(どのように過ごしているか)
3)誰かからいじめられていないか。またいじめていないか。またいじめたりいじめ
られている人を知っているか。

学習面
1)授業に集中できていると思うか
2)できない部分をできるようにする努力をしているか
3)各授業に興味はあるか
4)共同作業は協力しているか

 といような質問事項があり、YesかNoで回答するのですが、その中間もありだし、
コメントを付け加える事もできる、というフレキシブルなものです。

 それに対して、面談時には先生方からも(面談は2名の教師が担当しますが、科目
毎に先生が違うので4年生では5人の先生からの指針が入ります)、上記の質問に対
応する形で、宿題はして来ているか、忘れ物は多いか少ないか、クラスメートとの関
係はどうか、授業中の態度はどうかなど、文章でコメントが入ったものがそのフォル
ダーにファイルされています。

 生徒の方からその質問事項に回答する期限は、面談の約2週間ほど前までで、提出
してから先生方がファイルを仕上げ、面談に望む、ということになります。面談は必
ず親子で行くのですが、たいていが両親共に出席し、先生2名と5名での面談と言う
のが通常です。時間は一生徒につき約20分。平日の午後3時くらいから7時半くら
いまでの間でスケジュールが2日間設定され、どの日のどの時間帯に行きたいか、学
校のホームページの保護者用イントラネットで予約を取ります。

 成績は、特にテストをしているわけではないので(デンマーク語と英語の簡単な書
き取り程度しかしておらず、算数は宿題と授業中の理解度だけで評価がでており、大
きなテストは7年生になるまでしません)、成績も点数が出ている訳ではなく、クラ
スの中で各教科どの位置にいるか、という相対評価です。評価の表示方法は1本の線
上に、左端から「できない」「あまりできない」「中くらい」「できる」「よくでき
る」の5段階のポイントがあり、その横線上にバツ印でその子供の位置を記す、とい
うやり方で、「できる」と「よくできる」の間に印が入る事もあります。

 まあだいたいこんな感じ、というイメージで捉える事のできる表示の仕方で、絶対
評価ではないので、クラスのレベルというものもあるので、一番大切なのは先生方と
直接話をすること、ということになります。教師以外にも学童の保育師がこの面談に
加わる事もあります。

 面談の最後には、教師から子供の目標を聞かれ、子供が回答した目標がファイルに
書き込まれフォルダーに追加され、そこに子供自身が約束のサインをします。前回約
束した目標が達成できているかどうか、ということも次の面談で確認することになり
ます。

 日本では、成績表を出す、ということも先生方の負担になっている、と言う話はよ
く聞きますが、実際に行ったテストの結果や日常的な学校での子供たちの生活面も含
めて、1クラスの人数が多い日本の学校では、その負担も大きいものと思われます。
息子の学校での7年生までのこの横線上にバツ印を入れるやり方は、ともすればいい
加減にもなりがちですが、そんなに神経質にならずにできるであろうということを思
うと、もちろんそれでも人数分のファイルを作成するのは大変でしょうが、日本と比
べるとかなり楽なのでは、と思います。先にも書いた「まあだいたいこんな感じ」と
いうイメージを伝えてもらって、それで満足できる国民性というのもあるのか、もと
もとテストもなく、順位付けをする事が目的ではない成績表なので、特に不満なども
ないようです。

 息子の学校の平均的なクラス人数は約20名。もともと28名以上のクラスは作ら
ない事にもなっているのですが、24名以上のクラスは私たちの周辺地域の学校では
見た事がありません。

 さて、日本での2学期制の導入をどう思うか、ということですが、そのメリットと
デメリットを導入済みの学校などから検証して行く事も大切だろうと思います。デン
マークの国民学校では定期テストもありませんので(2007年から予定されていた
全国テストもいまだに行われていません。ITベースでの試験に問題が残っており、
今年の春全国で100校を対象にしたITベースのテストが試験的に行われる事に
なっていますが、息子の学校は試験校には入っていません)、特に学期制の意識はあ
りませんし、そもそも高校受験も大学受験もないので、子供たちも先生方もかなりリ
ラックスしている、という点で、日本とはまず違うので、単純に比べる事はできませ
んが、日本の場合は、夏休みの位置づけがその気候風土からして、一定期間は必要な
ものであろうと、涼しい国から見て思います。

 デンマークなどは、気温が30度以上になったら授業はしない、ということになっ
ているように、暑い最中にクーラーのない教室で蒸し風呂状態で勉強など集中できる
ものではないでしょう。もちろん日本は南北に長いので、地方によって夏休みの設定
に違いがあって当然ですが、平均的には夏休みの必要性は大きいかと想像します。具
体的に2学期制を導入する際に、学期の途中で長期の休暇が入る事で学習意欲を継続
できなくなると言うようなデメリットや、授業日数を確保する意味で、8月中旬まで
を夏休みに設定しているところもあるようですが、実際に8月中旬のまだ暑い最中か
ら学校が始まる事で、たとえ授業日数を増やせたとしても、そのデメリットはないの
か、と素朴な疑問をいだきます。

 日本の3学期制が日本の四季との関係が密接である事を考える時、デメリットとし
て、季節感が薄れるということや、昔ながらの風習や礼節を重んじる国民性からする
と、ないがしろにはできないこともあるでしょう。そもそも日本での2学期制は20
02年度からの完全週5日制と新学習指導要領の施行から端を発して、授業日数の確
保から始められた学校や地方自治体も多いかと思うのですが、導入済みの学校の生徒
や保護者、教員の声はどのようなものなのでしょうか。また導入から数年経っている
学校では既に卒業生もでているわけで、そうした学校の追跡調査というか、メリット
として見えて来る事をより検証しいくことがまず必要なのではないかと思います。ほ
んとうに誰にとってもゆとりに繋がっているのかどうか。

 新しいシステムに慣れる事に時間がかかるのは当たり前で、効果や課題となるもの
がでるのにも時間がかかるものと思われます。導入してすぐにそうした結果が出るも
のでもないでしょう。またデメリットの解消方法を2学期制の中でも追求できるか、
という点を検証してみる事も大切なのでは、と思います。

 同じ県や都市のなかで、導入している学校としていない学校が混在する事での支障
などはないのでしょうか。例えば、定期試験の日程と県のスポーツ大会の日程が重な
るなど、そうした支障もないとはいえないと思うので、多方面からの考察が必要でも
あると思います。

 自分が3学期制で育った感覚で言えば、3学期は短すぎたと言う印象は確かにあ
り、3学期を設ける必要があるのか、という意識を持った事があるのも事実です。高
校時代など特にそう思いました。私が生徒の立場であればテストの回数が減るなら、
そして休みが短かくならないのであれば、2学期制も嬉しいかも、と思うところです
が、逆にテストの回数が減ると言う事は試験範囲が広くなるというデメリットもあ
り、またテストが終わって夏休みに入るのではなく、夏休み明けにテストとなると、
夏休みの過ごし方も変わる可能性があり、生徒の立場としても一長一短です。

 保護者の中には、受験への影響を心配してテストの間隔が長くなる事への懸念もあ
るようで、2学期制のデメリットとしてあげられているようです。もうひとつ、通知
表の回数が減る事で、子供の状況を伝える回数が減る事への懸念もあるようですが、
息子の学校での親子面談を思うと、2学期制でも、しっかりと教員と話し合っている
ことで、学校での様子がわからない、などと言う事はこちらでは特に感じていません
し、これを解消する方法は考えられるものと思います。

 年に3回成績を出すことの負担や、始業式や終業式が1学期分少なくなることでで
きる時間のゆとりがメリットとしてあげられているようですが、同じ内容を学習する
ためにもっと授業日数が必要、ということであれば、日数に応じた詰め込まなくてい
い学習のあり方を模索してもいいのでは、などとも思います。私などは、いっそのこ
と日本の小学校は7年制にしてゆっくり勉強してもいいのでは、などと極端なことも
思ったりします。1年くらい遅くなっても、学習量そのものが根本的に多いのですか
ら、生徒や教師の負担を考えたストレスの少ない方法論としては、そうした可能性も
あるのでは、などと思ってしまいます。

 デンマークはそもそもゼロ年生から始まり(ゼロ年生は義務教育の範囲ではありま
せんが)、9年生の上にはさらに任意で残れる10年生もあるので、その意味では柔
軟性がありますし、生徒の個人差を考えると、そうした可能性を模索する事も一つの
道だとは思います。少子化で教室も余って来ているようですし、新たな予算がかかる
かもしれませんが、授業日数を増やす事で学習時間にゆとりを、というのはちょっと
違う気がしてします。

 みんながみんな大学に行く訳ではなくても、受験という大きな関門があるために、
いろんなところでしわ寄せが来てストレスフルになっている、ということも受験のな
い国からみていて思うことです。

 外国から見ると、日本の国語の勉強は漢字がある分、ほんとうに大変だとつくづく
思うのです。それがない分、デンマークの子供たちはそれこそゆとりをもって、デン
マーク語の学習もできている、と感じています。4年生ではデンマーク語の授業でも
コンピュータでの入力作業にも力を入れているくらいで、時代とともに授業の内容も
変わって来て当然ですが、受験とは関係のない実践的な取り組みができるところで
も、余裕があると思います。

 地域の気候風土や各学校の施設事情(夏はクーラの有無など)、日本の学習指導要
領と受験事情など、いろいろな事情が絡んでいて、簡単に2学期制がいいとも悪いと
も言えないですが、そのメリットとデメリットは表裏一体で、各学校で状況に応じた
対応を熟慮する必要があることにちがいはないと思います。現在、導入する、あるい
は検討する傾向が強くなって来ているとすれば、同じ地域の中で足並みを揃えるのか
どうかということも一つの課題になっていくでしょう。その中で、導入している学校
の事例やスポーツ大会などの日程調整などが、導入しない学校や地域への圧力になら
ないことも大切なことであると思います。

 日本での2学期制のメリットとしてあげられているのは、行事の見直しを計る事が
できる/長いスパンで評価できる事で指導が活かせる/学習の連続性が図れる/教員
の事務仕事が軽減し、子供と触れ合う時間が増える、などがあげられているようです
が、実際にどの程度、行事の見直しが計られてそれが活かされているのか、教師や子
供たちが触れ合いの時間を共有でき、またそう感じているのか、というところまで
は、私の情報不足もありますが、まだ見えていない気がします。そもそも、週6日制
のころからある慣習的になっている行事の見直しを計る事は、2学期制を導入する以
前に課題となっていて当然の事だと思うのですが、こうした大きな変化に便乗しない
と違う事はできないというのも日本らしい部分ではあると思います。ただ、長いスパ
ンで学習効果をあげて行くという意味では確かに2学期制のメリットとして効果を期
待できるのであろうとは思います。

 ただ、学習目標を上位に掲げて、そのために授業日数を確保する、ということが基
本的な考え方になると、それでは目標が上がればもっと日数を増やさねばならない、
という悪循環につながる可能性も秘めているという気がして、そのあたりで根本的な
授業日数のあり方(生徒も教師も人として、また学習効果も含めた必要な休暇の期間
設定など)を、きちんと議論しておく事も大切なのでは、と思います。

 いずれにしても、慣れ親しんだリズムを変えるのに、時間がかかるのは当たり前
で、季節感を重んじ、夏休みや冬休みの前に学期が終わる事で、けじめがつけやす
い、ということは確かにあるでしょうし、それがひとつの文化でもあるでしょう。デ
ンマークでは、休暇を間に挟む事で学習効果を上げる、ということがあるように、休
暇はリフレッシュ期間として捉えていますし、そこで区切りを付けると言う意味での
休暇ではありません。ただ、慣れてくれば、特に休暇の前後でけじめをつける事に執
着することもなくなって来るのも事実だと思います。メリットを考えて比較的導入し
やすいであろう高校から始めて、地域で検証しながら初等教育の現場に下ろして行
く、ということも考えられるかもしれません。ただ、2学期制にしたものの、3学期
制にもどしている事例もあるようなので、そうした事例から効果や課題を検証して行
く事や、中長期的な展望も視野に入れた取り組みが必要なのであろう、と思います。

 書きながらひとつ、日本人とデンマーク人の休憩の取り方の違いを思い出しまし
た。日本人は、ある一定の仕事量や区切りがつかないと休憩しないのですが、こちら
では、仕事中であっても休憩時間がくれば後もう少しでキリがつくような場合でも、
手を止めてしっかり休憩を取ります。休暇のあり方も同じで、会社でも自分の担当し
ている事案が片付いていなくても、休暇はしっかりとるので、担当者が休暇中にはそ
の事案が進まない事もよくあります。学校でも短い休暇の前に何かを終わらせようと
いう努力はあまりみえず、むしろ楽しい気分で休暇に入ろう、という持って行き方を
しています。日本人が大切に思う「節目」の概念をどうすれば維持できるか、という
ことも、2学期制の課題だと言う気がします。

 そして、日本の夏が特殊である事を思うと(温暖化の影響もあってか、今や亜熱帯
かと思うほど暑い国ですし)、やっぱり夏はしっかり長く休めるほうがいいと思って
います。長い夏休みに小学生が汗をたらたら流しながらでも、虫取りやキャンプに海
水浴を存分に楽しんで欲しいし、真っ黒に日焼けした子供たちの姿が消える事のない
ようにと、願っています。

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高田ケラー有子/Yuko Takada Keller:造形作家
京都市立芸術大学大学院修了。日本在住時よりヨーロッパ、アメリカなどで作品を発
表。1997年よりデンマーク在住。近年はデンマークを中心にヨーロッパ、日本で
作家活動。キューレータとしても、日本のアーティストをデンマークに紹介している。

コミッションワークとして、東京都水道局「水の科学館」、岡山県早島町町民総合会
館「ゆるびの舎」に作品を手がけている。個人サイト: http://www.yukotakada.com/
著書に『平らな国デンマーク~「幸福度」世界一の社会から~』NHK出版生活人新書

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JMM [Japan Mail Media]                  No.523 Extra-Edition
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【発行】  有限会社 村上龍事務所
【編集】  村上龍
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コミュニストやーい

                            
  2009年2月13日発行





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JMM[JapanMailMedia]                  No.518
Friday Edition





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▼INDEX▼

 ■ 『オランダ・ハーグより』  第211回
   「コミュニストやーい」

   □ 春 具 :ハーグ在住・化学兵器禁止機関
(OPCW)勤務







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■ 『オランダ・ハーグより』 春 具            
   第211回





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「コミュニストやーい」

 先だっての月曜版に、編集長の「いわゆる派遣切りが相次ぎ、不
況の訪れとともに
日本共産党への関心が高まり、党員も増えているようです。日本共
産党の政策、基本
的な方針をどう評価すればいいのでしょう」という設問がありまし
た。浦島太郎のわ
たくしは、それを読んで共産党の人気が上昇中だと初めて知ったの
ですが、ワーキン
グプアと称されるひとたちや格差の不条理を考えるひとびとが「蟹
工船」や「女工哀
史」を読み、ゾラを読み、ディッケンスを読み、ジードを読み、
ゴーゴリ、ゴーリキ
ー、ジョゼフ・コンラッドなんぞを読みながら、共産党に共感を持
ち始めるというわ
けですね。

 そういえば欧州でも時代の混沌を整理するためにマルクスやエン
ゲルスを引き合い
に出す論者がでております。このあいだもTIME誌(2月2日版)に
「Rethinking
Marx マルクスを考え直す」という特集を組んでおり、で、本日はそ
れを引っ張りだ
してきてアンチョコにし、コミュニストとはなんぞやという命題を
今日(こんにち)
的に論じてみよう、と思うのであります。

 マルクスは、先進国(19世紀のことですから英・仏・独であ
る)の資本主義は内
蔵する矛盾のために自然崩壊し、かわってプロレタリアートによる
革命が起こって人
民のユートピアが出現すると論じた。が、レーニンはそんな悠長な
ことは言っていら
れない、自己崩壊を待っていたら日が暮れる、革命は格差のあると
ころにマッチを擦
れば自然発火するのだといって、ボルシェビキ運動を促進した。
レーニンの思想と行
動は帝政ロシアの衰退・腐敗とあわさって、共産革命というのが起
きてしまったので
あります。

 イギリスやフランスの政府・外交関係者たち(ブルジョア階級で
すね)は、革命の
波及をひどく恐れ、ドイツやイタリアをソヴィエト革命からのバッ
ファーにしようと
した。イギリスはヒットラーと妥協し(ミュンヘン会談)、国際連
盟はイタリアのエ
チオピア侵攻を許し、スペイン市民戦争への不干渉を決め込んで
ヒットラーやムッソ
リーニのご機嫌をとり、そうして彼らにコミュニズムへの防波堤に
なってもらい、共
産革命の拡大をおさえようとしたのでした。

 アジアで日本の満州進出を許し(連盟はリットン調査団でお茶を
濁した)、制裁を
科さなかったのは、もし日本が日中戦争で負けてしまったら、中国
は混乱し、その真
空状態に北からソヴィエトの影響がどっと入りこんできてしまう。
そうすると革命軍
によって(つまりソヴィエトの傀儡によって)イギリスやフランス
やオランダの権益
が脅かされることになると恐れたのだという説明があります。

 連盟主要国の優柔不断はかくしてヒトッラー、ムッソリーニと関
東軍の暴走を許し、
けっきょく世界はもう一度悲惨な大戦争をすることになったわけで
すが、反面、マル
クスの唱えた(そしてレーニンたちがめざした)プロレタリア革命
も、その後ユート
ピアをもたらすことはなく、かわりに世界の数千万のひとびとが世
代を超えて悲惨と
辛酸を舐めた。

 だが、わたくしたちがいま遭遇している金融危機を鑑みるに、経
済・経済学に疎い
わたくしが眺めてみても、資本主義だって成功してきたとは到底言
いがたい。マルク
スの時代は産業革命のまっただなかで、資本主義はおおきく飛躍
し、グローバリゼー
ションがはじまった時代でもありましたが、彼の時代のグローバリ
ゼーションがもた
らしたものは、より大きな不公平と貧富のあいだの格差だったわけ
で、そのことは今
の時代とよく似ていると Rethinking Marx は論じるのであり
ます。

(ついでですけど、国際機関のひな形はこの時代にできたのであり
ます。産業革命の
おかげで物資の輸送や通信が国境を越えておこなわれるようになる
と、各国がバラバ
ラに対応するのは非能率だということになって、国際的に共通のシ
ステムを作る必要
が出てきますね。たとえばダニューブ川とかライン川のような国際
河川を航行する船
舶はいくつもの国境を越える。国を超えるたびに税関の手続きが変
わったら、こんな
不便なことはない。そのために航行の安全や関税制度を統一してそ
れらを中立的事務
的に管理する必要が出てきたのであります。国際機関はこのように
国境を越える行政
事務を扱う組織として発達した、産業革命の落とし児なのであります。)

 さて、カール・マルクスは19世紀初頭、プロシャのトリエ
Trier (いまはドイ
ツ領。ルクセンブルグ国境に近く、モーゼルワインで知られるモー
ゼル川沿いの町で
あります)に生を受けた。

 生家はいま、「マルクス記念館」になっていて、今日でもファン
(というのはおか
しいか)や研究者の訪問がひきもきらないといいます。かつては共
産主義諸国が揃っ
てマルクス詣でをおこない、ロシアやキューバや中国や北朝鮮、さ
らにアフリカのコ
ミュニストたちが毎年団体でやってきたというが、いまでは公式訪
問団を送ってくる
のはヴェトナムだけだそうです。

 だが、記念館長はマルクスを祭り上げることはせず、歴史を直視
するという意味あ
いをこめて、マルクスの書き物や手紙を新列する横に、スターリン
やソ連時代の収容
所(Gulag とよばれる)の写真や、チェコやハンガリー動乱
の新聞記事、写真を陳列
しているということです。歴史を醒めた目で見ている記念館なの
で、熱狂的なマルク
ス信者から「裏切り者め」というような手紙が来ることもあるらしい。

 長じてマルクスはパリに移り住み、この街でフリードリッヒ・エ
ンゲルスに出会う。
そしてふたりは意気投合して、「共産党宣言」(1848年)を書
いたのであります。
その書で彼らは資本主義における格差を批判し、格差をほっておく
と革命が起きるぞ
と論じたのですが、160年後の昨年、フランスのサルコジ大統領
が「会社幹部のサ
ラリーやボーナスが常軌を逸して高騰している。こんな格差は許さ
れるべきではない」
と言い、大企業の経営者の給与に上限を設定するアイデアをだした
のは、興味深い偶
然であります。

(オバマ米大統領も「社長や会社幹部の給与は50万ドルに押さえ
られるべきだ」と、
サルコジ氏と似たようなことを言いましたが、アメリカの場合は政
府の支援を受けた
企業の経営者のサラリーを押さえることを言っただけ。)

 役員のサラリーに蓋をしようというアイデアは、昨年フランスが
欧州委員会議長国
をしているときにサルコジ氏が、「欧州全体の問題だ」と言って出
してきたものであ
ります。

 ヨーロッパの社長クラスの給与は、伝統的にアメリカのCEOた
ちのそれより低く
払われてきておりました。つまり平社員の給与もトップの管理職と
比べてベラボーな
違いはなかったのであります。双方の差がひらきはじめたのは19
90年代だったと
いう。ちょうど海を越えた企業の合併や統合がはじまった頃のこと
で、ヨーロッパの
企業がアメリカの会社を買収したとき、親会社の社長の給与が子会
社の役員より低い
ということがあって、それはおかしいなという調整の結果、ヨー
ロッパのエクゼキュ
ティブの月給とボーナスがアメリカ方向に上昇したのであります。

 また、グルーバリゼーションが進むにつれ、優秀なエクゼキュ
ティブは海を越えて
高い給与の会社へ行ってしまう、そうすればヨーロッパ企業のマ
ネージメントの質は
さがり、マネージャーも滓(かす)しか残らないぞという極論が、
オランダのフィ
リップスやシェル石油やイング銀行のエクゼキュティブたちからで
てきている。彼ら
の抵抗はなかなかで、ですから管理職のサラリーをめぐる議論はど
んどん盛り上がっ
てきております。

(サルコジ案をめぐって各国政府も意見を出してきておりますが、
ルクセンブルグが、
上限を決めるより累進課税を上昇させればいいというアイデアをだ
して、わたくしは
笑ってしまった。累進課税を嫌うお金持ちをルクセンブルグのタッ
クスヘイブンへ誘
い込もうというアイデアである。)

 さて、マルクスがもっとも長く住み、晩年を過ごした街はロンド
ンであります。マ
ルクスはロンドンで生涯を終え、遺体はハイゲート墓地に埋葬され
たということです。
ハイゲートはロンドンの北東に位置する街で、皮肉なことに、マル
クスが攻撃した資
本家・銀行家が多く住むお金持ちな町である。

 そのロンドンでは今週はじめ、金融危機の波をもろにかぶって破
綻寸前までいき、
政府の支援介入をうけることが決まったスコットランド王立銀行 Royal
Bank of
Scotland RBSとHBOSの元経営陣が議会の公聴会によばれ、そ
の質疑応答の一
部始終がテレビで中継されておりました。わたくしがテレビを見て
いた日に喚問され
たのはRBSのフレッド・グッドウィン氏、トム・マッキロップ
氏、HBOSのス
ティーブンソン卿、アンディ・ホーンビー氏の4人。いずれも各銀
行の崩壊時に責任
者の立場にあったひとたちで、金融危機が訪れるまでは好調に飛ば
していたから、ホ
ーンビー氏以外のみなさんはイギリスの経済に貢献した優れたビジ
ネスマンとして
「サー」の称号をいただいております。RBSもHBOSもともに
政府の支援総額お
よそ50ビリオン・ポンドから救済をうける銀行である。いま彼ら
は一様に「戦略を
たてられず危機管理もできない無能管理者」「伝統ある銀行をつぶ
した大バカもの」
と決めつけられ、爵位も剥奪してしまえという動議がでているらし
い。そして爵位を
推薦した当時の大蔵大臣(いまのゴードン・ブラウン首相)も何も
見えていなかった
んだなと、「Have I got news for you ?」というニュース
(コメディ)ショーの笑
いのタネにされておりました。

 彼らは議員たちにつるしあげられて、一様に「すみませんでし
た」を連呼していた。
すみませんの数を数えた新聞があって、グッドウィン氏はすみません
sorry が1回、
あやまります apologize が3回、マッキロップ氏はすみませ
んが1回、あやまりま
すが2回、ホーンビー氏にいたっては、慚愧に堪えません
regret が1回、すみませ
んが2回、あやまりますが8回という統計でした。

 何を聞かれてもあまりに元気に謝るものだから、テレビを見てい
たわたくしたちも
彼らはなにを謝っているのかわからなくなってしまった。議員たち
も呆れて、「広報
担当になんでもいいから謝っていればいいと言われてきたのだろ
う。なにについてす
みませんと言っているのか言って見なさい」と詰め寄るシーンもあ
りました。

 だが、あやまりはするものの、銀行崩壊はじぶんのせいではない
と強調する。では
だれの判断の失敗だったのか、だれが戦略をあやまったのかを問わ
れると、のらりく
らりとかわす。わたしのせいでこうなりました、などとは一言も言
わない。だが、だ
れの決断と戦略でこのような事態になったのか、その証言が出てこ
なければなんのた
めに公聴会をしたのかわからない。

「いや、わたしだってもっていた株が暴落して、2ミリオン・ポン
ドも失ったです。
わたしだって被害者なのだ」とグッドウィン氏は切り返す。だが、
2ミリオンを失っ
ても彼の昨年の給与は1.3ミリオン・ポンド。そのほかにボーナ
スを3ミリオン
しっかりいただいているのであった。

 いったいあなたたちは本当にバンカーなのですか、と聞かれ、一
同は詰まり、議場
は一瞬シーンとした。彼らはいずれもほかの業界からやってきたひ
とたちで、だれひ
とりバンキングの経験をもっていなかったというのです。「でも、
わたしたちにはリ
ーダーとしての豊かな経験があるのです。その資質でもって雇われ
たのです」と彼ら
は答えたが、どうだろう。バンキングという技術なくして銀行の戦
略がたてられるも
のだろうか。金融機関をリードできるのだろうか。リーダーシップ
論を考える上で興
味深いケースであります。

 彼らの謝罪と証言は、かつてトニー・ブレア氏がイラク侵攻を正
当化したときのよ
うな心のこもらない気楽さだと論じたメディアがありましたが、質
問に立った議員も
中継を報道していたメディアも、みな苛立っておりました。

 エルトン・ジョンに「 Sorry is the hardest word 」とい
う歌がありますが、ひ
とを傷つけたあと、「ごめん」とひとこと、心から正直に言うの
は、けっして簡単な
ことではない。だが彼らはごめんごめんと無邪気かつ快活に言った
あと、「でも、わ
たしのせいではないです。会社が崩壊するまでになったのは、サブ
プライムのせいで
す。わたしを生け贄にするのは簡単です」と言ってのけたのであり
ます。サブプライ
ムを仕掛けたのは彼らではなく、どこかよそのひとだったかのよう
に……。

 今月はじめに行われた「ダボス経済フォーラム」の席で、ある
ジャーナリストが
「今回の経済危機は誰のせいだと思いますか」と、誰もが聞きた
い、知りたい質問を
して回っておりました。フォーラムに出席していた政府首脳・経済
人・銀行家たちは、
「わたしたちだけでなく、みんなの責任だ」と答えていた。つま
り、サブプライム・
バブルを造りだした金融業者たちも罪だが、政治家、官僚、証券取
引監視機関、投資
家、経済学者、国際機関、そしておそらくセールスの甘言に踊って
資本を投下したあ
なたやわたくしも、みんな同罪だということになるらしい。

 こういうときだけ彼らはコミュニストなのであります。

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春(はる)具(えれ)
1948年東京生まれ。国際基督教大学院、ニューヨーク大学ロース
クール出身。行政学
修士、法学修士。78年より国際連合事務局(ニューヨーク、
ジュネーブ)勤務。2000
年1月より化学兵器禁止機関(OPCW)にて訓練人材開発部
長。現在オランダのハ
ーグに在住。共訳書に『大統領のゴルフ』(NHK出版)、編書に
『Chemical Weapons
Convention: implementation, challenges and opportunities』
(国際連合大学)が
ある。( http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/9280811231/
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大統領のお医者さま

                            
  2009年4月24日発行





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▼INDEX▼

 ■ 『オランダ・ハーグより』  第216回
   「大統領のお医者さま」

   □ 春 具 :ハーグ在住・化学兵器禁止機関
(OPCW)勤務







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■ 『オランダ・ハーグより』 春 具            
   第216回





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「大統領のお医者さま」

 ちょっと旧い話ですが、この一月、ドクター・ビル・クロース Dr.
Bill Close
の訃報がありました。

 もっとも、WHOとか赤十字のような医療支援を仕事をされてい
る方、あるいはア
フリカ問題に精通されている方を除いて、ビル・クロースという医
師を知っている読
者は少ないでありましょう。クロース医師は、いまのコンゴ民主共
和国がザイール共
和国と呼ばれる以前、まだコンゴ共和国とよばれていた時代(やや
こしいですけど、
わかります? 1960年の話です)、帝国主義的な純粋さで彼の
国に赴き、医療活
動を行なったアメリカ人医師であります。後年は大統領の侍医とし
て知られることに
なった。

 クロース医師の仕事を語るにはまず当時のコンゴ民主共和国、
じゃなかったザイー
ル、じゃなかったコンゴ共和国の状況を知らなくてはなりません。

 コンゴはおおくのアフリカ諸国と同じく、複雑な歴史を持つ。

 1960年、ベルギー国王の私有地だったこの地域は国家として
独立を手に入れる
のですが、あまりに早急な独立だったので、国内統治のインフラが
整わないままひと
りだちすることになった。ジョセフ・カサブブ氏が大統領、パトリ
ス・ルムンバ氏が
首相となる。だが、独立に際して植民地時代から白人憎しと思って
いた軍部が残留白
人(おおかたはベルギー人とフランス人)に攻撃をかけるのです。
ベルギーは在留ベ
ルギー人と外国人保護のためと称してコンゴに派兵する。明白な主
権侵害であるが、
ベルギーは自衛権を主張して入り込むのです。

 その間に、コンゴの南部にあるカタンガ地方が、コンゴからの独
立を宣言してしま
う。コンゴの南はダイアモンドやウラニウムが豊富な地域で、独立
運動はツオンベ氏
が首班となり、鉱石利権をねらう欧州企業(おもにベルギー)の後
押しでクーデター
を撃ったのであります。(コンゴはカタンガ無くしては成り立たな
い。鉱物資源がと
られてはアフリカ一の貧乏国になってしまうのです。ですからここ
はどうしてもゆず
れない。)

 ルムンバ首相は国連へ助けを求め、安保理事会はコンゴへ国連軍
の派遣を決める。
だが、ハマーショルド事務総長は「国連軍はバッファーだ」と言っ
て、発砲すること
を許さないのです。銃を撃たない国連軍を見て、ルムンバは「反乱
軍を駆逐できない
国連は中立どころかカタンガの味方だ」と怒り、ソヴィエトに助け
を求めにいってし
まう。

 ソヴィエトはルムンバに武器を供与してカタンガ攻撃を支援する
のですが、この攻
撃は失敗に終わる。カサブブ大統領はルムンバをはずし、軍人のモ
ブツ大佐を首相に
昇格させるのです。

 職をはずされたルムンバはコンゴ東の故郷へ帰り、そこで独立運
動をはじめるので
す。彼は暗殺されてしまうのですが、つまり、1960年のコンゴ
には(1)首都の
レオポルドヴィルにカサブブ・モブツ政権、(2)南のカタンガの
エリザベスヴィル
にツオンベ政権、(3)東のスタンレーヴィルにルムンバ残党政
権、と3つも政府が
存在したのであります。

 ハマーショルド事務総長はツオンベ氏に会いにローデシアへ向か
う途中、飛行機事
故で亡くなってしまう。そして、ハマーショルド氏の跡を継いだ
ウ・タント事務総長
は国連軍にカタンガ攻撃を許可するのです。ツオンベ氏は脱出し、
カタンガはコンゴ
に再併合されてコンゴ危機は収拾されたのであります。

(コンゴ危機は、国連軍に当時のおかねで4千万ドルという莫大な
コストがかかった
オペレーションでありました。ハマーショルドの対処に批判的だっ
たソヴィエト、フ
ランス、ベルギーはこのコスト分担の支払いを拒否するのです。お
かげで国連は破産
寸前までいった。これが第一回目の国連財政危機でありました。こ
の件は国際司法裁
判所までいき、「国連のある種の経費に関する事件」として法学者
に知られておりま
す。)

 クロース医師は、コンゴがベルギーから独立を果たす少し前、1
950年末にザイ
ールへやってきました。アメリカの教会団体がすすめる「Moral Re-
armament 道徳の
再強化」という運動の一環として、布教のためにアフリカへやって
きたのであります。
動機が布教ですから、彼の活動は献身的である。簡素な診療所を建
て、診察を始める
のです。

 もっとも、まだ近代医療のほとんどない国家でありますから、ま
ともな医療器具は
ほとんどない。手にも入らない。手術にトンカチやのこぎりといっ
た大工道具を使っ
たこともあるらしい。まるで西部劇の世界であります。消毒液もウ
イスキーだったか
もしれない。

 かたや独立の混乱がひろがるなか、多くの白人はどんどん国外へ
脱出していく。そ
のなかで彼は残って診察を続けたのであります。多いときには一日
350人もの患者
を診たというが、10時間の労働として2分にひとりの検診という
計算になりますね。
医療が崩壊してお医者さんに過重な負担が負いかぶさっている国の
話を聞きますが、
それとおなじであったようです。

 ところで、欧米諸国はコンゴを独立させたあと、誰を首班にして
おけば有利かとい
うことにアタマをめぐらせておりました。1960年、新生コンゴ
とベルギー政府が
独立後の諸問題をブラッセルで話しあった時、ブラッセルのアメリ
カ大使館がコンゴ
代表団を招いてレセプションを催した。館員がコンゴ代表団員ひと
りひとりに張り付
いてグラスを手にしながら個別に話をし、あとでひとりひとりの印
象をまとめたので
すが、代表団名簿には名前が載っていないけれど、モブツという若
い男はすごいぞと
いう話になった。大使館の館員が一致して、モブツは若いが賢くア
タマも切れそうだ、
あいつを青田買いしておくといいのだろうという結論になったとい
うのです。モブツ
氏はルムンバ首相の秘書としてブラッセルに来ていたのであります。

 そのモブツ氏は、1965年に(CIAの支援によるといわれ
る)無血クーデター
で政権を握り、大統領となる。

 そして、ビル・クロース医師はひょんなことからモブツ大統領の
知遇を得ることに
なるのであります。

 あるとき、大統領の大叔母が救急車でクロース医師の診療所に担
ぎ込まれたのです。
大叔母はその晩、夕食に魚を食べ、その骨がのどにつかえて気絶し
そうになった。あ
わてた侍従たちが、いちばん信頼できそうな医者をということで、
クロース医療院へ
彼女を運び込んだのであります。

 大叔母ののどにささった魚の骨を、ウイスキーで消毒したのこぎ
りとトンカチで無
事に取り除いたクロース先生は、モブツ大統領に感謝され、家族の
侍医に指名される。

 モブツ一家の信頼が決定的になったのは、息子の割礼手術を成功
させたときだとい
う。割礼手術は、それを行っている国では非常に宗教的な意味があ
り、クロース先生
もはじめての経験で、失敗したら殺されるだろうなと覚悟しながら
手術に取り組んだ
らしい。

 手術は成功し、こうしてクロース医師は大統領とアポイントメン
ト無しで直接会う
ことのできる特権をもつ数少ない西洋人となったのであります。

 本国アメリカからは教会の潤沢な資金が届く。アメリカ政府はモ
ブツを支援してい
る。現地では大統領の信頼がある。それらの組み合わせは、当然の
ことながら相当な
メリットですね。クロース医師はそのメリットを最大限に生かしな
がら、診療だけで
なく医療行政についてもアドヴァイスを行うようになっていった。
そのことはひろく
アフリカに支援活動をする国際機関やNGOの業務にもよいインパ
クトを与えていっ
たのであります。

 ずっと後のことですが、こういうエピソードもあった。コンゴを
流れるエボラ川流
域で奇病が発生し、400人あまりの地元民がわけのわからない高
熱で死亡するとい
う事件がおきた。ザイール政府は手の施しようがないままうろうろ
したのですが、そ
れを聞いたアメリカの疫病予防センターが救援物資と医者を派遣す
ることにしたので
す。ですが、それらはキンサシャまでは届くけれど、そのあとコン
ゴ国内の輸送がど
うにも都合がつかない。

 それでも彼らは取るものも取り敢えず出発するのですが、キンサ
シャへ向かう途中、
彼らは飛行機の中であるアメリカ人に出会うのです。そのアメリカ
人は彼らの話をふ
んふんと聞き、飛行場に着いたあと、ちょっとここで待っていなさ
いと言って電話を
かけに行く。しばらくすると軍用機がやってきて、飛行機はそのま
まお医者さんたち
と物資を乗せてエボラへ向けて飛び立ったのであります。

 このアメリカ人がクロース医師だったのですが、彼は大統領との
ホットラインを存
分に活用して欧米の医療支援団体、赤十字、世界保健機構などの国
際機関とのパイプ
をつくりあげる。そのことで支援・援助の能率はおおきく向上した
のであります。
(脱線しますと、エボラ川の疫病のとき採取された血液の標本で、
世界はエイズを
知ったのだという。)

 こういうクロース医師の行動は、結果はどうあれ、あの頃の時代
の趨勢もありま
しょうが、「帝国主義的だ」と何度か批判されたことがある。

 それで思い出すのは、同じ時期、コンゴの西に位置するガボンの
ランバレネという
村で、おなじように医療のボランティアをやっていたアルベルト・
シュヴァイツア医
師であります。

 シュヴァイツアは医者である前に、世界的なオルガニストで
(バッハのオルガン曲
の名手として知られる)、神学者で、哲学者でもあった碩学であり
ます。オルガンの
レコードで印税を稼ぎ、ノーベル平和賞をとり、多くの著書をもの
にしてその資産を
すべてランバレネの診療所経営に使い、人生の後半をアフリカの医
療に捧げた人物で
あります。

 西欧のアフリカ政策に批判的な文章を多く書き、神学者として論
陣も張っていた。
西洋からの医療援助はひも付きだと論じ、西洋が潤沢な資金を投入
するのはアフリカ
に対する思いやりからではなく、共産主義の波及を止めるための方
便であるに過ぎな
い、彼らの援助には「隣人愛」どころか「布教」という意味合いさ
えもないのだ、と
歯に布を着せない批判をしたのであります。カタンガに国連が無力
な軍を送ったこと
を批判し、ハマーショルド事務総長と手紙のやり取りをしたこともある。

 シュヴァイツア医師は当時の援助外交と国際社会のアフリカ政策
を一般的に論じた
ので、クロース医師を名指しで批判したのではないけれど、アメリ
カの教会はさっそ
く反撃に出て、シュヴァイツア医師(牧師)を中傷するキャンペー
ンをはじめた。

 曰く「シュヴァイツア医師は近代医学の進歩を無視し、ふるい理
論で患者を診てい
る」

 曰く「ランバレネの診療所は30年もたってぼろぼろになってい
るのに、”苦労し
ながらアフリカを献身的に救っている”というイメージのために、
建て替えようとし
ない」

 曰く「ぼろの診療所の庭には鶏や豚が放し飼いになっていて、不潔だ」

 曰く「ヨーロッパの医師を雇用せず、腕のない現地人の看護婦に
頼っている・・
・」

 このやりとりをみていたアメリカの「プレイボーイ」誌は、19
65年、これはお
もしろい記事になりそうだとライターをランバレネに送り、シュ
ヴァイツアとのイン
タビューをおこなった。

(「プレイボーイ」のような雑誌にクリスチャンのお医者さんがイ
ンタビューを受け
るというと不思議に思われるでしょうが、それはクリスチャンのお
医者さんが不謹慎
なのではなく、それほど「プレイボーイ」誌の問題意識が高かった
ということであり
ます。さらにいえば、「プレイボーイ」誌の原稿料はじつに破格
で、そのために優れ
た作家が喜んで書いた。このインタビューは1965年に掲載され
たあと、
「Playboy Reader」という「プレイボーイ」誌発刊12周年
記念の単行本に挿入され、
わたくしはその本をもっていて、いまそれを読み返しながら書いて
おります。)

以下は、「プレイボーイ」のライターとの問答であります。

  PB「あなたはカタンガ事件について国連を批判されている
が、ランバレネのよ
  うな僻地にいて、コンゴのような他国のできごとを論じるに足
る情報はお持ちな
  のですか。

  AS「いや、わたしは世界から孤立しているとは思わない。そ
れよりも、孤立し
  ているほうが静寂のなかで集中して考えることができるので
す。コンゴは昔から
  絶望的に混乱している国です。なにしろ国が広すぎるのです。
植民国家が勝手に
  こんなに広く国境線を引いたのだから、いまになってばらばら
になるのはあたり
  まえです。そもそも部族はそれぞればらばらであるべきなの
だ。アメリカや西欧
  が必死にお金をつぎ込みながらまとめようとするのはなぜだか
わかりますか。共
  産主義を怖がっているのです。でも、心配する必要はない。ア
フリカはまともな
  共産国家にはなれません。

  PB「アフリカにはどのような解決が必要だと思いますか。

  AS「わたしは予言者ではないので、この大陸がどうなればい
いのかわかりませ
  ん。だが、時間をかければアフリカはじぶんで解決策を見つけ
るでしょう。われ
  われは急ぎすぎている。国連がカタンガに侵攻するようなかた
ちでは解決しない
  のです。わたしはそのことをハマーショルド氏に手紙を書いた
ことがありました。
  彼は言い分けがましい返事をくれたですけどね。」

  PB「あなたは30年前に建てた病院私設を改善しようとせ
ず、ヨーロッパの先
  進技術を持つ看護婦や医者を使うこともしないという批判があ
ります。西洋の医
  者や看護婦さんを連れてくれば現地人のトレーニングにもなる
のではないです
  か。」

  AS「ここの患者たちは西洋の医療機械を見たこともないので
す。建物は朽ちて
  看護婦は包帯も捲けない地元のアシスタントたちですが、その
ほうがよほど安心
  なのです。庭に鶏が放し飼いになっているでしょう。そういう
環境のほうが患者
  たちはよほど安心できるのですよ。」

  PB「宗教は人を救えると思いますか。ここでいう宗教はあな
たが学んだキリス
  ト教も含んでですけど・・・。」

  AS「わたしは今日の宗教が、本来の意味で人を救えるとは思
わない。いまでも
  世界の争いは宗教の名によって行われているではないですか。
それでも、ひとび
  とは宗教による救いを渇望している。いまの宗教はどれもひと
びとの渇望を裏
  切っているとわたしには思えます。」

 クロース医師は、10年あまりモブツ大統領と彼の家族の侍医と
してザイールに暮
らすが、大統領は次第に権力の甘さに溺れて腐っていき、腐敗と暴
政とで悪名を高く
していく。その興亡は、いまでもアフリカ(だけではないけれ
ど・・・)のおおくの
政治家にみられる共通のパターンであります。

 そして、モブツ氏は健康を害し、しだいに体力がおぼつかなくな
る。独裁者が病気
だと知られると、クーデターの懸念がでてきますね。クロース医師
は大統領にもしも
のことがあったらと思うようになる。さらに、独裁者の常としてモ
ブツ氏は側近の言
うことも聞かないようになり、クロース医師の忠告にも怒りをあら
わにするようにな
るのです。クロース医師は帰国を考え始めるのです(もうじきクー
デターがおきてモ
ブツ氏は失脚するから、そうなるまえに国へ戻る方が懸命だと判断
したという説明も
ある)。仕事も十分やったし、ここらが潮時かなと感じたのでしょ
う、彼は1970
年代の末、アフリカを去ってアメリカへ戻ったのでした。

 クロース医師は1994年にもういちど、コンゴ(ザイール)を
訪れております。
大統領の頼みでキンサシャの総合病院の改築プロジェクトの手伝い
をしたのでしたが、
それが彼とコンゴとの最後のつきあいとなった。1997年に、カ
ビラ将軍(いまの
大統領の父)によるクーデターにより、モブツ氏は追放され、ザ
イールはコンゴ民主
主義共和国と名を変えたであります。

 いうまでもなく、わたくしはクロース医師とシュヴァイツア医師
のどちらが正しい
医療支援のモデルかということを論じようとしてきたのではありま
せん。どちらの医
師も成果を出し、多くのアフリカンが救われた。それはあの冷戦の
時代にあって意味
のあることだったなと、そのことを思うのであります。

 ビル・クロース医師にはお嬢さんがひとりいて、名前をグレンと
いい、女優として
活躍しております。

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春(はる)具(えれ)
1948年東京生まれ。国際基督教大学院、ニューヨーク大学ロース
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■編集部からのお知らせ





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 ニトリpresents RYU'S CUBAN NIGHT 2009 produced by 村上龍
 出演者:BAMBOLEO(バンボレオ) MC:村上龍
 会場:ステラボール(品川プリンスホテル内)
 公演日時:2009年11月26日(木), 27日
(金)
 開場:18時 開演:19時
 オフィシャルHP: http://www.ryumurakami.com/rcn/





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▼INDEX▼

 ■ 『オランダ・ハーグより』  第229回
   「ゼロ・トレランス」

   □ 春 具 :ハーグ在住・化学兵器禁止機関
(OPCW)勤務







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■ 『オランダ・ハーグより』 春 具            
   第229回





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「ゼロ・トレランス」

 アメリカの地方都市で、少年が学校に小さいナイフを持って来て
退学になったとい
うニュースがありました。

 数年前、コロラドのコロンバン高等学校で生徒による猟銃の乱射
事件があり、また
ヴァージニアの工科大学でもキャンパス内で生徒による射撃事件が
あってから、アメ
リカの多くの州では学校に武器のたぐい(ピストルはもちろんナイ
フとかスプレーと
か)を持ってくることを禁じ、違反者は zero tolerance と
称して、ウムを言わせず
厳罰に処することになっているのだそうであります。

 ナイフを学校へ持ってきたという少年はザカリア君と言って小学
校の一年生であっ
た。ボーイスカウトにはいり、サヴァイバルの訓練のためにスイ
ス・アーミー・ナイ
フを与えられ、使い方を教えられたと言う。スイス・アーミー・ナ
イフというのは、
ほら、日本にも十徳ナイフと言って、いろいろな小物のついている
ナイフがありま
しょう。ナイフの他に小さいはさみ、耳かき、刺抜き、ビールの栓
抜き、ワインのコ
ルク抜き・・・などなどいろんな機能がついていて、持っているだ
けで楽しくなるあ
のナイフであります(これはスイスのお国自慢の一つでもあって、
スイスを旅すると
お土産屋に必ず置いてあって、店員がしつこく売りつける)。

 ザックくんはこれをもらって嬉しくなり、早速学校へ持ってき
て、お昼の時間にみ
んなのまえでお弁当のジュースをあけてみせようとしたらしい。そ
れを先生がみつけ
て、なんだこれは、ということになったのというというであります。

 ナイフといってもボウイ・ナイフ(ジム・ボウイという軍人が考
案した刃渡りの大
きい殺傷力のあるナイフ。ボウイ大佐は、デビー・クロケットたち
とアラモの砦を死
守したテキサスの英雄であります)のような大それた刃物ではな
く、ボーイスカウト
の十徳ナイフである。だがそんなナイフでも、州の法令では学校に
ナイフを持ち込む
ことはどんなナイフでも禁じられていたので、ザック少年は懲罰委
員会にかけられ、
退学になった。

 そしてこれも似たような話ですが、あるおばあさんが孫の誕生日
に学校へバースデ
イケーキを送り届けたことがあった。クラスのみんなで食べなさい
と、おばあさんは
親切にもケーキにナイフを添えて送り届けたのです。それを先生が
見とがめて、この
少女は一年間の停学(一年間ですよ、一年間)になったと言う。ど
ちらのケースも、
みんなで楽しく食事の席を囲もうという善意が思いがけない結果と
なった不幸であり
ます。

 ひとは時として、なにか事件がおきるとヒステリカル(と言って
言いすぎならば過
剰に)に反応することがある。事件がおきれば(それは乱射事件で
も9・11でもト
ヨタ自動車のフロアマットでもよい)事件を糾弾する大合唱がまず
おこる。そのとき
論じるのがゼロ・トレランスであります。

 ゼロ・トレランスというのは嫌な言葉であります。寛容度がゼロ
というとき、いい
思いをする人はいない、いい結果がもたらされたという話を聞かな
い。誰もが傷つく
じつにネガティブな単語であると思う。魔女狩り、民族浄化、ジャ
コバン政治、王政
復古、生類憐みの令、どれもがすべてゼロ・トレランスのキャン
ペーンであった。

 1930年代の禁酒法もそうでしょう。世の中にはびこる諸悪・
犯罪の原因は飲酒
だとされて、禁酒法という法律によって酒類は製造しても販売して
も犯罪とされたの
ですが、呑兵衛はどんなことをしても呑むという心理を忘れた法律
であった。もちろ
ん効果はほとんどなく、ギャングたちを密造酒で大儲けさせただけ
であった。

 ゼロ・トレランス政策と聞いて、わたくしは、あ、また禁酒法が
はじまったなと
思ってしまったのですが、ここで齋藤令介さんというハンター・ア
ウトドアスペシャ
リストの書いた「父と息子の教科書」という古い本を思い出しまし
た(この本には村
上編集長が裏表紙に文を書いている)。

「男が男だけに伝える自然に生きる知恵」という副題がついてい
て、そのなかで齋藤
さんは、子供に「危険だから川のそばに行ってはいけませんと教え
込む。これはこれ
で正しい・・・しかし危険から故意に遠ざけられた男の子は、事故
には遭わずにすむ
かもしれないが、自己の確立を妨害される・・・」そして「刃物が
なければ物を創造
することもできず、芸術も生まれない・・・」と書いたあと、「切
れなければナイフ
ではない・・・ナイフは常に研ぎ上げておかねばならない・・・
(そして)いかに使
うかという知識を持っている必要がある」と続けているのであります。

 もちろん、子供がナイフで指を切ることなく一生を安全に終えて
ほしいという親御
さんもおりましょう。泳げなくてもいいから川に近づかないでくれ
と願う親もいるだ
ろう。それはそれでけっこうでありましょう。

 だが、反面、ナイフをうまく使っていろいろな物を作りたい、冒
険もしたいという
(ザックくんのような)子供もそれを支援する親も友達もいるわけ
で、そんなとき、
教育委員会のつくったゼロ・トレランス政策は、一言で言うと「川
に近づくな」「泳
ぐなら畳の上で泳げ」と行っているに等しい。ナイフを使って何か
作りたいのなら、
学校の外でやってくれ。

 学校と教育委員会のそのような政策に対し、それはあまりに理不
尽ではないか、教
育の放棄ではないか、責任逃れだという当然な反論が出てまいりま
した。そこで次に、
ゼロ・トレランスは総論(原則)として、各論(総論の実施)につ
いては現場にいる
担当の先生たちに裁量権を与え、彼らに情況をみながら政策を解釈
してもらえばいい
だろうという意見が出た。彼らなら合理的な判断が出せるだろうと
いうのであります。

 だが現場に「裁量権」を与えると、こんどはその「乱用」という
問題がおきてくる
という別の反対意見がおきてきた。先生たちに裁量権を与えると、
彼らは概して白人
の子供たちに甘く、ヒスパニックや黒人の子供たちが懲罰の対象に
なりやすいという
のである。

 さらに、そもそも現場の先生たちも裁量権のないほうが楽だと
思っているらしいと
いう説明もでてきた。「事件が起これば非難されるのはわたしたち
なんですよ。そん
な責任は負いたくない」と現場の先生たちが言っているというので
ある。あなたたち
は停学や放校をいきすぎだというが、もう一度乱射事件がおきたら
危機管理ができて
いないと非難されてクビが飛ぶのはわたしたちなんですよ、だから
危ないものはとり
あえず全部禁止しておく、危ないカナモノはすべて禁じておくので
す、それがわたし
たちのやるべきことなのです、というのであります。

 またゼロ・トレランス政策が徹底したために、思わぬ結果がもた
らされたことも記
録されております。一昨年、ボルティモアで発表されたデータだと
いいますが 、地元
の公立高校の生徒がゼロ・トレランスをくらい、市内全生徒の12
パーセントほどが
退学になってしまったというのである。学校は安全になったかもし
れないが、生徒の
一割強がいなくなってしまったのである。これではなんのために学
校があるのかわか
らない。

 というわけで、ゼロ・トレランス政策は権威を振りかざしている
わりには成果が出
ていない。だがだからといって代案があるわけでもない。議論は右
に振れ、左に揺れ
て、いまでも着陸地点がみえないまま漂っているのであります。

 そこで、とわたくしは考えてみた。

 話は飛ぶのですが、グレッグ・ノーマンというゴルファーがおり
ますね。今年54
歳になるシニアゴルファーで、つい先々週だったかな、プレジデン
ト・カップ(アメ
リカ・チームとインターナショナル・チームに分かれて世界の選抜
選手が競う)のイ
ンターナショナルのほうのキャプテンをした元気なシニアでありま
す(インターナ
ショナルには石川遼選手も選ばれていた)。今年のマスターズにも
出場し、ラナー
アップになって、シニア(わたくしたち、ね)を元気づける活躍を
してくれた。

 そのノーマン選手があるとき、あるマイナーな試合で、まだ若い
ルーキー選手とペ
アを組んでラウンドしたことがあった。その日は大雨で、「フェア
ウェーに落ちた球
は拾って水を拭き、その場所に置き直して打ってよい」と規則が変
更されたのであり
ます(水溜りに落ちたボールを拾って打ちやすい位置におきなおす
ことは認められま
すが、このときは濡れたボールを拭いて打ってよいというルールで
あった)。

 何番ホールだったか、ノーマンとペアを組んだルーキー選手は、
ボールをラフへ打
ち込んだ。彼はラフに落ちたそのボールを拾いあげ、拭いたあと、
その場から打った
のであります。フェアウェーのボールは拾ってよいが、ラフに落ち
たボールを拾うの
はいけない。つまりルーキー選手はルール違反をしたのであります。

 ルーキーは気がつかなかったが、ノーマンと彼のキャディはその
一部始終を見てい
たのです。ノーマンはキャディを証人にしてこの事件をコース・
マーシャルに話す。
だが彼はこう言ったのであります、「ここはおれに任せてくれない
か。彼はまだデ
ビューしたてだし、おそらく悪気でやったんじゃないと思うんだ。」

 コース・マーシャルもノーマンの考えを理解し、ルーキーはペナ
ルティをかけられ
ることなく、ゲームは終わるのです。そして試合が終わったあと、
ノーマンはルーキ
ーを傍らによぶ。

「いいか、おれたちはきみのしたことを知っている。あれはルール
違反だ。おれは申
告しないでおいたが誤解するなよ、きみをかばうんじゃない。大目
に見るということ
じゃないんだ。きみもゴルファーとして食っていこうと思うのなら
二度とこういうマ
ネはするなよとおれたちは言おうとしているんだ。」ルーキーは彼
の話を神妙に聞き、
深くうなづいたと言うのです。

 後になってノーマンは、「これが公表されたら、彼は一生ルール
違反をしたプレー
ヤーと呼ばれることになるだろう。彼に悪気はなかったようだし、
こんなことで彼が
キャリアを失ってなんの意味があるのだろう、そう思ったのだ」と
説明していたが、
そのあとで、おれもずいぶん丸くなったもんだ、昔だったらその場
で怒鳴りつけてい
ただろうに、と付け加えておりました。

 ゴルフの世界は、完璧にゼロ・トレランスであります。ノーマン
もルーキー選手の
違反を見逃したことが知れたら、「パートナーに便宜を図った」と
いう罰則が科せら
れるのであります。ですからノーマンにとってルーキー選手の違反
を申告することは
正しいことだったし、するべきことでもあった。だが、ノーマン選
手にはルール違反
を追及する以上に、先輩としてすることがあるのではないかと考え
たわけですね。

 こういう思考を「センス・オブ・プロポーション」とよびます
が、殺傷事件が起き
る蓋然性(リスク)と危険な道具を上手に使う教育を施す(メリッ
ト)のと、そのバ
ランスをどのようにとればいいのか、ザック君のケースは再び懲戒
委員会にもちこま
れ、教育委員たちが召集されて結論をだすと言いますが、話はどち
らに振れていくの
だろう。

 そもそも、とここでまたわたくしは考えたのでありますが、いさ
さか乱暴に形而上
的な議論をするとですね、これはナイフとフォークで食事をするか
らこういう話に
なったのではないか。

 西洋における食卓は、金属の刀(ナイフ)と鍬(フォーク)を
使って食事をする。
このことについて、ロラン・バルトというフランスの哲学者は「表
徴の帝国
L'Empire des Signes 」という著作で「ナイフやフォークは、そも
そも武器だ」と
断じたあと、食卓という憩いの場所、安らぎの場に金属製のナイフ
とフォークという
凶器に似たまがまがしい道具を持ち込むのはどういうことなのだろ
うかと論じたこと
がありました。

 ナイフやフォークは武器でありますから、食卓で振り回されては
かなわないし、危
ない。バルト流に考察するならば、西洋料理の作法はそれら武器の
管理を目的として
できあがったともいえるのでありまして、ですからテーブルマナー
は交戦規則
rules of engagement とおなじだ。

「それに比べるとアジアの箸はなんと平和的な道具だろう」とロラ
ン・バルトは続け
ます。「食事の場は憩いの場なのだ。平和と安息の場なのだ。自然
の恵みをありがた
く受け、感謝しながら明日へのエネルギーを蓄える場なのだ。その
ような憩いの場で
は、わたしたちは武器を捨て、箸をつかおうではないか。」

 その箸の使い方も、国と文化によって違う。日本では箸は水平に
おきますが、韓国
や中国では縦におきますね。テーブルにつくと箸置きまでがすでに
そのようにセット
されております。そして和食の席では、小鉢なんかはもちあげて口
元まで運んで食べ
てよいことになっているが、コリアンやチャイニーズは皿をテーブ
ルから持ち上げる
ことはしない。食器を持ち上げることは行儀の悪いこととされてい
るというのです。

 ですから、韓国や中国の友人を連れて寿司屋や和食の店に行って
も、彼らは知らず
知らずに箸を縦においておりますね。我が家に来て夕餉を共にする
ときも、彼らは気
がつかないまま箸を直角に置いている。反対に彼らと焼肉や中華に
行くと、わたくし
も思わず和食の流儀で箸やお皿を扱っていることがあります。箸を
三手にとったあと
小皿を持ち上げたりしているのです。こういう双方の齟齬はそれぞ
れの文化と習慣の
違いに根ざしているので、お互いを知るに格好の齟齬でありましょ
う。こういうとき
に、マナー違反を掲げてゼロ・トレランスをもちだす馬鹿はいない
のであります。

----------------------------------------------------------------------------
春(はる)具(えれ)
1948年東京生まれ。国際基督教大学院、ニューヨーク大学ロース
クール出身。行政学
修士、法学修士。78年より国際連合事務局(ニューヨーク、
ジュネーブ)勤務。2000
年1月より化学兵器禁止機関(OPCW)にて訓練人材開発部
長。現在オランダのハ
ーグに在住。共訳書に『大統領のゴルフ』(NHK出版)、編書に
『Chemical Weapons
Convention: implementation, challenges and opportunities』
(国際連合大学)が
ある。( http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/9280811231/
jmm05-22 )





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哀愁のヨーロッパ

                            
  2009年11月6日発行





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▼INDEX▼

 ■ 『オランダ・ハーグより』  第230回
   「哀愁のヨーロッパ」

   □ 春 具 :ハーグ在住・化学兵器禁止機関
(OPCW)勤務







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■ 『オランダ・ハーグより』 春 具            
   第230回





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「哀愁のヨーロッパ」

 週末の強い雨と風とで、紅葉がすっかり落ちました。

海より低い国として知られるオランダは、森の国でもあります。Holland
ホランド
の Hol はドイツ語の holt (木、木々の意)からきた
言葉で、ですからオランダは
hol 木の land 国という意味であります。かつてハーグから
アムステルダムの北方に
あるアルメールという村までの80キロは深い森がひろがってい
て、ホランドという
名称はそこから来たのだという。いまではハーグとアムステルダム
のあいだはすっか
り開発されて、住宅地の合間にチューリップ畑で知られるキューケ
ンホフ、ヨットハ
ーバーのあるカーグ、ゴルフ場、デュインディヒト競馬場が広がっ
ておりますが、そ
れでもハーグ市内やわたくしたちの住むワセナール村には広い公園
や森がいくつも
残っていて、それらはどれも鬱蒼としている。

 今年の秋は晴天が続き、その鬱蒼とした森や林の紅葉がじつにき
れいでありました。
わたくしたちは数週間のあいだ紅葉を楽しんでおりましたが、木々
は週末の嵐ですっ
かり坊主になり、いまは積もった落ち葉で公園も通りも拙宅の前の
小さな運河までも
一面黄金色に染まっております。その光景は、

  あらし吹く三室の山のもみじばはたつたの川の錦なりけり

という歌がありますが、落ち葉は鬱金(うこん)、柑子(こう
じ)、山吹、熟柿、茜
(あかね)とさまざまな赤と黄色のミックスで(それらを総称して
朽ち葉色というの
だそうですね。吉岡幸雄先生の『日本の色辞典』にそう書いてあ
る)、その彩りは龍
田川を埋める紅葉のようであります。

 積もった朽ち木葉は、やがて村の清掃局のトラックに掃き清めら
れるのですが、オ
ランダの秋はこうして終わり、冬がはじまるのです。昔の人は「冬
きたりなば春遠か
らじ」などと言ったが、オランダの冬を知らないからそんな呑気な
ことが言えるので
ありまして、オランダの冬は薄暗く冷たい日々が地獄のように果て
しなく続くのであ
ります。

 と紅葉の話を続けましたが、それはじつは本文のマクラであり、
話はここでコロリ
と変わる。今年の春先だったかな、アムステルダムに拠点を置くオ
ランダのバンド、
ヨーロピアン・ジャズ・トリオが日本へ公演に行き、彼らのコン
サートのプレビュー
とCDの批評がある経済紙に載ったことがありました。その記事を
友人がみせてくれ
ましたが、「哀愁のヨーロッパジャズ」とタイトルが振ってあっ
て、それを読んだわ
たくしは考えてしまった。そのお話であります。

 音楽のレビューで大陸の音楽を「哀愁のヨーロッパ」とくくるの
は、いまにはじ
まったことではありません。古く70年代、ベルト・ケンプフェル
トとかニニ・ロッ
ソとかのオーケストラが奏でるポップスが「哀愁のヨーロピアン
ポップス」とか呼ば
れて人気を博したことがあったが、あのあたりが起源でありましょうか。

 たしかにハーグやパリやブラッセルやチューリッヒの鬱蒼とした
森や公園には不思
議な魅力があって、それがまた欧州諸都市の個性になっている。と
くにこの季節の公
園の散歩はひとをロマンチックで感傷的にする。センチメンタルに
する。わたくした
ちは深い森に葉を落としてそびえる樹木に寂しさ、物悲しさを感じ
るのであります。

 そのような気分は、「哀愁」という単語でくくれるイメージなの
でしょう、それな
らばということで、「哀愁のヨーロッパジャズ」というキャッチフ
レーズになったの
だろうとわたくしは思うのですが、だが、ジャズファンであるわた
くしたちは、「ヨ
ーロッパの哀愁」にもっと違う意味を感じてきたのではなかったか。

 その意味が思い出せないまま、このことをわたくしはずっと考え
ていたのですが、
先日、ジャズピアニストでオランダ暮らしが長い畏友小橋敦子氏に
その話を持ち出し
たら、「わたしもときどき哀愁のジャズピアニストと言われるの
よ、不思議よね」と
彼女は言いだし、わたくしは考察の糸口をみつけたのであります。

 小橋さんは慶応のライトミュージックソサエティでピアノを弾い
たあと東京でギグ
をこなしていたジャズミュージシャンですが、いまはご主人の仕事
でアムステルダム
に住んでおります(そのことは今回の話に意味を持っておるので、
読者よ、覚えてお
かれるべし)。わたくしたち夫婦は彼女と会うとお寿司をつまみな
がらアルバート・
アイラーやオーネット・コールマンやウェイン・ショーターの話を
したりする。この
あいだはチャールス・ブコースキーの話題になったあと、映画『お
くりびと』のオラ
ンダ語字幕編集の苦労話も聞かせてくれました。

 小橋さんはオランダで二枚のCDを発表していますが、批評者に
「哀愁のヨーロッ
パジャズ」と書かれてしまうのだという。そして、「わたしもなぜ
だろうと思ってい
たのだけれど、きっとヨーロッパ・ジャズ史の捉え方が違うのじゃ
ないかなと思うよ
うになった」と興味深いことをおっしゃった。

 それは、こういうことであります。

 もう50年も昔のことですが、モダンジャズ華やかりし頃、多く
の黒人ミュージ
シャンが大挙してヨーロッパへ移住したことがあった。彼らは母国
での人種差別を
嫌って、おりしもアフロ・アメリカン・アートに関心を示し始めた
パリやストックホ
ルムやアムステルダムなどの大都市に引越しをしたのであります
(これは皮肉である。
そもそもアメリカは旧大陸での迫害を嫌ったピルグリムたちが自由
を求めて移ってき
た国でしょう。その自由の国から国民が自由を求めて旧大陸へ引っ
越したのである)。
移住を決めたミュージシャンはデクスター・ゴードン、デューク・
ジョーダン、ケニ
ー・クラーク、エド・シグペン、ベニー・ゴルソン、バド・パウ
ウェル、ジョニー・
グリフィンなどでしたが、なかでもテナーサックスのデクスター・
ゴードンはコペン
ハーゲンとパリに15年余り住み、ヨーロッパのジャズメンとジャ
ズ界におおきな影
響を与えたのであります。そして、バド・パウウェル、ケニー・ク
ラークらとパリで
録音した「Our Man in Paris」(1963年)とかスペイン
のテテ・モントルー、デ
ンマークのニールス・ぺデルセンとやった「Something
Different」(1975年)
などのレコードを残した。それらは日本のジャズ喫茶でもリクエス
トが多かった名盤
であります。

「でもねえ」と小橋さんは続ける。

「どんなに敬愛され尊敬されていても、やはり彼らはアメリカ人で
しょう。ひとりに
なればさびしく故郷を思い起こすこともあったでしょう。フランス
語やオランダ語が
できるわけではないのよね。昼間はちやほやされていても、夜半独
りになってみれば
ホームシックを感じたでしょう。ハーレムやシカゴの街の灯が恋し
くなったり、ハン
バーガーやローストチキンを思い出しては涙をながしたのではない
かなあ。そういう
センチメンタルな気分が彼らの演奏から聴こえてくる気がするの
よ。ホームシックな
彼らのメッセージがわたしには聴こえるのよ」

 これは卓見でありますね。外国に住む外国人(というのはおかし
いか。日本に住む
外国人といえばわかりますか)を ex-patoriot、略して
ex-patと呼びますが、デクス
ター・ゴードンやバド・パウウェルやわたくしや小橋さんはex-patriot
なのであり
ます。

 もっとも、エクスパットとは奇妙な言葉であります。
「『patriot 愛国者』でない」
というのです。何に対して愛国でないのかいまひとつわからない表
現であるが、もう
ひとつアメリカ人が平気で使う言葉に、illegal alien とい
う言葉がありますね。メ
キシコとかプエルトリコからやってきた不法滞在者をさす言葉で、
わたくしはアメリ
カにいた頃この言葉をよく聞いた。でもエリアンには宇宙人という
意味もあるでしょ
う。メキシカンたちは合法であれ非合法であれ、じぶんたちとは異
質だ、彼らは違う
星から来たのだというニュアンスを感じてわたくしは妙な気分に
なったことを思い出
す。

 ともかく、デクスター・ゴードンもバド・パウウェルもデュー
ク・ジョーダンもみ
んなヨーロッパにおいては ex-patであり、alienなの
であった。そしてわたくしも小
橋さんもオランダに数年腰をかけているだけという非愛国者なので
あり、合法的に滞
在してはいるが宇宙人なのであります。そしてその気分は、大宰府
へ流された菅原道
真、鬼界島へ送られた俊寛僧都と似ている。エックスパットという
のは、わたくしも
ふくめて、ここは仮の住まいでほんとうの住まいはどこかほかにあ
ると思っている、
すなわちじぶんの居場所がわからない異国在住者なのであります。

 その無常は、デクスター・ゴードンの傑作「Our Man in
Paris」や「Something
Different」のソロの行間から聴き取れるではないか。パリにいなが
ら、彼の精神は
マンハッタン57丁目のクラブを思い出している。コペンハーゲン
でギグをしながら、
ニューヨークのジャズ仲間とのセッションを思い出している。激し
いブローはそれら
をふっきらんとするばかりであります。デクスター・ゴードンを主
役にした「Round
Midnight」という映画がありましたが、あの映画が綴ったように、
ローカルなミュー
ジシャンたちにどんなに敬われても、異国にひとりでいる寂しさは
ぬぐえない。それ
は道真が梅の木を眺めて都を思い、(風流のレベルは違いますが)
わたくしが運河の
落ち葉を見て龍田川を思いだすのと似ている。またそれは邦人ビジ
ネスマンが本社の
人事をいつも気にしているのにも似ています。エックスパットは、
程度の差はあれ、
常にこのような屈曲したメンタリティを持って外国暮らしをしてい
るのではないか。
そしてそれこそがモダンジャズ・ファンがヨーロッパのジャズに聴
く「哀愁」だった
と思うのであります。

 あわてて付け加えるならば、わたくしはヨーロピアン・ジャズ・
トリオを批判して
いるわけではありません。また「哀愁のヨーロッパジャズ」をチー
プなキャッチだと
非難しているわけでもない。ヨーロピアン・ジャズ・トリオはオラ
ンダのコンセルバ
トワール出身のミュージシャンによるバンドで、じつに端正な音作
りをする。楽器の
腕前がたしかで、演奏は滑らかで心地よい。定番の「スエーデンの
城」とか「「ヨー
ロッパ」とか「ザ・ウェイ・ユー・ルック・トナイト」とか「マズ
ルカ」とか「ハバ
ネラ」とか(彼らはクラッシクも味付けして演奏する)、どれも安
心して聴けるので
す。

 ただひとつ、こういうことは言えると思うのです。

 つい先日、拙宅にピアノの調律師(70を超えたじいさん)が来
たので、「ヨーロ
ピアン・ジャズ・トリオをどう思うか」と聞いてみました。調律の
じいさんはピアノ
の弦を締めながら、このバンドに限ったことではないけどね、と話
し始めた。

「いまの若いジャズバンドは勉強はしているが、どれもこれも歌わ
ない。職人肌でき
れいないい音はだすけれど、歌っていないね」と言い、「ほんとう
に歌っていたピア
ニストはエロール・ガーナーだったな。わたしはガーナーが最後の
ピアニストだった
と思うな」と言って、調律してくれたばかりのピアノに座り、「ミ
スティ」と「スト
ーミー・ウェザー」をぽろろんと弾いていったのであります。

「若いミュージシャンは歌わない、歌っていない、歌う方を知らな
い」という、これ
はなかなか含蓄の深い意見であります。ジャズは歌わなければジャ
ズではない。スイ
ングしなけりゃ意味がないと言ったのはデューク・エリントンでし
たが、歌わなけれ
ばジャズではないという説明もあたっている(もっとも、いちばん
歌ったピアニスト
はガーナーよりもウィントン・ケリーだったという説があって、わ
たくしはこちらに
賛成だ)。

 そもそもコンセルバトワールは、職業学校であります。日本では
音楽大学というと
アカデミックな象牙の塔であるが、ヨーロッパの音楽学校は職業訓
練所なのでありま
す。工業高校、専門学校、調理師学校とおなじだ。だから、彼らは
卒業後、なんでも
できるように(スタジオミュージシャンになったり、オーケストラ
団員になったり、
声がかかるすべてのタイプの演奏ができるように)技術を教え込ま
れるのである。そ
れは生き抜くための技術でもあって、つまりあそこの卒業生は譜面
をもらえばどんな
演奏もできるのです。

 技術はありますから、「センチメンタルな音」はだせる。うっと
りさせることもで
きる。すすり泣く聴衆もいるかもしれない。だが、彼らはオランダ
で生まれオランダ
で育ち、ホームシックを感じたことのない地元のオランダ人であり
ます。「哀愁」の
経験のない彼らの演奏に、デクスター・ゴードンのような激しい切
実な「哀愁」がに
じみ出ることはありえないではないか。

 それでも彼らは職人ですから、日本のプロモーターが「哀愁っぽ
くやってよ」と言
えばきちんとやってくれるでしょう。だがその人工的なセンチメン
トを、調律のじい
さんは「歌っていない」と言うのです。このあたりが、表現者たる
アーティストと職
人の微妙な差なのだろうなと、わたくしは思うのです(くりかえし
ますが、わたくし
はアーティストと職人のどちらがいい悪いと言おうとするのではな
いです)。

 ところで、小橋さんは近じか東京でギグをすることになっており
ます。ピアノが歌
うということはどういうことか聴きたいと思ったら、以下のセッ
ションにいらっしゃ
るとよろしいよ。

 11月16日(新宿J)井上陽介(b)とのデュオ
 11月17日(Body & Soul)井上陽介(b)とのデュオ
 11月25日(JazzBird)小橋敦子トリオw/春日井
真一郎(b)、村田憲一郎(ds)

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春(はる)具(えれ)
1948年東京生まれ。国際基督教大学院、ニューヨーク大学ロース
クール出身。行政学
修士、法学修士。78年より国際連合事務局(ニューヨーク、
ジュネーブ)勤務。2000
年1月より化学兵器禁止機関(OPCW)にて訓練人材開発部
長。現在オランダのハ
ーグに在住。共訳書に『大統領のゴルフ』(NHK出版)、編書に
『Chemical Weapons
Convention: implementation, challenges and opportunities』
(国際連合大学)が
ある。( http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/9280811231/
jmm05-22 )





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