チャーリー・ブラウンの妹はサリーっていう。
「サリーに似てるよね」って言われて、傷ついたのか嬉しかったのか、
実のところよくわからなかった。「どこが?」って聞いたら「あたまが」って。
おませでちょっと皮肉屋のサリー・ブラウン。猫っ毛でふわふわ頭のサリー・ブラウン。
サリーの頭の中身のことか、それともあのふわふわ頭のことか、
どっちにしたって誉めてるわけじゃないんだろうけど、
それでも彼がわたしの「あたま」を気に留めてくれたことで、なんだかドキドキした。

青い穂波の上を風が渡っていく。17歳、最後の夏休みの思い出は、真っ暗な受験生。
冷房のきいた予備校のドアを出ると、とたんに蝉の大合唱と燃える矢のような太陽の光に刺されて、
目も耳もくらくらした。
汗で、そもそも決まらない髪が余計に決まってない。この頭、大嫌いだ。
自転車をこぐペダルを緩めたとき、後ろから呼ばれた。
「おい!」
「は?」
彼だった。
「帰んの?」
「ん、まあ」
自転車で隣に並ぶ彼の匂い。コロンかなんかつけてる?マリンノートの甘い香り。
汗でべとついたおでこを見られたくなくて、慌ててうつむいた。

「なんか、毎日だるいよな」
「だね」
「あーどっか行きてえ」
「だね」
「なに、お前」
「なにが」
「すっげえ愛想ないよね」
「そお?」
「だよ」
「かな」
「って、ぜんぜん会話になんねーじゃん!」
彼の突っ込みに、妙に緊張していたわたしはぷっと吹き出して
「かき氷、食べない?」
「あ、いいね、それ」

それ以来、高校の近くにあるおでん屋で、時々かき氷をほおばる仲になった。
いろんな話をしたような気もするけれど、なにを喋ったのか、何も覚えてない。
ただかき氷のブルーがキラキラ光ってたこと、おでん屋の軒先に二人の自転車が並んでたこと、
風鈴の音・・・そんなことばかり。
この淡い気持ちがどこかにつながるなんて考えられずに、
甘くてオレンジな感じを、静かに味わうだけで精一杯。
夏休みが明けて、予備校帰りのかき氷はお開きになったけど、
通学路の自転車で後ろからパシッと頭をはたく彼は、いつも笑ってた。

卒業式の前日、彼から電話をもらった。
「決まったの?」
「まあ」
「どっち?」
「東京」
「そか。俺、大阪」
「うん」
知ってたよ。知ってはいたけど、聞けなかったんだ。
「やったじゃん」
「まあな。お前もじゃん」
「まあね」
ふふっと笑って、会話が止まった。
「なんかさ…うん、がんばれよ」
「なにを?」
「いろいろだよ」
「そっちもね」
「うん」

卒業式の日には、友だちを挟んで目が合ったけど、それ以上近寄れなかった。
彼の口が「じゃあな」と動いて、わたしも「またね」とつぶやいて手を振った。
それでおしまい。


あれからもう何年経ったんだろう。
帰省してた夏休み、ぽっかり時間が空いた午後。
母にいわれて庭のタチアオイに水をやっていると、
ふと、車庫にぽつんと置かれた埃だらけの自転車が目に入った。
チリン、とベルを鳴らすと急に懐かしさがこみあげた。
あの風を浴びたくなってサドルを拭いて、自転車にまたがり「ちょっと出てくるねー!」
玄関に向かって叫ぶと、わたしは門を出た。
風を切って、なんとなく通学路に出る。なつかしー、なんて独りごちながら、
予備校の前をすぎ、田んぼからでっかい量販店に変わった店舗を横目に見て、高校へ続く道を行く。
すれ違う女子高生。笑い声までキラキラ輝いてるような若さの煌き。
ああ。どっかにいるかな、いないかな。
時代後れで、ちょっと惨めなサリー・ブラウン。

おでんやの前、急ブレーキで自転車を止めた。
とたんに汗が噴きだしてきたけど、今はもう大人になった。
涼しい顔で、髪だってサラサラだ。
「氷イチゴひとつ」おばさんに注文して、氷をほおばる。
そうだ、今度はここに彼を連れてこよう。
わたしは長年付き合っている都会の恋人を想った。

「高校時代にさあ」
「うん」
「チャーリー・ブラウンの妹のサリーっているじゃん?あの子に似てるっていわれたことあるんだ」
「おおー。わかる、わかる!」
「え、どこが?」
「クールでちょっと生意気なとことか」
「そお?」
「そそ」
「可愛くないってこと?」
「え、可愛いから言ったんじゃない?」


「いつもクールな仕事人間」いつの間にかそんな風に言われるようになってた。
だけど、笑うとえくぼができるとこなんか、意外と悪くないんじゃない?
・・・なんて、30も過ぎた頃、ようやく自分のことも好きになってきた。
オトナになるって、思ってたよりか悪くない。若さの煌きや疼きは、
いつか胸の奥に積もった宝物になっていく。

あいつも今頃可愛いパートナー、できたかな。サリー・ブラウンみたいなさ。


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溺愛する両親の言われる通り、

おケイコに通い、お受験をして、

退屈な町で世間を知らぬまま育った。

その時は誰の望み通りでもない私になりたかっただけ。

両親が禁止することをひと通りやることで満足していた15才。

親って騙しやすいよね?と友達と笑っていた。

放っておかれると震え続けるしかない子犬だったくせに。

腫れ物に触れるような扱いをする両親とは離れ、

私はじぶんの居場所を探しに家を出た。

誰かを責めたり恨んだり、愛したり。

今の私はドロドロした世界の果て、

空気がしんと冷たい部屋の中にいる。

どんよりとした眠けを引きずったまま、

白い壁に囲まれた部屋でじっとドアノブだけを見続けている。

暗がりで一人ひざを抱えている時間が果てしなく続いている。

私が死んだら悲しい?ってたずねる相手はここにはいない。

あなたは私のことを好きと言ってくれたはじめての人。

あなたの気持ちに応えられるかわからない。

あなたの望み通りになんかなれないの。

あなたを信じれば裏切られる。

あなたを好きになれば突き放される。

どうして?

私を痛めたあとに、泣きながら「俺が悪かった」なんて言うの。

優しさや、戸惑いや、ときめきや、刹那さや

いろんなかたちで私の心に入り込んできて

つかの間にいつの間にいなくなってる。

あなたがいても淋しい。

いなくてももっと淋しい。

温かい手で私を引き寄せないで。

冷えた私の体を抱きしめないで。お願い。

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俺のおやじのことを書こう。

180cmもあるデカイおやじだった。

休みの日のおやじは寝転んでよく本を読んでいた。

よくわからないが、勉強もよくしていた。

あとは庭でゴルフの練習をしていた。

ゴルフは好きだったなぁ。

ガキの頃、よくゴルフの打ちっぱなしに付き合わされた。

俺にゴルフをやらせたかったのか、ガキの俺にゴルフを教えていた・・・。

俺は野球が好きだったから全く身に付かなかったが。

帰りにパチンコ屋に寄り、俺のおもちゃをとるためだけにパチンコを打った。

必ずおもちゃを一つとってくれた。

それが目当てもあってゴルフの練習に付き合っただけだけど、

でもそんなおやじとの時間も、けっこう好きだったかな。

おやじはとにかく人に好かれていた。

面倒見が良かったのだろう。友人も多かった。

そうそう、おやじがよく連れて行ってくれた友人の経営するスナック喫茶のハンバーグ、

うまかったなぁ。大好きだったよ。

おやじは凡人の俺とは違い、若い頃から何でもできたようだ。

背も高いし、運動も勉強もよくできて、手先も器用で何でも自分で作ってた。

絵も上手かったなあ。車の塗装も自分でやってたよ。

顔もいい方だったんじゃないかなあ。女にもよくモテたようだ。

だから、ある意味いまだに俺はおやじにコンプレックスみたいなものがある。

運動も普通、頭も良くなく、背も170cmそこそこ。まったく惨めなもんだ。

そんな俺は、大阪の高校を卒業して親戚の影響で写真の大学に行く事にした。

ギリギリ入ったカタチだけど。

別に写真が好きだった訳じゃないけど、働くのは嫌だったから。

でも、おやじはすごく喜んだなぁ。なんで喜んでくれたのかって考えてみると、

多分おやじは、おやじの兄貴にコンプレックスがあったからだと思う。

おやじは次男で、家の事情で大学に行かせてもらえなかったし、

高校を出てすぐに、家計を助けるために働かされた。

対照的に、兄貴は芸大に行き大手自動車メーカーに努め、デザイナーをやっていた。

収入も多かったようだ。その息子も芸大、奥さんも芸大のエリート家族。

おやじは兄貴より自分の方が才能があったと思ってたから、

家の事情で好きな事をやらせてもらえなかった事を、ずっと悔しがっていた。

だから息子の俺が写真を学び、カメラマンになることを自分のことのように喜んでたんだと思う。

お前には才能があるって言ってたから。俺からすればいい迷惑だったけど、

喜ぶおやじを見て『まあ、頑張ってみるか』って感じだったかな。

大学は金がかかった。学費も高いし、カメラも高いし。

普通のサラリーマンだったおやじは、大変だったと思う。

どんな時も大変だってとこを見せないおやじだったから、

俺にカメラを買ってやると言って一番高いカメラを買ってくれた。

別に何でもいいよって言ったのに。

でもおやじはいつも口癖で『欲しい物を買うときは、その中の一番イイものを買え』って言ってた。

必要で、自分が欲しい物だから安い物を買うと絶対に後悔すると。

その頃の俺は、別にカメラは欲しい物ではなかったから、もったいないなぁと思ってたけどね。

大学に入っても俺は凡人だった。大学には才能やセンスがある奴らがゴロゴロいたし。

俺は写真に対して真剣でもなかったし、カメラマンになろうとも思ってなかった。

おやじには言えなかったけどね。

そんな中、俺が大学2年の時におやじが死んだ。

最後におやじと交わした言葉は、朝、俺が寝ている時に部屋に入ってきて

『たばこあるか?1本くれ。』だった。

そのままおやじは出勤途中に倒れ、逝ってしまった。

運ばれた病院に俺はタクシーで向かった。

タクシーの中で俺は、ずーっとおやじとの思い出ばかり考えていた。

『お父さんが亡くなりました』って病院から連絡があり、病院に向かうのは何とも辛い時間だった。

大学も辞めて働こうと思ったけど、おふくろがめちゃくちゃ反対した。

おふくろが『あんたはお父さんの夢だったのよ。』って。『だから続けなさい』って。

だから続けたよ、ずっと。今もカメラマンを続けてる。

何とかお金をもらえるカメラマンにもなった。

辛い時、苦しい時も、おやじの夢を終わらせたくないという気持ちがあって、続けてきた。

それにおやじが言った『お前には才能がある』って言葉を信じて。

いま一つ望みが叶うなら、もう一度おやじと会話がしたい。

今の俺、どうなの?って聞いてみたい。

多分おやじは、ひとこと笑いながら言うだろうけどね『お前には才能がある』と。

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わたしは悪い子なの。



お母さんに言われる。

あんたは何でそうなの?いつもいつもそうなの!って。

わたしは悪い子なの。

わたしはお母さんにとって悪い子なの。



先生に言われる。

お前は何がしたいんだ?このままでいいのか!

先生を困らせたいだけなのか!って。

わたしは悪い子なの。

わたしは先生にとって悪い子なの。



友達に言われた。

あんたは許せない!って。絶対に許せない!って。

わたしは悪い子なの。

わたしは友達にとっても悪い子なの。



でもね、わたしはみんな大好きなの。

みんなと一緒にいたいの。

ただ思った事をしただけなの。

だから解らないの。

悪い事なのかどうかって。

バカだよね。きっとバカなんだよね。

教えてくれないよね、誰も。

だから悪い子なんだ。

でも嫌いにならないで。

お母さん、先生、みんな・・・わたしを嫌いにならないで。

思った事をやると悪い子になる。

思った事を言葉にすると悪い子になる。

噛みしめてみた。

自分を噛みしめてみた。

毎日すべてを噛みしめてたら、何か見えてきた。

だんだん自分が見えてきた。



自分ってなに?



まわりの声が聞こえてきた。

まわりの人が見えてきた。

自分って何なんだろうと思って考えてたら、

声が聞こえてきた。みんなが見えてきた。

もう一度、仲間に入れて。

悪い子だけど、バカだけど。

みんなの声が聞こえるよ。

みんなが見えるよ。

自分だけじゃないんだよね。

自分だけで生きてるんじゃないんだよね。

みんなで生きてるんだよね。

本当に自分が見えてきたら、噛みしめなくても出来るよね。

みんなと仲良く出来るよね。

みんな大好きだよ。

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“くちびる”が可愛いねって、彼に言われた。

私にとって“くちびる”はコンプレックスなのに・・・キスが嫌いなのに。

彼が私のキスは気持ちいいって、

会うと必ずキスをする。

何回もキスをする。

キスをすると何だかすごく温かい気持ちになるの、

すごく幸せな気持ちにさせてくれるの。

彼とのキスが、自分の“くちびる”が、どんどん好きになっていった。

でもね、温かい気持ちになれる時が、幸せな気持ちになれる時が、もうナイの。

“バイバイ”ってそれが最後の言葉だったの。

“バイバイ”って何?また会えるの?

“バイバイ”って友達にも言われるけど、友達にはまたすぐに会えるよ。

彼は、いまも私の近くにいる。

顔を見る、声を聞く、でも“バイバイ”なの。

もう会えない“バイバイ”なの。

でもね、今はうれしいの。自分の“くちびる”が好き。

鏡をのぞく時“くちびる”を見る。“くちびる”を触る。

すごく可愛い。そう思うの。

ありがとね・・・

また、温かい気持ちも幸せな気持ちも訪れるから。

わたしは、可愛い。

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 色薄れたホームビデオに再生される幼い頃の自分。ナオキは何が好き?

「ウルチョウラマン!」。

ナオキは大きくなったら何になりたい?「ウルチョウラマン!」。

彩度の低い映像はありもしない記憶を蘇らせる。ソファ椅子の上を何度も何度もジャンプしながら

そう答える5才の男の子にはウルチョウラマンの偶像がはっきり見えていた。



 3人兄弟のアニキは弟2人が自由に生きている分、優等生じゃなきゃいけないって…

自分を勝手に縛りつけ、私だけ我慢すればいいと勝手に思っていた小学生。

長男だったから?いや、イイ子ちゃんでいる方がずっと楽だったから。本当はそんなキャラが

嫌で嫌で逃げ出しかったのに。だからスケープゴートに〝夢〟をたくさん見ることにした。

自由に生きている自分、注目されている自分、今の自分とは違う自分。ヒーローになりたかった。

拠りどころの無くなる時は決まって胸につけたバッジを空に向け、空想の世界に飛んで行った。

最悪の局面の最後に登場して〝びしっ〟とキメるヤツ。すべてが思い通りになる夢の中で、

私は地球を愛し平和を守るウルトラマンになっていた。



 それから10年後。楽しんだモン勝ちの高校時代に人生で大切なものを見つけることになる。

何を?友人と恋人とサッカーだ。優等生の枠からはずれ、教科書など机の奥にしまい込み

1話完結の『BOYS BE…』的世界に没頭する日々。

過剰な自意識をもてあます高校生ゆえに自分の思い描く夢物語の主人公に私がいて、

そいつはいつでも現実の私よりも先を歩くデキるやつだった。

そして、そいつに追いつくことができないまま、思うところ人生で3番目に楽しかった

高校時代が足早に過ぎ去っていった。



 10代の終わりに人生で2番目に楽しい時期を悪戯好きの神から贈られることになる。

「自分メッサはえーわ」。峠をスーパーカブで750をぶっちぎる『バリバリ伝説』の世界に

リアルさ全開で入り込み、バイクレーサーを目指し3ヶ月で大学もあっさり辞めた。

世界GPのサーキットでレースクィーンに囲まれている自分、

ヒデヨシと激走バトルを繰り返す自分を妄想しながら、人生のすべてをかけた2年間。

オイルの匂いとエンジン音に高揚し続けた。バイクレーサーは現実と夢のつながりを

実感できるものだった。あらゆる意味で。

 事故った。粉々になったバイクと左足。レーサーへの道はいとも簡単に弾け飛んだ。

命を失ったとしても、それがどれだけのことだったのだろう。

22歳の誕生日は病院で迎え白い天井を見つめながら自問を繰り返す。

普通に働いて、普通に結婚して、普通のまま死んで行こうか。

物足りないけど普通に生きようと。

現実を受け入れた私は夢やらプライドやらを置き去りに東京を後にした。



 静岡に戻り、この数年がまるで無かったかのように深々とした風景の中で

穏やかな暮らしが続いていく。そんなある日、心から愛する人ができた。

愛する一人のために何かしてあげたい。何ができるかを本気で考えた。

再び私は夢を見はじめる。〝たった一人でもいいから人を感動させる生き方をしたい〟

そんな思いを込めたものを表現したい。そこに広告デザインの世界があり、

ためらいもなくのめり込んで行く。ボロボロのところから這い上がるエネルギーが

企画を生むんだ。アイディアは今まで夢を見続けた私の中にいっぱいつまっているはずだ。

直感だけではじめたこの仕事に「こいつらとやっていきたい」という

仲間5人と独立してから5年目。可愛がってくれるクライアントや協力スタッフに支えられ

15人の会社になっていた。我慢できないくらい辛いことも山ほどあったが、

それ以上の喜びと充実を独立がもたらしてくれた。

私たちはこの先どうしていくのがいいのだろう?『Baratee』の創刊が答えだった。

思いの強さは必ず夢を叶えてくれる。『Baratee』は積み上げた思いから天の分配だ。

まだまだ荒削りな私たちですが夢の本番はこれからです。

私はみんなを引っ張って行く、そう、今度こそウルトラマンになるんだ。

それまで人生で一番楽しい時期は先送りにしておこう。




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         夢をみることが大好きだった。心だけはいつも満たされていた。


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         奔った。靴の底が擦り切れるほど、でも得たものもいっぱいあった。


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私は、弟が産まれる前まで、母のものではなく、祖母のものだったと、母は言う。

私が泣き出すと、祖母(父方の祖母)は、母の手から私を奪い取り、自分の部屋へ連れて行った。

はじめての高熱の時もそうだった。

母は、我が子が人生はじめての山場を超えようとしているときを、

一緒に過ごしたかったろうが、祖母が例の如く私を抱いて自分の部屋へ連れて行き、

閉じ込めてしまった。

母は抵抗できず、ただ呆れるばかりで、口をぽかんとあけて、その様子を見ていた。27歳だった。

 
母と私が二人きりになれるのは、お散歩の時間だけだった。

家の外だけが、母の落ち着く場所であった。だから、母と私は、たくさんの時間を家の外で過ごした。

とくに、公園は二人にとって避難所であった。

ありとあらゆる公園へ出かけた。この近くでは、行った事の無い公園は、一つもなかった。

日曜日ともなると、父と母と、毎週お弁当をもって公園へ出かけた。

本当に毎週毎週、三人で出かけた。 日が沈みかけ、世界がだんだん青くなってくると、

私達は家へと、現実の世界へと連れ戻されていった。


祖母の、私への固執は、弟が産まれる事で解消された。

弟を身籠った母は、出産の何週間か前から病院へ入院し、その間、完全に私は祖母と二人

24時間一緒にいることとなった。

そして、祖母は知るのだ。子供がいかに面倒くさい生き物かを。

母から離れてすごすこととなった私は、夜泣きをするようになった。

祖母は優しく、おんぶをして私をあやしてくれたが、やっとうとうとと眠りそうになって、

おんぶを止めると、またすぐに泣き出す。祖母はすっかり寝不足である。

そんなこともあり、弟が産まれたとき祖母は、もう子供の面倒をみるのはたくさんだ、

などと言った。結局のところ、祖母にとって私は人形のようなものであり、

表面的なかわいらしさを愛されていたに過ぎないのかもしれない。


時がたって、もうすっかり私も大人になって、祖母は、もうすっかりおばあさんになった。

すっかりおばあさんになって、いろんなことが出来なくなってしまった。

母は、祖母とあまり話をしない。お互いに、苦手な存在同士のままだ。
 
私は、祖母の事が好きである。それはそうだ、赤ん坊の頃から幼少期にかけてずっと側にいたのは

祖母だし、祖母は私を大事にしてくれていたのだから。 だから、今、祖母の世話は、

祖父と私の役割だ。


私の家族は完璧じゃない。仲がいいねと言われても、実際のところ、すこしズレている。

食卓で露になる祖母と母の不仲をいやがり、弟は夕ご飯を家で食べる事が無くなった。

でもこれが家族だ。30年積まれていった毎日が、今の私達を作っているのだから、このズレたところ

もそのままぎゅうと、抱きしめるだけだ。どうか潰れていかないように。

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私が24歳の時、母が他界した。父は私が20歳の他界している。

24歳の時、私は東京で就職し一人で暮らしていた。

母は生まれ育った静岡に一人で暮らしていた。

ある日仕事を終え家でくつろいでると、親戚から連絡があった。母が倒れたと。

私は、翌日会社に休みをもらい、朝一番で静岡の病院に向かった。

母は3年前に、ガンの手術をしていたのだ。

病院に着くとすぐに母の側に駆け寄った。『大丈夫?』

母は笑顔で『ごめんね心配かけて、仕事大丈夫?』と答えた。

私は少しほっとした。母の笑顔をみて。

すぐに私は医者に呼ばれ、母の余命は3ヶ月と告げられた。ガンが転移していたのだ。

翌日、私は東京に戻り会社に事情を伝え、仕事を辞めた。

母のそばにいたかった。今まで苦労ばかりかけてきた母のそばに。

勿論、母には辞めたとは言わなかった。母はずっと、私が仕事を休んでると思い心配していたが。

何時も自分の事より私のことばかり心配してる母だった。

好きなことをやり、それを仕事として東京で働く私を、自慢と言ってくれる母でした。

父が他界した時も毅然とし、私に心配かけまいと強く生きていた。ガンに冒された時も、、、

母は美しい人だった。着物が似合う美しい母だった。

その美しい母を病は蝕んでいった。まるで、果実が日に日に鮮度を失っていくように、、、

しかしそんな母も私には美しく見えた、弱って行く母でも美しかった。

東京から戻った2日目、母の病状は悪化し意識が無くなった。危篤だった。

私は母の手をずっと握りしめていた。

そしてそのまま母は54年の人生を終えた。

早かった、3ヶ月と言われた命が、私が駆けつけてたった6日で母は父の側に逝った。

母は大好きな父に早く会いたかったのか、それとも私を早く仕事に戻したかったのか、

とにかく早かった。早すぎた、、、最後の最後まで私の心配をして。

私の部屋には、幼い頃、母からもらった人形がある。

その人形はずっと、私を見つめ続けていた。

私の喜びも、悲しみも、そして心の思いもすべて知っている。

まるで、母と同じように。

これからも私を見つづけるだろう、母と同じように。

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