2周目は幸せになります11




「お久しぶりね」

 声を掛けられたウンスは眉を顰めてしまったが彼女の視線はウンスを無視し、隣りに立つチェヨンに向けられている。
だが、声を掛けられた彼は先程の問いから言葉を発する事はなく険しい眼差しを彼女に向けていた。
本来は動揺を反映しそのまま去りたい状況の筈が、まるで外野などどうでも良い空気感に思わず口を噤みウンスは2人の会話を待った。


この女性はこの男が自分を捨て選んだ女性

・・・の筈なのだが・・・。


「ろくに連絡もしないで何時の間に韓国に帰っていたの?そもそも電話しても出ないなんて“夫”としてどうなのかしら?」
「・・・」
「昔の“お友達”と会うのなら別に問いはしないけど、それなら私と食事する時間があっても良いんじゃないかしら?」
「・・・・・」


――“友達”ねぇ。


あからさまにウンスが昔の恋人とわかっての彼女の言葉にピキリとこめかみが引きつる。

しかし、声を出したのはウンスではなかった。


「仕事で帰って来ただけだ。わざわざ仕事の報告をする必要は無い」
「そう言って何時もあちこち出掛けているわよね?てっきり今はイタリアにいるのだと思っていたわ」


毎日の様に動いているチェヨンの管理はチェ会社が仕切っていると理解出来るが、せめて“妻”にはいる場所くらい連絡するべきだと彼女はいう。
時々微笑みながら上品に話すが言葉の刺々しさと笑っていない瞳。
確実に彼女が憤怒しているとわかった。

「今日は旧友との親交に混ぜて欲しいなんて野暮な事は言わないわ。せっかく帰って来たんだもの“明日”素敵なディナーを期待していますわ」

ウンスを無視している訳ではなく、端々に攻撃を向けながら夫婦としての会話を続けてくる彼女に思わずウンスは溜め息を吐き出していた。

――1番貴方達と関わりたくないというのに。

「・・・私は仕事が終わりましたので、もう帰ります。後はお2人でゆ―」
「え?」

いきなりウンスの横からチェヨンが声を出し不思議そうな眼差しで見下ろしてくる。

「は?」

――何その目は?

まさか私がまだいるとでも思っていたのだろうか?

「・・・いや」
「私だって別な人と食事する約束があったのよ?それを無しにしてまで―」
「約束は違う日になったのではなかったか?」
「仕事が終われば連絡を・・・」
「医者が直ぐには終わらないと思うが」
「ぐ、話を覚えてないで下さい!イさんも戻って来たし、私は家まで送って欲しいのですがっ」
「そうですか。では、車に行きましょう」
「いやいや、貴方は来なくて良いです。イさんが送って下さるので大丈夫です!」
「彼が出たら俺も戻る手立てが無くなるのですが」


――だったら、目の前の“奥様”とホテルに泊まればいいだろうがっ!


突然話し出したチェヨンに対応してしまったが、状況は夫婦の修羅場にもなっている。


とにかくウンスが場所を離れなければこの張り詰めた空気は終わる事はない。それなのに、この男まで此処から去ろうとしているのは本末転倒ではないか。

――第三者は私なのに、何故あんたまで帰ろうとしてるの?!

チラリと見た彼女の表情は想像通り憤怒の表情でこちらを睨みつけていた。

「ヨンさん!」

“奥様”の彼女が声を荒げ呼び止めてきた――が、

「君は“明日”と言っただろう?今日共にする必要は無い筈だが?」
「・・・何ですって?」
「イ氏」
「は、はいっ」
「車をもう1台呼んで彼女を宿泊しているホテルに送ってくれ」
「わかりましたっ」
「なっ・・・」

瞬時に胸ポケットから携帯電話を取り出したイ氏は、素早く電話を掛け女性が唖然としている間に迎えの手続きを済ませホテルの場所を伝え終わった彼は何時もの忙しない動きで彼女に近付いていく。

「直ぐに迎えが来ます。“奥様”エントランスに参りましょう」
「わ、私が・・・っ?!」

“奥様”はウンスを睨み付け、そのまま憤怒の眼差しをチェヨンへと向けた。

「・・・では約束通り“明日”楽しみにしていますわ。では、おやすみなさい【あなた】」

そう言うと、再びヒール音を響かせ彼女は来たばかりのエレベーターへと戻って行き、
機械音が消えた後には再びフロアに静寂が訪れていた。



「・・・呼べるんだったらもう1台呼んで、チェ社長も帰ったらどうですか?」

「・・・はあ、まぁ」

先程の饒舌さが消え何時もの覇気が無い返事だけが返ってくる。

――おいーっ!さっきの勢いはどうした?
そもそも迎え呼べるんじゃないの!


ウンスは消えた怒りを思い出したが、頭の中にあった疑問も再浮上していた。


1人では何も出来ない訳ではないのかもしれない。
だが、するつもりも無いらしい。

そして、
あの【奥様】との関係は良好に見えなかった。
寧ろ殺伐としているのは一体どういう事なのか?
この数年で何があったの?

「あ、あの、チェ社長?」
「ん?」
「ご予約のお時間になってもご来店されてなかったので迎えに参りましたが・・・」

2人の背後に何時の間に1人の男性が立っており、どうやら次の予約場所はこの階のレストランだという。

「ご予約はチェ社長1名様でしたが・・・」

横にいるウンスはどうすれば良いのか?

戸惑った男性の表情にウンスは大丈夫ですと手を振った。
「あ、お一人様でしたら、私は帰りますので―」
「このレストランはミシュラン星2の有名なシェフが経営しているらしいです」




・・・・・星2。


はたして自分の人生でミシュラン星のお店に行く事などあるだろうか・・・?



・・・ゴクリ。



思わず嚥下したウンスに即座に気付いたチェヨンは珍しく目を細めていた。


丸一日連れ回され、約束していたチャン先生との食事も無くなりこの男の【奥様】と会い修羅場にもなりそうだとほとほと疲れた筈なのに、この空腹は我慢出来ないの?!


「で、ではこちらにどうぞ!」

チェヨンが前に立つ男性に視線を向けると察したのか恭しく接客を始め、
ウンスはギリギリと歯ぎしりをしながらも、
男性に促されるまま前方を歩いているチェヨンの背中を睨みつけ店内に入って行ったのだった――。










「あなたっ!どういうつもり!あの2人を残して私を追い返そうとするなんて!」

1階のエントランスではメヒがイ氏に怒鳴り声を上げ、周囲にはあまりの声に興味深く見ていたがメヒはどうでも良いとばかりに金切声を上げていた。

「私はあの人の“妻”なのよ!なのに、何故私が帰らなくてはならないの?」

おかしいじゃない!
どれだけ私が我慢してきたのか!

「あの女が誑(たぶら)かしたのね?」
「そうではありません」
「じゃあ、2人がいるのがおかしいじゃない!」
「それは、チェ社長の体調の関係で・・・」
「だったら、“妻”の私が面倒を見るべきだわ。私は数年前に彼に選ばれた筈なのだから」


彼はあの女を捨ててまで私を選んだのではなかったか?
なのに、何故彼の横にあの女がいるのか?
何時私は一人ぼっち。
これが夫婦と言える訳がない。
どうしてよ?!
おかしいわ!


すると、額を拭いていたイ氏ははあと溜め息を吐き、チラリと見てきた。

そして、


「1つお伺いしたいのですが」
「何よ?」

「以前からお聞きしたかったのですが・・・“奥様”は、チェ社長が特別な力をお持ちなのがわかっていないのではないですか?」
「・・・え?」


「タン家がチェ家と縁がある事は皆知っておりますが、貴女は何の気も感じる事が出来ないのではないですか?」



イ氏のゆっくりと静かに話す言葉が妙に冷めている様に聞こえるのは気のせいではないとメヒは動きを止めた。


「・・・何がいいたいの?」

「私(わたくし)の考えですが。数百年の間に血は薄くなるものです。しかし特殊な血族は僅かな遺伝子が残っているだけでも覚醒するものなんです。それが正義や悪になるのは人それぞれです。しかし、消えていく者もいます。感じ取る事さえ出来なければ最早それは特殊能力は途絶えたと言っても良い」
「タン家が途絶えたとでもいうの?」
「そこまでは言っておりません。ただ、もしかしたら何処かで血は一旦切れたのではないか?という事です」

チェ家が血を残す為に何代にも渡り必死に力がある親族を探し続けていた。イ氏の親族もまたその協力者の1人でもあった。故にチェ家に対する崇拝が深いのだとイ氏本人も自覚している。

数年前、チェ社長がタン家の娘を選び妻にした。

その情報に良かったと胸を撫で下ろしたイ氏や部下達だったが、その喜びは暫く経ってから首を傾げる程の疑問へと変わっていた。

どうもチェ社長の様子がおかしい。
仕事はするが、生気がどんどんと無くなっていく。

動いているのだから、大丈夫だろうと見守っていたが食事が減り、睡眠が減り、それでも仕事はこなしていく。
数年経って漸く彼は僅かな栄養だけ体内に入れ、運気調息で回復し淡々と仕事をしていたという事がわかった。

だが、知った時には既に手遅れでチェ社長の内功はただ彼を守るだけになっていた。
そして選ばれた筈のタン家の娘を彼は近付け様ともしない。寧ろ警戒しているのか遠ざけてもいた。


イ氏の話を聞き、メヒはくすくすと笑い出す。

「何が言いたいの?私を選んだのは、チェ家でもあるし貴方がたよ?それに彼が了承したんじゃない、私に非があるなんて言うつもりじゃないでしょうね?」

メヒの言葉に次はイ氏が黙る番になってしまう。

確かに、最終的にこの女性を選んだのはチェ社長だ。
彼はどういうつもりだったのか?

それよりもイ氏は数日の様子を見て驚いていた。

数年前に恋人同士だったのならば何らかしらわかるのかと思っていたが、それよりウンスの指示をチェ社長は素直に従っている事だった。どうやらウンスには人を動かせる何かがあのかチェ社長はそれにつられる様に言う事を聞いている。

あの単独でしか動かなかったチェ社長の一面を見て、イ氏は衝撃と微かに期待を持ってしまったのも事実だった。



数年前に恋人がいたという情報も知らない訳ではなかった。

だが・・・。



メヒは笑みを浮かべたままイ氏に話し掛けてきた。

「明日、彼との約束もあるしまだ私はこの国にいるつもり。あの女狐にも言っておいて頂戴、“夫婦の邪魔だけはしないでね”て!」

そう言うとメヒは顔から笑みを消し1人エントランスを出ると、ホテル入口前に止まった黒い車に乗り込み去って行った。







イ氏は携帯電話を取り出し画面を操作し始めた。

直ぐに相手が出たのかイ氏は「お疲れ様です」と小さく頭を下げる。


「“奥様”が来ましてチェ社長と少し会話をしましたが、直ぐお帰りになりました。はい、いえ、ユさんはそのまま残っております。・・・やはり、お考えは当たっていたのかもしれません。
引き続き、調査もしていきます。はい、では失礼致します」



イ氏は画面を操作し通話を終えるとウンス達がいる階へ戻る為に1人エレベーターに向かって行った――。




⑫に続く
△△△△△△△△