持統天皇は皇極天皇の孫です。

 

持統天皇は、息子の草壁皇子に皇位を継がせたくて、姉の息子である大津皇子を無実の罪で殺してます。

その後、草壁皇子は皇位継承することなく死にます。すると今度は孫の軽皇子に継がせるために自分が即位してつなぎました。

軽皇子が文武天皇として即位する半年前、天武天皇の長男、高市皇子が突然死してます。なんとなく毒殺かな、という印象を受けます。実績も人望も実力もある高市皇子をさしおいて、実績も何もないわずか15歳のひよっこ軽皇子が天皇なるなんて、みんな納得しないですよね。だから殺しちゃったんでしょうね。

 

皇極も持統も同じことしてませんか?

 

643年 上宮王家滅亡→皇位継承有力者:山背大兄皇子・白壁王などが殺された。

645年 蘇我大臣家滅亡→当時の権力者蘇我蝦夷・蘇我入鹿が殺された。

645年 皇位継承有力者:古人大兄皇子が殺された。

649年 蘇我大臣家滅亡後に権力者となった蘇我石川麻呂が無実の罪で殺された。

658年 皇位継承有力者:有間皇子が殺された。

 

自分の血統に天皇位を継がせる、そして権力も握る、

 

自分の子孫にだけ皇位を引き継がせたいという女の執念、恐ろしい(⁠>⁠0⁠<⁠;⁠)