鏡女王の出自はわかっていません。

舒明天皇陵にその墓があるため、舒明天皇の皇女か孫ではないかと言われています。

 

私は皇女ではないと考えています。それは日本書紀に「鏡姫王」と記載されているからです。

飛鳥時代は皇子皇女のことを男女区別なく「王」と呼んでいたため、万葉集などは「王」で表記されていますが、日本書紀は「皇子皇女」で記載されているので、もし皇女だとしたら「鏡皇女」と書くと思うからです。

 

ただ、舒明と縁のある「王」であり、

年齢から考えて二世か三世王だと思うのです。

 

日本書紀に、鏡女王は683年に亡くなったとあります。

中大兄皇子と婚姻関係にあったとすると、620年代に生まれた可能性が極めて高いように思っています。

620年代の誕生とすると、彼女の父母は610~625年頃に結婚している可能性が高いように思います。

そのころ婚姻したと思われる舒明に縁のある子女を列挙してみると、

 

中津王(舒明妹)

久多良王(舒明弟)

*法提郎女(舒明夫人)

*香櫛娘(舒明夫人)

*手杯娘(舒明夫人)

*蚊屋采女(舒明采女)

 

茅渟王(彦人皇子子)

桑田王(彦人皇子子)

 

がいらっしゃいます。

*の人の娘とすると鏡女王は「皇女」になるので、外すと、

 

中津王(舒明妹)

久多良王(舒明弟)

茅渟王(彦人皇子子)

桑田王(彦人皇子子)

 

が鏡女王の父母として有力なのかな、と。

発掘が待たれますが、鏡女王の墓は天皇陵内にあるため、発掘ができないのかもしれませんね。