人の身に垣ということを知るべきである。喩えてみると、家はあっても垣がなければ盗賊の恐れがある。垣があるから安心できる。これを安堵という。堵は垣の事を意味する。

 

ならば家業を勤めて貧の垣を作り上げ、養生をして病気の垣として、道を守って禍の垣として安堵しなさい。この垣が緩いときは、禍という敵が入り込んで防ぐ冨方法がなくなる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

垣というのは防衛策という事でしょうか。貧乏の防衛とか他人から禍が来ないように礼を守っておけとかいう話ではなく、人との間においても垣というのは必要だと思います。どうしても合わない人はいるもんです。そういう人には入り込まれないように防衛線を貼っておくことが重要でしょう。

 

先日も取引先の大奥さまから出版の話がありました。恵比寿屋さんはこれまで3冊本を出しているのですが、明らかにこれまでの傾向と違うエッセイのような本を出すのを手伝ってくれというものでした。しかし、過去に本を書いたことがあるからと言って、出版社がそう簡単に乗ってくれるものではありません。出版社も完売しなければ、ゴミの山を抱え込むことになりますからね。2年以内に売れなければ在庫を全部買い取る契約ならなくはないでしょう。そんな交渉をただでやれという話です。

 

社交辞令的に相手をしていたのですが、要求がエスカレートしてきまして。流石に無視するようにしました。これ以上続くようであれば、取引相手の社長夫人とはいえ、取引にも影響が出ますよと警告しようと思っています。

 

こういう他人との距離感の分からない人っているんですよ。こういう人って相手にするときりがないんです。深刻なトラブルに入る前に、バッサリ切るのが無難でしょう。

 

小学校の先生にもファンタジーな世界の人がいます。過疎地気味の小学校の教師ですが、入学してから卒業するまで1回もクラス替えができないような学校です。「6年間一緒にいるのだから全員仲良く・・・」と言ってましたが、話をしたくない子はしたくないんです。無理すればいじめにもつながります。遠くから見ると魅力的ですが、近づくと怪我をさせるような人はいるもんです。合わないと思ったら少し離れて、垣を作ることも決して悪くないと思いますよ。それは小学生のうちから学ばせていいと思いますけどね。子どもたちだから純粋だとか言うのは、よほど子供を観察していないと思います。