「またまたこれから亭主になる人、母親になる人、手代丁稚下女にも言う事がたくさんあるが、元日なのであまり言わないことにする。まずはこれで今日は休みにして先の教えを諭して、追加はこれから述べることにしよう。まずはめでたく算盤屋の算右衛門よ、必ずけたを外すな、追加は近いうちに示そう。」
福の神は家の中に入りなった。
算右衛門は目を覚まして、いやいやいいお話を聞かせてもらった。これに優る福徳はない。これからは信じて次の教えを待つことにしよう。算盤の世の中で勘定が勘定である利づめ、勘定にまさる誠は存在しないだろう。誠に優る福はないだろう。誠に優る収入はないだろう。誠に優る壽はないだろうと無明[1]の眠りから覚めて算右衛門の二一の天作[2]の悟道発明[3]した。こうして、本当に目覚めたのだった。
享和四年甲子の春 不学庵義堂
[1] 邪見・俗念に妨げられて真理を悟ることができない無知。
[2] 生まれながらの
[3] 仏道の悟りを開くこと。
本当は第二巻があるようなのですが、出版はされなかったみたいです。
基本は楽しく稼ぐ事であって、しんどい辛いようなことはしない方がいいですね。楽しくなるにはそれなりに時間がかかるというものですが、
ということで、脇坂義堂の物語はこれで終わりです。元は出版業者だったようなので、文章が書きなれている感じがしますね。