昔あるところに見た目の悪い上に、額には泰山の[1]ような出ており。あばたは海のように深く、鼻はちょっとばかりかち栗をつけたしたような感じで、目はドングリを載せたような下女がいた。いつも髪を整えるのに、非常に丁寧に鏡をうやうやしく頭の上にささげ、礼拝して納めている。この家の主はその様子を見て、あるときこの下女に尋ねた。

 

「お前はいつも鏡を頭の上に捧げて、しまっているのは何故なんだ。不細工な女は鏡を恨むというが、お前はとんでもなく醜悪なのに、いつも鏡を丁寧に扱っている。どういう事なんだ。」

 

女は涙を流していった。

 

「ごもっともなお尋ねですが、これについては嘆かわしく思っております。私は世の中にこれ以上ない顔かたちに生まれて、世に希な疱瘡で、いつも鏡を見るたびに、我ながら疎んでまいりましたが、こんな醜い身であるよりは、先年の大病をしたときに死んでいれば、こんな一生の苦しみはございますまい。そもときお医者さんだ、ニンジンだと、貧乏なうえに貧乏になって、私を助けてくれた両親が、今となっては我が身の仇となり、我が身を恨むだけでなく親までも怨みましたが、ある時鏡に向かって嫌がるのも飽きました。」

 


[1] 支那の山東省泰安市にある山で、道教、封禅の儀式が行われる山として名高い。

 

あからさまに凄いこと言いますね。これが江戸文学の無茶苦茶なところでもありまして、実際にはこんなことはいってはいないでしょうけど。