算右衛門は平伏して慎んで尋ねた。

 

「果報は寝て待てと言われるのは、どういう事から言われるようになったのでしょうか。どうか教えていただけないでしょうか。」

 

大黒天は答えた。

 

「果報は寝て待てということはあるのだろうか。全てのことは寝てばかりいることはなく、怠らないからこそ果報があるというものだ。特に当年の当春の甲子の元旦は、上元[1]万物の最初であるから、この最初から心を慎んで人のために目を見開いて働くことが果報を得ることだ。世の中に言われている果報は寝て待てというのは大いなる過ちである。これは貧乏神の流言だろう。我が福の神の仲間では、果報は寝て待てということであって、寝て待てということは、果報を得ようと思うのであれば、自分の目を見開いて少しも寝ず働いていれば、自然と果報となるということだ。」

 

 


[1] 陰暦正月15日のこと。

 

またまた極端なことを言い始めました。確かにこの当時は働くと言っても、そんなに今みたいに残業まみれの時代ではなく、農家でも朝日が昇る頃から日が暮れる頃まで、12時間以上働くことはないですよ。商家でも油代がかかるので早く寝ろと言われた時代です。

 

この時代は、普通に月に2回ほど月読祭だの節句だの、しょっちゅうイベントごとがあり、かつ夜になれば詩歌の会だとかにふらっと出かけて、大人向けの素読講義みたいなのにも出られた時代ですから、今よりはずっと暇で豊かだったのですよ。だからこの時代は、金がねぇと文句を言うか神頼みするくらいなら、まずは神が助けたくなるように努力してから願掛けに来いぐらいの感じでしょうね。

 

なので今の時代にそのまま置き換えたらだめですからね。休みはしっかり取りましょう。

 

で、果報は寝て待てだと思います。やりすぎて、上手く行きかけていたのにぶっ潰してしまう事ってありますから、頃合いの問題でしょう。