子や家来は親や主人に仕えているのであれば油断してはならない。ただ一代仕えることは長いことだとからと油断していると、父母や主人は空しく世を過ごすことになる。後になって嘆いたところで、何ともならない。父母主人が亡くなる間際になって、これまでの不忠不孝を悔いたところで何の良いことがあろうか。朝に道を聞いてその道に誠心誠意進んでいれば、喩え夕方に死んだとしてもよかろう。益はあることだ。人の身の喜びなり果報について、ただただ油断なく今日を大切に使いなさい。夫婦兄弟友人関係の付き合いも、みなこのようなものである。うかうかとして適当な態度で油断しているうちに、光陰矢の如し鉄砲のように過ぎてしまう。後を追って後悔するするのは愚かではないか。

 

昨日まで 早苗とりしが いつの間に 稲葉そよぎて 秋風ぞ吹く

 

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時間は有限なんですよ、人間にとっては。この簡単なことは、分かっていてそうで実際に体験しないと分かりません。誰かに言われたから理解するというものでもないと思います。

 

子育てでこの点は親はよく勘違いしています。自分が失敗したからって、子供に言ったって分かるもんじゃないですよ。子ども自身が重要だと理解するには、タイミングというものがあります。それを待ってやるのが子育てなんでしょうね。だから、子どもに向かって親孝行しろよと書いているのでしょう。

 

光陰矢の如しとは言っても、自分のペースと他人とのペースとはどうやっても合わないんですよね。そんなダラダラやってないで次にというのも、こういうところの違いがあるのでしょう。

 

逆に恵比寿屋さんは、何で仕返しができなかったんだろうという恨みはあったりします。今更やれなないし。やってたらやばかったかな。