頼まれてもどうしようもなく、自分の頭を撫でてみたり髭をいじってみたり

 

「願掛け主の前世の因縁があってそろそろ金持ちになって、大黒様のお陰だと扉の釘閉じを開けて、様々な珍味をお供えしてくれるのはどうも居心地が悪い。だから二代目までは相応にお供えしてくれるが、やがて金銀を遣い、三代目になれば茶屋ばかり行くようになり、元の安物の皿になっていつ破産するか分からない身分。自分たちのことは棚に上げて今となっては茶一杯もお供えしない。自分もこれでは困ると髭を撫でているところに貧乏神がつけこんで同居を始めるので、そっと祠の外に出て福徳村の所にでも行くこうかと出たのだ。そんなところに番太[1]が、この私に向かって、堪えず大黒舞いだといって、ひどくなぐられそうになったのでやっとやっと逃げ帰ったのだ。

 

悔しかったが、神明は悪人を罰するという言葉があるので、これに従って我慢して帰った。福貴の家へ引っ越そうと、街中の金持ちの家を尋ね歩いたら、夏の虫が火に飛び込むように、表向きと内では違いがありすぎて、亭主も番頭も困り果てた顔。これでは尾っぽが生えるとため息ついてみては、人間にも尾っぽができたそうだ。」

 


[1] 江戸時代に都市における夜警、浮浪者の取り締まりや拘引、牢獄・刑場などの雑用、処刑などに携わっていた人たちのことである。都市に設けられていた木戸に接した番小屋と呼ばれる粗末な家に住み、多くは非人身分であった。

 

確かにろくでもないですな。金があるからウハウハかと言えば、金があるなりの悩みってもんがあるのです。あそこの家はかなり金に困っているという話があれば、当然金を借りに来られたら断るでしょう。取り引きだって止まるでしょう、売掛金を払ってくれなくなりかねませんから。

 

となると、その辺は上手く金を持っているかのように見せかけることは、よくある話です。だからといってその見栄の部分に力を入れ過ぎると崩壊はもっと早く酷くなります.101