「昔の人の言葉に、君子は貧しいときは静かにして、精進が貧しくなると盗みに走るというではないか。寒さと飢えを感じれば善の心を起こして、貧乏で賤しくなればさっと心を入れ替えてそれぞれの家業に怠りなく仕事をして倹約して、安らかに暮らすという方法でいれば、家業に追いつく貧乏はない。それなのに、お前は困ると欲望が高まって、悪意が高まってくる。加え福神を蔑ろにして貧乏を蔓延らせようとするのはとんでもないことだ。日月が照らしているのは意味があるのだ。天帝はお前たちを懲らしめて厳しく戒め、今はまさに必死の状態である。天は仁で助けていただけるので、めったやたらに人を殺すようなことはなさらない。過ちを正すに憚ることはない。お前は今すぐに今日から心を改めて、家業を大切に忠孝の五常の道を守り、堅実に生活をして後世になお残し、父母の名前を挙げる事こそが人の人たるところである。生きていくのは難しい、死ぬのは簡単だ。」

 

やっと理解した始末守は

 

「もうけは難しいが、使うのは簡単だ。」

 

道を説く姿はまさに儒者臭く見えた。

 

さしも無法我慢の空穴朝臣も頼母子公の教えに従い、すぐに考えを改め父母に孝行し家の者たちの面倒を見て、友人とは仲良く暮らし、家業に力を入れるようになったので繁昌し、貧乏の恥辱をすすごうとした。七福神の心から帰依して、以降長く身上軍直吉の軍に属したという。こうして貧乏の身から抜け出した。めでたしめでたし。

 

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「働けど働けど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る」という詩がありますが、作者はスポンサーにたかって暮らしていたらしいです。決して彼自身が働いていたわけではないとか。

 

共産主義のご本尊マルクスもスポンサーのエンゲルスにタカリにたかって、いかに労働者階級が酷い目に遭っているかと言っていたとか。

 

まずは本人が働きましょう。