何の難しいこともなく、ただ親が子を気にかけるように、日夜意識して子が親を忘れないようにしているのが孝行である。下手をすると親がいることを忘れて、我が身一つであるかのように、気ままに働くから様々な誹りが出てくるのだ。ある高貴なお方の言葉であるが、「親と火の元は昼夜いつでも注意して雑に扱ってはならない」と。その通りである。この言葉を慎んでよく守りなさい。

 

書工 南江八尾貞

彫工 遠藤儀兵衛

 

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特に本文が書かれた時代は社会福祉制度はあるにはありましたが、今ほどではなかったので、特に親孝行、老人福祉が重要な課題だったのでしょう。

 

これもまた自分に子供ができないとこういう感じにはなかなかなりません。結婚して所帯を持って一人前と昔はよく言われましたが、今いうとセクハラの権化みたいになってしまいますが、決して趣旨は大外しではないと思います。

 

妻夫とは別れられても、子どもは縁の切ようのない関係ですから。そうなるとその重みというのは、やはり違うものです。

 

一方高福祉国家が最高だと思っている人たちがいますけど、スウェーデンあたりで生活してみれば分かりますが、結構悲惨ですよ。老人の孤独死が多く、もっと市役所が見回りをすれば問題は起きなかったみたいなことを新聞が書いていたりしますけど、そんなことできますか?やはり親子で見てやるのが一番だと思います。義理の両親と仲が悪くても、そこはね。

 

これで子孫宝草は終了です。

 

江戸文学らしい極端な表現があったり、科学的根拠が薄いものがあったり色々ありましたが、それも御愛嬌ということで。