愚かな親であっても、その親の教えに従えば天に背くことはない。しかも親の言葉のうち十中八九、子どものために道理をかなえようとしているのだと思うべきだ。どうしてもとなれば、親が子を思う理不尽さは、悪しきことがないように、いいことがありますようにと、日夜思いつくことを言うのである。だからその思いの深さ、誠実さから出ている教訓なので、一言いやその半分であっても子供にとって悪くなるような道理を言っているのではない。

 

万が一僻事があったとしても、親の言葉だから慎んでその意図を汲んでやれば、天道は必ず恵んでいただける。神仏の恵みもあれば、僻事もすぐに善事になって自分のためになるであろう。

 

何事もできるようになって、千巻の書物を読もうとも親を侮り、志に背く人は、寿命を保ち富を貯めていくことは決してできない。とにもかくにも孝行を忘れるな。ある人は孝行はどんな状態でも勤めるべきと知識ある人が言っていた。その意図を一首の歌で答えている。

 

子を思ふ 親ほど親を思ひなば 世に有難き 人と言はれむ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

子供を持っていないうちは、なかなかそんな気持ちにはなれず、親になればこんなことを感じるでしょう。

 

親として子供に接するのは、法律上もそうですが、いくら自分の子であっても別人格なんですよね。そこが重要なんですよ。自分がこうだったからと押し付けたところで、学習能力も異なるし体力も異なるし、当然思考も全く違うもんです。自分ができなかったことをルサンチマン的に子供に押し付けるようなことがあってはいけないのです。

 

子供が反発するときは、まさにその感情がどこかにあるんじゃないでしょうか。

 

またいつまでも子供がべったりというのも、親孝行と思っているのはお花畑です。自立を妨げているのです。反抗期がなかったというのは、むしろ怖い事らしいですよ。