だから最初の種が重要である。奉公人は一筋に仕事をしなさい。後々の金につながるからである。例えば盲人の主人を裸で突き出すようなことをしても、神仏からの恵みはない。きちんと仕事をする人ほど、巡り合わせは良くなるものだ。そもそも盲人の主人なんぞいないものだ。必ず気づかれている。

 

一筋に勤めをしていれば、主人も栄えるしまたそれに従って自分も栄えることは間違いない。

 

また、勤め先から主人の金をかすめ取ると、神も仏も日月星辰に加え人も見ているものだ。ましてや自分の贅沢のために使えば、神仏仏陀から見放されて天罰が当たる。恐るべしっつしむべし。このように心も金遣いも駄目な人は先がなく、やることなすこと巡り合わせが悪くなる。

 

人々はこういうことに気づかず、俺は肩が悪いというのはとんでもないことだ。神仏と天と日月星に恵まれた人が、肩が悪いということはない。肩が悪いというのは神仏その人の肩を離れていらっしゃるからである。金銀は神仏が守っていただいているから、破滅することもなく次第に栄えて子孫が長く続き、悪事災難が来ることはない。これは子孫長久の伝授車である。

 

古い歌に

 

勤めよや 忠孝家職かげ奉公 慈悲正直に 思案堪忍

 

右の文章を主人は部下に教えてやって欲しい。親は子供に教えてやって欲しい。皆さんもこれを守れば火にも焼けず水で腐ることもない思い通りになる宝となるだろう。

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これはもう少し別の視点で見てみようと思います。雇い主のものをちょろまかして金を稼いだり、あるいは博打で稼いだ金だったりという部分を補助金に置き換えてみようと思います。

 

というのも、ちょろまかしたり博打は所詮あぶく銭です。本当に努力して稼いだというよりは、棚ぼたの金です。こういう金は金の有難さを理解できません。補助金も同じです。使い勝手の悪さはともかく、その金は元はと言えば国民の税金です。制度に乗っ取って支給されたとはいえ、税金です。

 

こういったあぶく銭で施設を買っても、満足に使いこなせないんですよね。例えば商店街で街中を整備して客集めをすると言って補助金を貰っても、他人の金だから無駄に使うんですよ。例えば駅前に巨大な駐車場、しかも地下駐車場なんてのを作っても客は入りません。商店街が商売の勉強をしてないからです。そして有効に使う動機づけがないのです。

 

実際に経済学的にも補助金をもらうと生産性が落ちることが証明されてますから。

 

ということで、これで渡世伝授車は終了になります。