なぜか主人や親の心に背いて家をこっそり出てお参りに行く非礼なのに、こんな横道もの身代わりになっていただけるのか。かたじけなくも日本で一番重要な神がこんな不作法者を御贔屓になさるのか。恐れ多くて話にも出さない。

 

一方で、木を大事にする神社、土を取れば祟りを起こす仏閣があちこちにある。これは、その辺の下人が勝手気ままに盗んでいくことを戒めている掟である。物を惜しむのは、衆生の煩悩の増長である。

 

人に惜しい欲しいと思うことから離れるのが悟りの道である。言うまでもなく神仏が物を惜しむ気持ちなんかあるはずがない。

山城国の石打村に作介という者に一人の子供がいる。九歳になるが、爺さんが無くなったときに七日もしないうちに産土神社にお参りに行った。明神からお咎めがあって、石段から落ちてしまった。外科か本道[1]の医者か人々が騒ぎに集まってきた。

 


[1] 内科の事。

 

産土神は、人の生まれ変わりに関わる神なので、死んだおじいちゃんが早く生まれ変わるようにお願いに行ったのでしょう。

 

ですが、原則として身内が死んだ場合は、穢れとして50日間は神聖な場所に入ってはいけないことになっているようです。今では、葬式に神主さんが来ることがありますが、昔は神式での葬式はなく、吉田神道で一部行われていただけで、本格化したのは神仏分離での明治に入ってからのようです。

 

なお、産土神には諸説あるようで土着の神、氏神、土地の神・・・と説があるようです。古事記や日本書記の神話には出てこないそうですが、仏教の生まれ変わりの影響もかなりありそうな感じがします。