これらのことを教えて家業を励まし善事を教えなさい。世の中で不善の人は、貧困や苦労を助けてやろうという気がなく、欲しいままに利益を貪り、少しは繁栄するものがあるが、こういうことは天地に適わない。喩え、一生涯繁栄することがあっても、子孫や家に障害が出てきて、遂には没落していくことがある。愚かな者たちはこういうことを理解せず貪欲にやりたい放題である。

 

又貧乏に困ってろくでもないことを行い利に迷い、法を犯して罪に問われることも少なくない。深く慎んで真っすぐな道を教えに従うべきことである。

 

善不善ともどんな人にも多少人にはあるものだ。その善を行い、不善を自ら諫めるべきである。善の心は神明の身、宝である。不善の心は心の穢れであり病気であると思いなさい。

 

穢れを取ってその病気を治す養生を怠ってはならない。神仏や儒者や聖人の教えはこれと違うところはない。善事を行う人は、天道神明の守護がある。一日善事を行う人は幸いがまだ来なくても、少なくとも禍を遠ざけているだろう。

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いつの時代も人のやることは変わりません。困っている人がいたら何とかしなきゃいけない、この発想自体は悪くはないのですが、日本人はどうも優しすぎて、本当に困っていない人まで助けようとしてしまいます。これは、「日本人は他人に迷惑をかけてはいけない」という心情が強く、「助けて」というときは既に手遅れ寸前の状態の人が多いので、この「助けて」に騙される傾向があるように思えます。

 

助けるべき人は本当に困っている人、ただゴネている人はきちんと見極めて対処すべきだと思っています。

 

例えば、タブーを恐れずにいうと、障碍者施設は本当に困っているのか?という疑問があります。それって自己満足なんじゃないですか?と。障碍者自身が所得税を治められるような仕組み、働けるようにするのが福祉だと思っています。これを言うと特定の思想の人から思いっきりバッシングを受けますが、健常者が働いた金で支援を受ける、これが当然だなんてことを言い出したら社会は回りません。

 

そろそろ、丸一日TVの番組の話が出てきますけど、ああいう番組の役割はもう終わったと思うんですけどね。