あらゆるところで耕作を出来そうな野山にその土地の性質に応じて、植木やそのほかの作物を植えて、山奥であっても薪などでみだりに薪にすることなく、木の尊いことを理解しておきなさい。木を使って家を作り、また橋や船を作り運送の役に立ち、朝夕の食べ物や煮炊きの燃料、寒さを防ぎ、その他に使いようは紙に書ききれない。竹や木であっても、ある程度年数を経なければ役に立たない。その始末を考えて使いなさい。それぞれ天地に養っていただいたものだ。そのご恩を何とも思わず、それを好き放題に薪に使ったり捨てたりするのは冥加が尽きることになる。山に木を植えるのは五穀を植えるのと等しく、その土地の性質に応じて木を植えれば、まずもって家のためになるだろう。

 

実に宝の山とは世界の山のことを言う。木を植えるのはずっと先の将来のためのように思えるが、必ず近い将来のためになり、子孫のためにもなる。どんな事であっても、必ず心掛けなさい。

 

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『日本書記」のなかに、スサノオノミコトが体毛をちぎって地面に刺すと木になったという話から、スサノウノミコトは植林の神様、その息子のイソタケルノミコトは林業の神になったそうです。なんと尻の毛まで抜いたというのは、いかにも日本の神話というか・・・

 

40年ほど前に山を切り崩してゴルフ場なる不浄なものを作って農薬をまき散らして・・・ここ10年は同じように山を切り崩して太陽電池を並べて土砂崩れ。これではあの暴れん坊のスサノオノミコトはお怒りになりますよ。

 

昭和20年代に片っ端から杉を植えてしまったせいで、何とも味気のない山になってしまったとよく言われますが、実はそれ以前の方がもっと悲惨で、薪のために禿山が多かったそうです。朝鮮半島はときに北の方は薪のために切り崩し過ぎて、表土が流れてしまい田圃がまともに作れないそうです。

 

なお、日本近海は世界最大級の漁場ですが、それも山に木がありその葉っぱが養分となってプランクトンを育て、魚を育てているのだそうです。